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思考の連鎖とイノベーションの因数分解

コペンハーゲン出身のヤン・ゲールという都市デザインの巨匠に興味を持った。

彼の話をYoutubeでみていて、なんかいいなと思ったので、こういう発想をしている人は他にもたくさんいるのだろうけれど、なぜ彼がいいと思ったのかを考えてみた。

たぶんその違いは「コンセプトがわかりやすい」ということなのかもしれない。建築や都市デザイン界隈の方々の論は概してわかりにくいから余計に際立つというか(この問題への鋭い考察は、嶋田洋平✕藤村龍至の対談Youtubeがとても面白かったし他業種にも参考になる考え方だと思った)。

「わかりやすい」ということで連鎖的に思い浮かべたのが、「英語」という言語。アメリカという国や英語という言語は、明快で合理的なコミュニケーションのためのツールな気がする。

そこから連鎖的に今度は「合理的」ということについて考えたくなり、さらにそこから「イノベーション」について考えてみたくなった。

アメリカがイノベーションに強いのは、もちろん英語が世界言語化していることもあるかもしれないけれど、その最大の理由は「世界標準化する」ということと合理的な考え方がとても相性がいいからなのではないかという仮説を立ててみた。

ただし、それは中身が創造的・独創的かどうかということとは関係ない。あるとすれば過去人類が生み出してきた創造性を合理的に解釈することで、以降の人々がそれを踏まえて次の創造に向かえるという点。これはもちろん合理性の強み。

最近の企業人たちは「イノベーション」という言葉が大好物で、その実態のない存在を神のように崇めていたりする。しかし「イノベーション」とひとくくりに言うけれども、少し考えてみると社会的にイノベーションと認知されている事象は、①イノベーティブなものを生み出すことと、②それを世界に広めること、の2つの段階があるのではないかと気付く。

そして合理性のトレーニングをしているアメリカは②が圧倒的に強い。でも①は本当にアメリカの強みがどれくらいあのかと考えてみると、あまり納得する答えはないような気がする。逆に独創性だけでいえば日本のオタク文化のほうが圧倒的という見方もできる。

世界のイノベーション事例を学ぶことは、②のトレーニングにはなるけれども、①のトレーニングにはそこまでならないかもしれないということ。では①をトレーニングするにはどうするのかといえば、日本の独自性は何かという、自分たちのアイデンティティを構築している文化体系をきちんと理解し、それを自在に使えるレベルまで体得することなのではないだろうか。

なんかそんなことを考えてみた。

そしてぐるっと回って、最近掘り下げている「日本文化」というテーマにつながってきてしまった、という話。

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