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「死ぬまで聴くぞ!僕的日本のAOR選」Disk3 伊勢正三 「ORANGE」

「死ぬまで聴くぞ!僕的日本のAOR選」3枚目は、その立ち位置は日本の叙情派フォークの第一人者「伊勢正三」です。
私の音楽の好みの変遷は、「伊勢正三」の音楽性の変革にとても影響を受けました。

今回はその辺りをご紹介しながら、AORな「伊勢正三」をご紹介します。(文中敬称略)

叙情派フォークの雄、「伊勢正三」


前回、加藤和彦編でも辿りましたが、1970年、日米安保条約が自動延長される中、それまで一つの流れであった反戦フォークソングが下火となる一方、反戦よりも「LOVE & PEACE」をメッセージとしたフォークソングが流行し初めます。

そして歌謡曲中心の日本の商業音楽界の中でも、フォーク・クルセイダーズや森山良子・ビリーバンバン・はしだのりひことシューベルツなどの曲がヒットしはじめました。

フォークソングは商業ベースに乗り、さらに大衆化されて行きます。

私も、1971年の「戦争を知らない子供たち」からジローズ・杉田二郎や赤い鳥、オフコースなどを聴いていました。

この辺りは、TBSラジオのヤングタウン東京と言う番組の影響です。

ギター弾き語りのスタイルが似合うのか、貧しさと純愛の世界を唄う「四畳半フォーク」というジャンルも生まれてきます。

「神田川」はその代表曲ですが、実はさらに狭い「三畳一間」でした。

ヒットした「神田川」の後、「かぐや姫」はメンバー3人の個性をそれぞれに生かすアルバム「三階建の詩」をリリースします。

それまで歌詞を担当していた「伊勢正三」が、初めて作詞作曲と共にボーカルをとった「22歳の別れ」と「なごり雪」が収録されています。

貧しさの郷愁に心情を重ねたところから、もう少し現在の生活感情に合わせた心情を歌う「叙情派フォーク」というジャンルが生まれたのでした。

そしてこの2曲は、今でも歌い継がれる「伊勢正三」の代表曲となりました。

「風」で広がった音楽性


「かぐや姫」解散前に「猫」の「大久保一久」とフォークデュオ「風」を結成した「伊勢正三」は、ヒットが約束された「22歳の別れ」でデビューしました。

2枚目のアルバムまでは叙情派路線を踏襲しましたが、1976年発表の3枚目のアルバム「WINDLESS BLUE」で大変身を遂げます。

予兆はその前に発売されヒットしたシングル、「ささやかなこの人生」からも感じ取れました。

フォークロック調のメロディに、それまでは叙情派路線だった歌詞が、僕や君が登場しない三人称になりました。

「ささやかなこの人生」のヒットは、「ほおづえをつく女」の布石になった事は間違いないと思います。

「WINDLESS BLUE」からシングルカットされた「ほおづえをつく女」をラジオで聴き、とても気に入ってしまいました。

この曲も、登場するのは男と女で、第三者的な歌詞になっています。

私が初めて買った「風」のアルバムは、「WINDLESS BLUE」でした。

アルバム全体では、太田裕美さんがカバーした叙情派フォークの名曲の一つ「君と歩いた青春」など、まだ従来の路線は残しています。

「ほおづえをつく女」は、ロック系の雑誌で著名な評論家から、「日本語とロックミュージックが見事に融合した曲。このような曲がロック系ではなく、フォーク系のアーティストから生まれた事は残念だ。」と言う最上級の賞賛を受けていた事を覚えています。

別の音楽雑誌の記事で、「伊勢正三」は「STTELY DAN」の影響を受けて「ほおづえをつく女」を作ったと知り、「STTELY DAN」を聴く様になりました。

アメリカのフュージョン系ロックバンドだった「STTELY DAN」は、その後「ドナルド・フェイゲン」と「ウォルター・ベッカー」の二人のユニットとなり、凄腕のスタジオミュージシャン達を駆使してアルバムを制作していました。

「STTELY DAN」のユニットとしての音楽活動に、「風」を重ねた部分もあったのかもしれません。

1976年発表の「The Royal Scam」には。「ほおづえをつく女」と「夜の国道」のベース だと感じられる曲が収録されています。

風の変化は、4枚目のアルバム「海風」でも、さらに続きました。

タイトル曲の「海風」は、メロディとそれに合わせた歌詞、衝撃的なイントロを含む編曲と全てのクオリティが高く、今でも私の中の、和製歌入りフュージョン曲のベストです。

あの印象的なベースラインを、後に一世を風靡した名プロデューサーであるベビーフェイスの曲の中に発見した時は、思わずガッツポーズをしました。

「22歳の別れ」の次に「海風」を流したら、なんと言う曲の構成だと言われても、同じグループの曲とは思わないでしょうね。

さらに「風」の最後のアルバム「MOONY NIGHT」は全体的にポップにまとまり、叙情派フォークの色はなくなり、当時の言葉で言えばサウンド志向、その後の言葉で言えばAOR的な仕上がりを見せました。

ソロになり、「正やん」から「伊勢正三」に


風の解散後、1980年にソロアルバム「北斗七星」をリリースしましたが、路線はやや叙情派寄りに戻った感がありました。

この辺りは、「かぐや姫」・「風」と所属していたレコード会社の意向があったのかもしれないと思っています。

その後、レコード会社を移った1981年は半年間に2枚のアルバムをリリースしましたが、曲調はメロウなサウンドに戻りつつある中、方向性を模索している感じもしました。

そして1982年、プロデューサーに「小倉エージ」を迎え6曲入りのミニアルバム「Half Shoot」を発表します。

ミニアルバムと言う事からか、全体をポップな曲でまとめ、一段と完成度の高い曲を聴かせてくれました。

岩倉健二が率いる「First Brand」がバックを担当し、打ち込みも取り入れるチャレンジもされてました。

歌い方に力強さが加わり、歌詞も直線的になり、「正やん」から、「伊勢正三」になった感じがしました。

この辺は、プロデューサーを立て、第三者の立場からアーティストとしての伊勢正三を表現したことの成果だと思います。

そしてその翌年にリリースされたアルバムが今回紹介する「ORANGE」です。

AORを追求したキャニオンレコード時代の最高傑作「ORANGE」


「ORANGE」のリリースは1983年5月21日、「Half Shoot」から9カ月後です。

再びプロデューサーに小倉エージを迎えていますが、伊勢正三にとってこの共同作業は大きな刺激になっていたのではないかと思います。

この頃だったと思いますが、「伊勢正三」と「小倉エージ」の対談が音楽雑誌に載っていて、「プロデューサーのダメ出しをもらい、プロデューサーうけを狙って作業するのが楽しかった」と「伊勢正三」が語っていたのが記憶に残っています。

アレンジャーには「MOONY NIGHT」で3曲担当したキーボードの「佐藤準」を起用、林立夫・今剛・松原正樹・斉藤ノブのパラシュート勢、ベースには「風」時代からバックを務める岡沢茂、さらにギターに鈴木茂など、一流スタジオミュージシャンを起用し、今聴いても色褪せない素晴らしい演奏を残してくれています。

曲調はソロになってからの集大成的なメロウでメロディアスな曲や、ややロック調の曲に、前作から続く力強くパーカッシブなボーカルがのり、心を打ちます。

詩的には、男女の悲哀と情景を組み合わせた、大人の叙情派と言うか、映画を見ているようにそのシーンが浮かんできます。

全体的には「佐藤準」のキーボードベースのアレンジですが、日本を代表する4人のギタリストも聴かせてくれます。

曲ごとのクレジットはないので勝手な想像ですが、「Tonight Tonight」のギターは「松原正樹」だろうな、ハモるところは「今剛」とだったらいいなとか、「シャワー・ルーム」のアコースティックギターは「伊勢正三」自身かな、「青い10号線」のソロは「鈴木茂」だなと思いながら聴いています。

そして、このアルバムで一番好きな曲「Orage Grove」でのファンキーなカッティングギターは、間違いなく「今剛」だと思います。

「今剛」のカッティングは、うますぎる。

次作のアルバム「HEARTBEAT」も、どちらを選ぶか迷うアルバムですが、どっちを聴くかの選択を迫られたら、曲構成とアレンジの一貫性が導く聴きやすさから「ORANGE」を選びます。

一曲目のつかみから最後の曲まで聴く耳を離さないアルバムとしての完成度は、ここで極められた感があります。

その後、日本フォノグラムそしてフォーライフとレコード会社を移る中、心を撃つ曲は多々ありますが、アルバムとしての完成度では「ORANGE」を超える作品には出会えていません。

「ORANGE」は伊勢正三の音楽変遷の中で生まれた、一曲を拾うのではなく、全曲をフルで聴きたいアルバムです。

そこには「22歳の別れ」や「なごり雪」のように、長く音楽の歴史に残る曲はありませんが、アルバム「ORANGE」として、今でも聴きたくなるのです。

ソロになりAOR路線を極めた伊勢正三が残した「ORANGE」と言う記録(レコード)は、まさに、Album Oriented Rockな1枚なのです。


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