「満月ケチャップライス」 朱川湊人

「世の中で大事なのは、こんな風に自分でご飯を作ったり、買い物に出かけたり、人と楽しく話ができるっていうことだよ。それに比べれば超能力でスプーンを曲げることなんて、何の意味もないことさ......そんなことができても、何の自慢にもならない」

母と妹の三人で暮らす中学生の進也の家に現れた謎のモヒカン男「チキ」との騒動を描いた朱川湊人の小説です。序盤こそ男性版メリー・ポピンズみたいなハート・ウォーミングなファンタジーかと思わせて、いつの間に「虐待」「自殺」「覚せい剤」「スキャンダル」「カルト宗教」と、ありとあらゆる悲劇のオンパレードに雪崩れ込んでいくストーリー。その息を持つかせぬ怒涛の展開に圧倒されっぱなしでした。

朱川湊人といえば「かたみ歌」や「わくらば日記」など、昭和のノスタルジーを感じさせる作風に特徴があり、もちろんそれらも素晴らしい小説でしたが、ここでは年代こそ正確に記述されてませんが、おそらくアルトン・セナが亡くなった1994年の話ではないでしょうか。テレホンカードがまだあり、携帯電話も普及していない時代。描かれている情景には、バブル崩壊後の殺伐としたムードが感じられます。

そこに輪を掛けて、この小説の暗いムードを代表する感じで何度も取り上げられている音楽がニルヴァーナの「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」です。さらに、その不穏な曲に寄り添うように、妹に接近してくる謎の宗教団体。明らかにそれがオウム真理教を下敷きにしているため、読者は否応なしにも、直後に起こるであろう地下鉄サリン事件を想像してしまいます。

物語は中学生である進也の回想形式で語られています。彼と足の不自由な妹とチキの3人の交流を随所に暖かく描いてはいるのですが、彼らは決してハッピーとはいえない終わり方へ向かっていきます。

超能力を持つチキは、そのパワーのせいで彼の家族を不幸のどん底に陥れてしまいます。そして彼自身は、風来坊のように他の家族の中へと潜り込み、家族の中に新しい光を灯すと、また別の場所への去ってしまうのです。決して誰とも家族にはなれない。しかし、子供のように純真なチキの存在は、行く先々の人々に、決して忘れることのできない強い印象を残していきます。

この小説には、常に心の中に暗い影を宿している進也の「幸せだった」というその一瞬の家族愛の眩しさが痛いほどに鮮明に物語の中に刻み込まれています。流れ者のチキが、まるで本当の家族のようになった、ほんの数日間の出来事のことです。それだけに、その後に起こる不幸な出来事の数々も、その「幸せ」の記憶を頼りに、きっと進也は悲劇を乗り越えられるはずだと思わせてくれる点が、ラストシーンの唯一救いとして深い余韻を残してくれます。とにかく、ここ最近読んだ小説で、もっとも面白かった一冊でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?