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人生は確率のゲーム

中学時代に所属していたバスケットボール部の先生は、その鬼のような厳しさで他校からも恐れられていた。真夏の体育館で、水も飲めずに何時間も走らされつづけ、みんな隠れて吐いていたし、だいたい毎日殴られていた。

そんな先生が、耳にタコができるくらい繰り返し言っていたのが、「バスケットは確率のゲームだ」という言葉だった。当時は、それより水を飲ませてくれ!という思いしかなかったけれど、今ならばその言葉の意味がわかる気がする。

バスケットボールというゲームでは、どれだけ血の滲むような練習を重ねたとしても、ゴール下からシュートを狙ったほうが入る確率が高いという事実は変わらない。だからどこにも走り負けしない体力とスピードをつけて、可能な限りノーマークに近い状態でゴール下から打てる確率を高めることが、最も合理的だと言いたかったのだと思う。

ふとしたことから記憶が蘇り、中学時代に言われ続けたその言葉が、最近になってよく頭に浮かぶ。

すべての仕事や日々の予定は、あらゆるシュミレーションを重ね、完璧に準備をしたとしても、必ずしも予想通りに進むとは限らない。現実の世界は、非合理的な人の感情や、偶然のできごとなど、たくさんの不確実性の中で進んでいく。

ではなぜ気が遠くなるようなシミュレーションを、短い時間のミーティングや何かの本番のために行うのか。それは、うまくいく確率を上げるためでしかない。一発逆転のスリーポイントに頼るのではなく、論理的にゴール下でノーマークのシュートを打てる確率を上げるためである。

そう考えると、人生そのものが確率のゲームである、と思えてくる。

不確実な時代だから戦略を立てるのをやめて臨機応変に対応を、という考え方もあるけれども、適切な戦略に従って努力を重ねることで目指すべきゴールに辿り着く確率をどこまでも上げることができるという、「努力の意義」について考えることもまた大切である。

時々、自分自身に問いかける。今日も自分は可能な限りの努力をしただろうか?と。

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