完全リモートワークのGitLab社を支える「GitLab Handbook」とは何なのか
ITエンジニアにはお馴染みの、効率的なソフトウェア開発を支援するDevOpsプラットフォームであるGitLab。
GitLabを開発・提供しているGitLab社はオフィスのない世界最大のリモート組織と呼ばれ、世界67カ国2,000人以上のメンバーがリモートワークをしています。プロダクトだけでなく、働き方改革の文脈でも注目されているのです。
一部の企業ではリモートワークからオフィス出勤への揺り戻しが起きつつあります。リモートワーク特有の問題(コミュニケーションや効率性など)から生じた動きですが、GitLabではこうした問題をいかに解決し、またどうやってリモートワークで成果を上げ、成長を遂げているのでしょうか。
その土台となるのが「GitLab Handbook」という、同社の組織運営と仕事のやり方に関するすべてがまとめられたハンドブックです。会社の歴史からコミュニケーション、評価制度などあらゆることが記載されており、全従業員がその内容を参照しながら仕事をしています(日本語版もWebで公開されています)。
この「GitLab Handbook」を読み解き、リモートワークを導入している企業だけでなくあらゆる企業に役立つ組織運営のノウハウを解説している書籍が『GitLabに学ぶ 世界最先端のリモート組織のつくりかた』(翔泳社)です。
著者の千田和央さんは「GitLab Handbook」を参考に、自社をオフィス中心の組織からリモート組織へ移行することに尽力。本書にはその経験から得た学びも詰め込まれています。
本書では全従業員が参照でき、「憲法に当たる唯一絶対のルールブック」であるハンドブックを作ることが重要だと書かれていますが、それはなぜなのでしょうか。そして、ハンドブックにはどんなことを記載すべきなのでしょうか。
今回はそのポイントが解説されたパートを紹介します。GitLab社の「ハンドブックファースト」がいかにリモート組織を支えているか、その片鱗を知っていただければ幸いです。
ハンドブックを制定する
「GitLab Handbook」こそがGitLabを世界最先端のリモート組織たらしめている、最も重要な組織の土台になるものです。
「GitLab Handbook」はGitLabの歴史、Value、カルチャー、コミュニケーション、評価、マネジメント、報酬など、組織に関するあらゆることが3,000ページ弱にわたって記載されており、そのほとんどがインターネット上で公開されています。
GitLabの従業員はこのハンドブックを見ながら業務に取り組み、全従業員がハンドブックを改善していくことでGitLabのリモート組織は成立しています。
信頼できる唯一の情報源
ハンドブックは、国家にたとえると憲法に当たる唯一絶対のルールブックです。ここに書かれていることは公式なルールであり、ここに書かれていないことによって物事が決まったり、制限されたりしないと保証されなくてはなりません。
情報は1カ所に集約され、暗黙のルールや例外を認めません。こうした考え方は、「SSoT:Single Source of Truth(信頼できる唯一の情報源)」と呼ばれています。SSoTを実現するためにGitLabは「ハンドブックファースト」というキーワードを掲げ、あらゆる情報をハンドブックに集約しています。
この唯一の情報ソースを参照すると、組織に関するすべてが書かれており、他に隠されたルールがなく、文言は誰が読んだとしても可能な限り解釈の余地が少なくなるように言語化が徹底されています。
これによってハンドブックを読みさえすれば、どのようなテーマであってもあらゆる文化・価値観を有する人たちが近い解釈に至れるようになります。SSoTとしてハンドブックが存在することで、すべての従業員が安心してパフォーマンスを発揮できるインクルーシブなインフラとして機能しているのです。
ドキュメント化するほうが効率的
オフィスワークからリモートワークに変わることで仕事がしづらくなったと感じる人は、わからないことがあったときに都度質問できなくなったり、表情や態度によって温度感を伝えたり、曖昧な指示が出せなくなったりすることなどに不便さを感じることが多いのではないでしょうか。
そうしたオフィスでの仕事の進め方は他人に配慮して言語化をしなくて良い分、容易であったのは理解できます。しかし、同じ質問を何度も繰り返すよりも、その答えがハンドブックに記載されていれば簡単に答えを得られるため効率的です。
しかも、それはあらゆる従業員が活用でき、どんなに従業員が増えても対応できる拡張性を持っています。基準が言語化されることによって、属人性や曖昧性を排除することが可能となり、他の誰かの判断を待たなくてもプロジェクトを進められたり、確認のために上司の機嫌がいいときを狙って相談しに行くといった、顔色を窺う必要もなくなります。
すべてをドキュメント化することは、直感的には手間がかかりスピードが落ちるように感じるかもしれません。しかし、ドキュメント化は本質的なスピードを向上させる取り組みです。
たとえば、対面で質問をすれば5分で答えが見つかるかもしれませんが、質問者と回答者で合わせたら10分の時間を消費します。これが月に一度発生すれば年12回となり、それと同じ質問を100人が行っていたらどうでしょう。トータルすると年間で200時間という膨大な時間が質問に費やされることになります。よく聞かれる質問を10分でドキュメント化したとしたら、たった10分の作業で年間200時間のうちの大部分が削減できるわけです。
「誰に質問すればいいかわからず、わかりそうな人を探す」「質問したい相手が席にいないので作業が止まる」「回答を試してみたらうまくいかず再度質問する」といったケースも含めるとさらにコストが増していきます。
質問される側のコストもこれだけではありません。先に述べた通り、集中して作業をしていた人が話しかけられて集中力が途切れると再度集中できるまで23分15秒かかってしまいます。このようなたった10分でドキュメント化すれば避けられるこうした見えないコストが、オフィスワークでは積み重なり続けています。
心理的安全性が高まる
さらにハンドブックファーストは時間的なコスト効率が良いだけでなく、心理的安全性を高め、従業員の自律的な行動を促すことにもつながります。
たとえば、部下に十分な背景や意図の説明をせずに独断と偏見で意思決定をしている上司と一緒に仕事をする場合、こうした人たちに対して何かを提案する従業員は少なからず恐怖を感じています。
何が正解かは上司の気分次第で、間違ったことを言ってしまうと非難や攻撃を受ける可能性を想してしまうためです。こうした状況では新しいことにチャレンジしたり、権力者に対して何かを提案しようとは思えなくなってしまいます。
しかし、ハンドブックに記載された明確な基準で判断されることがわかっていれば、基準を満たしていれば誰かに攻撃される恐れがありません。明確な基準を守ることで心理的安全性の要件である「無知・無能・邪魔者・ネガティブだと扱われない」ことが保証されているならば、従業員は安心して新たな挑戦ができるようになります。
憶測を招く曖昧な表現を使わない
このようにハンドブックファーストには大きなメリットがありますが、その一方で正確なドキュメンテーションを行えるようになるためには一定の訓練を要します。
不要な臆測を招かず、誰もが理解できる明瞭な文章を書くためにはある程度の経験が必要です。特に日本語は曖昧な表現や同じ単語であっても広い意味を持つ言葉が多く存在します。
ガイドラインを整備し、GitLabが推奨するようにドキュメンテーションの専門家をアサインすることを検討しても良いでしょう。従業員に対してドキュメンテーションのトレーニングを用意することも有効です。
また、ハンドブックをせっかく作成したとしても、活用されなくては意味がありません。ハンドブックはいつでも誰でも参照できるようにアクセスしやすい場所に設置されている必要があります。
ハンドブックを設置する場所ですが、GitLabを活用することもできますし、Notionなどのツールを利用することも推奨されています。また、Suddenly Remote Handbookというハンドブック作成のためのテンプレートも用意されているので、こちらを活用するとスムーズに始められるかもしれません。
なお、ハンドブックをWikiで作成することは将来的に構造を大きく変更することが困難であるため推奨されていません。
誰でも更新の提案ができる
GitLabではハンドブックの更新に関してはあらゆる従業員が提案を行えますが、ハンドブックに取り入れる(マージする)のは権限を持つ承認者(DRI)が行っています。DRIはハンドブックに取り入れる基準を満たすようにレビューを行い、必要に応じて修正を提案者に依頼します。
ハンドブックに掲載されてはじめて公式のルールになるため、全従業員がハンドブックに変更を加えられる状態であることが透明性を保つための絶対条件となります。
したがって、あらゆる従業員が日常的に提案を行い、公正なルールづくりを担っている実感が持てる状態を維持しなくてはなりません。DRIはハードルを上げすぎないよう、提案を促すようなフィードバックをすることが望ましいでしょう。
また、新入社員のオンボーディング(新人研修)にハンドブックへの提案プロセスを織り込み、入社間もない社員でも会社に貢献できる経験を用意することで、自然と馴染めるようにするといった工夫も重要です。
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