現代教育(テスト制度)についての雑感

今日、大学四年生の後期にして、おそらく人生最後であろう『テスト』を終えた。

高校を卒業した俺は日本のコテコテの「試験のための勉強」という学びの檻から開放され、アメリカの「リベラルアーツ」というなんでも好きなことを自由に楽しく学べる環境で羽ばたけると期待に胸を膨らませていた。

一年目はいろんな制限がありながらも、自分の好きな科目を選んで学べるというな制度に非常に満足して積極的に学んだ。しかし2年目3年目で余裕がでてき、教育に興味を持ち優れた学術機関の存在を知った時、リベラルアーツよりよい教育の形が世の中に多くあることを知った。

「学び」についての考えが浅かった。物心ついた時からそこにあった「テスト」というのは親がいるくらいに当たり前にそばにあるものだった。なんせ科挙の時代からあるようなものなのだから(笑)

しかし、どうであろう。実は多くの教育心理学の論文で、学生がテストで勉強したことの9割以上を一年後には忘れているという研究結果を示している。まぁ、正直こんなことは実験するまでもなくみんななんとなく実感していることではあるが、、、

リベラルアーツという教育の中にもやはり山ほどテストというものは存在した。そして、悲しいことにテストの意味を否定する教育心理学の授業にすらそれは存在した。

自らの学問で否定されたことを実践しなければいけない矛盾ほど自分にとって苦しいことはなかった。今日のテストは環境心理学で環境を保護するためのマインドセットみたいなことを回答したのだが、たった10問のショートアンサーのテストで回答用紙として使用されたのはGreen Bookと呼ばれる新品の小冊子だった。これを4,5ページほど使った後でみんながこれを捨てることを思うと憤りしか分かない。

『知行合一』を人生に掲げる自分として四年間これほど許せないことはなかった。この制度も許さなければ、それに屈してしまう自分の弱さにも憤った。しかし、今日という日が(おそらく)人生最後の試験になったことは非常に喜ばしいことだ。

リベラルアーツは今更になって日本でもてはやされているが、アメリカの制度としてのリベラルアーツは遅かれ早かれ時代遅れのものになるだろう。