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「豊かな地域を、世界中にデザインする」“NPO法人 Co.to.hana 代表理事” 西川 亮さん

貧乏に苦しみ、あてどない思いに向き合ってくれた地域の大人との出会い、そして死別。建築に見出した希望と一方通行なモノづくりに抱いた違和感。0→1で場をデザインし創造しつづけた彼には今どんなビジョンが見えているのでしょうか。西川さんにお話を伺いました。

西川さんプロフィール
出身地:大阪府堺市
活動地域:日本
経歴:NPO法人Co.to.hana 代表理事
1986年大阪生まれ。神戸芸術工科大学を卒業後、NPO法人Co.to.hanaを設立。地域や社会の課題に対して、デザインが持つ「人に感動を与える力」、「ムーブメントを起こす力」、「人を幸せにする力」で解決を目指し活動。高校生のキャリア教育プログラム"いしのまきカフェ「 」"やワークサポート施設"ハローライフ"でグッドデザイン賞。AERA/日本を突破する100人に選出。
座右の銘:未来は自らつくる!

「いろんな国や地域の人たちが生態系を創っていける社会へ」

記者 ご自身が描いていらっしゃるビジョンやCo.to.hanaを通じてどんな未来を描いているのかをお聞かせください。

西川 亮さん(以下、西川) いろんな国や地域で自分の地域に住む人たちがアイデアや行動を通して、分野を超えてつながりながら暮らしを豊かにしていくこと。それが生態系として生まれていく社会でありたいなというのはありますね。

例えば「みんなのうえん」という取り組みをやっているんですけど、使われていない空き地を活用して周りに住む人たちが一緒にそこで野菜を育てたり調理をしたり、活動を通して自分たちが暮らしを豊かにしていくことをやっているんですね。

それがいろんな国や地域で、いろんなテーマで活動が生まれていく。そういう循環が生まれていくような社会であって欲しいなってのは思っています。最初は人と人が出会ったとしてもすぐに活動が生まれないのでそこをコーディネート、あるいはデザインするという役割が社会の中で必要なのかなという風には思ってるんですよね。

そういう働き方とか暮らしを作っていくことが社会で当たり前になればいいなと。それは日本だけではなくていろんな国や地域の人たちが生態系を創っていける社会になっていけたらいいかなと思います。

「僕ら自身が一つの先導モデルに」

記者 実現のための3〜5年後や2025年の大阪万博に向けた目標などはありますか。

西川 僕らが今の事業を立ち上げた頃はそれで食べていけるわけでもなかった状況で、やっと今働ける環境がちょっとずつできてきた。 2025年っていう意味では僕ら自身が一つの先導モデルになるっていうのを中長期では掲げています。こういう働き方や生き方があるんだっていうことをまずは認知してもらえるようなモデルに自分たち自身がなっていくっていうのが直近の目標ですかね。その先にもやっぱりそれをどうやって育てていくのかっていうところは必要になってくるので国内もそうですけど海外にも展開していけたらいいなって思っています。

「目指している社会ビジョンを一緒に叶えていく」

記者 今それを実現するための活動はどういったものがありますか。

西川 僕らがやってる事業での取り組みが三つあります。

一つはデザイン事業で、社会や地域をよくしていくことに取り組んでいる団体や企業のデザインを専門に行ってるんですね。その法人が目指している社会ビジョンを一緒に叶えていくというスタンスです。外部のメンバーなんですけど仲間のような存在として、一緒に事業を作っていくのがデザイン事業ですね。

二つ目のプロジェクトはさきほどの「みんなのうえん」ですとか高齢者の方が生き生きと活躍できる「ひとしごと館」事業、高校生の人材育成やまちづくりプロジェクトをやったりと、実際に企画して応援するということなんですね。
身の周りの問題意識とか社会課題を実践を通して解決していき、さらにそれがちゃんと継続できる事業モデルにしていくことを試行錯誤しながら実践しているので、社会の中でも課題として大きくなっているようなことも自分たちも挑んでロールモデルを作ってくようなことをやってるんです。

三つ目はデザイン研修でここはこれからの事業なんですけど、自分たちが実践を通して学んできたことや経験を広くお伝えしていく。あるいは人材を育てていくための研修をやっていますね。こういった活動を通して地域とか社会に対して経済の力で問題解決に取り組むということを実践しているっていう感じですかね。

「一方通行のモノづくりへの違和感」

記者 デザインの力で取り組もうとされるのは西川さんの中できっかけがあったんですか。

西川 子どもの頃は親がバブルで凄い借金を抱えて僕自身が家庭が裕福ではありませんでした。家族みんな新聞配達するしかなく中高生の時から新聞配達や寿司屋でお金を稼ぐこともやってました。塾に行くこともできないですし、大学に行くっていう選択肢も当時はなかったです。何かこれをしたいとなっても、やっぱり経済的な格差というか。なんでうちはこんなに大変なんだろうとすごい苦しかったし、未来に希望を持てなかった。

高校1年生の時に建築家の安藤忠雄さんに出会って価値観が180度変わりました。 安藤さんも貧乏な家庭に生まれたって共通点があって、その中で独学で建築の勉強をされて今は国際的に有名な方になられてますけど。そこでいろんなものにチャレンジしながら、ないものをつくりあげてきた人だなと。お金を集めるところから、この町にこういう風景や建築が必要だっていうことを実現する力にすごい感銘を受けたんですよね。

記者 その時どんな気持ちになりましたか。

西川 「これしかない!」と。本当に希望を感じました。そこからのめり込むように勉強し始めて、本当に信じられないくらい。勉強を一切してなかったんですけど学年で3本の指には入るくらいになったり、安藤さんの影響を受けてコンペとかもたくさん出してたので、賞も高校生の頃から取って特別推薦とかで学費の免除とかもあったんです。ただ行きたい神戸芸術工科大学にはすごい先生が集まっていて、私立なんですけど講師陣が素晴らしくここで建築を学びたいと。とにかく学費も集めて自分に投資しようと思いその大学に行きました。その頃には絶対建築家になるって思っていましたし、その未来を作っていくんだと強く思ってたんですね。

ところが大学に入って全国の建築を見て回ったんですけど、その時に違和感があったんです。建築業界ではすごく評価されているけど実際そこに住む人の不満が大きく使いづらいなどのギャップみたいなものがあってですね。モノづくりが非常に一歩通行だと思ったんです。先生と言われる建築家のデザインだとしても使う人は不満を抱えている。本当にあるべき姿はもっと一緒に創るものだったりとか地域の人たちにとって愛されるもの。使い続けられるとか育てていける建築がモノづくりであるべきじゃないかなっていうことを考えだしました。

記者 なぜ西川さんはそこに問題意識を持っていたんでしょうか。

西川 振り返ると、一緒に創るっていう感覚をすごい大事にしていたかなと。小学生の頃からかもしれないんですけど。

小学校3年生の時に野球チームがなくて仲間と一緒に創ったんですよ。チームを立ち上げて僕はずっとキャプテンをやっていたんですけど、練習する場所がないので川沿いの土手でやるんです。そういうところからメンバーも増えてチームも強くなっていって。当初は30対0とかで負けるんですけど5、6年生になってくると強豪みたいになりクラブチームからスカウトが来た。実際僕の後輩とかも甲子園で活躍したりプロに入ってるメンバーもいました。

そうやって創っていくみたいな、野球チームをみんなで作ることとかをわりと自然と行ってきたのかな、一人でやるというよりかはみんなで一緒に作るっていうのも昔から僕はやってたかもしれないですね、経験としては結構大きい気がします。

「こんなに自分に向き合ってくれる大人って初めてだった」

記者 お話伺っていると野球チームもないところから作る、お金もない状況から自分で何とかして大学へいくなど、ないものを作っていくことを大事にされている。何があればそう出来るのでしょう。

西川 何なんでしょうね(笑)
子どもの頃はすごいハングリーだったってのもあるでしょうね。塾にも行けないしある意味貧乏だったっていうのが何もないって感じなんで。だからそれを作り出すというかそうせざるを得なかったっていうのはあるのかなと。

小学校3年生になるまではほんまに悪いことばかりしていたんですが、その時に野球の監督に出会ったのは大きかったんですよね。僕らに毎日ボランティアで野球を教えてくれた人で雨の日でもその人の家で素振りをしたりと、とにかく365日一緒に過ごしていました。

監督は自分の子どもでもない地域の子どものことを本当の親以上に面倒を見てくれた。そういう地域っていうのは大きかったですね。その人に出会わなかったら僕は何をしていたんだろうと。だからその地域の親以外の人との出会いってすごい大事だなと思っていて、それは今やっているいろんなプロジェクトに表れています。地域の人と新しいつながりができるかとか一緒に学び合える環境を作ることとかっていうのはきっかけにはなってきますね。

記者 西川さんにとって監督との出会いでどんな変化があったのですか。

西川 毎日説教されたんですよ、その監督から。野球ができるってのはいろんな人のおかげなんだ、と。野球を通して生き方・考え方とか道徳みたいなことを教えてくれました。親のこともそうだし挨拶はきちんとするとか、そういう道徳的なことを受けて変わっていったっていう感じですかね、1年ぐらいかけて。やっぱり日々向き合ってくれたっていうのは大きいですね。こんなに自分に向き合ってくれる大人って初めてだった。

記者 悪いことばかりをしていたという当時の西川さんにとって、本気で向き合ってくれる大人がどれだけ大きかったのかが伝わってきますね。

最後に読者に対するメッセージをお願いします。

西川 未来は自ら創る。
これはCo.to.hanaの行動指針にも入ってるんですけど、これがやっぱり大事かなと。生まれたこの親のせいだとか生まれたこの地域がとか、やっぱり自分も周りのせいにしてきたので。ただ自分を弁解してるだけみたいなことを言っていても何も変わらないなと。そういう思考よりは自分に何ができるかとか自分のアイデアとか行動で未来を変えていく方がよっぽど楽しくて可能性があるんじゃないかなと。

未来は自ら創るっていうのが一番大事にしたいところですね。

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西川 亮さんについての詳細情報についてはこちら

NPO法人 Co.to.hana


 【編集後記】

今回記者を担当した中村とCallingerの帆足です。
ここでは書けなかった事件、監督の自殺や中学野球部の復興、お母さんとの死別など、数え切れない葛藤の中で未来を創ることに尽力されていることを感じました。今後ますますのご活躍を応援しています。

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この記事はリライズ・ニュースマガジン“美しい時代を創る人達”にも掲載されています。


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