方程式サンフランシスコ→解法ポートランド→結論東京

<イントロダクション>

301としては毎年恒例となった二週間の夏季休暇を利用して、来年スタートする新事業視察を兼ねてアメリカ西海外はサンフランシスコとポートランドを巡る旅をしてきたので、そのレポートをまとめておこうと思う。

都市や文化の話とは別に先に書いておきたいのは、二週間という、クリエイティブ業界的には結構な超長期休暇(IT系だと割とあるのだろうか?)を個々がどうデザインするのかが結構重要であるということ。これは301のメンバーになると年に一度、必ず向き合わないといけないテーマであり、14日間という期間設定もそう思わざるを得ないように設計していたりする(参照:301が2週間の夏休みをとる本当の理由)。

個人的なひとつの答えは、普段の常識から外れるほどに強烈な体験をすること、つまりカルチャーショックを受けること。国内で通常深掘れないものを強烈に深掘りするとかでもこれは可能かもしれないけれど、文化の違う場に物理的に移動してしまうというのは、結構わかりやすくそのスイッチを入れる方法だと思う。

普段の常識から離れるということは、物事を俯瞰して考えるきっかけにもなる。301では、四半期に一度個々が中長期的な視点に立って組織と自分の成長についてディスカッションする場を設けているけれども、それでもやはりそれは普段の仕事の延長線上の話が多いので、それよりも俯瞰して物事を捉えるというのは経営層であってもなかなか難しかったりする。

なので、そういう体験や期間を年に3回くらいつくることができたら、視点を固定せずぐりぐり動かしながらマクロとミクロをいったりきたりすることで、気持ちが一年中新鮮でクリエイティブでいられるのではないかと思うし、これからビジネスを一緒につくっていく中心となるような関係性の人たちと一緒にそういう旅ができたらものすごくいいのだろうなあと思う。

前段はここまで。以下、実際の旅で得たことを共有。

<サンフランシスコ篇>


Uber Express POOLの衝撃

この旅一番の衝撃、Uber Express POOLは、"ライドシェア"というコンセプトの本領を発揮するサービス(まだサンフランシスコ市内でしか導入されていないっぽい)。日本では相乗り文化がどこまで馴染むか…という話はあるけれど、Airbnbだってここまで浸透すると想像していなかったはずで。そういう小さな話ではなく、とにかく人々の移動の概念が変わるような仕組みであり、彼らが本当に「世界の仕組みを変えてしまう」のだろうという気概を感じさせる(いつの時代も日本で文学賞をとるのは刹那を描いていて、アメリカは一代記なのであり、2018年時点ではまだそうした価値観の中で国や文化というものが成立している)。

Airbnbとか西海外のスタートアップたちは、そういう世界観の中で競争していて、もちろんGoogleのサービスなんかもそうした世界観の中から生まれてきている。かつて映画「トランスフォーマー」を観た時に、もう日本はどうひっくり返ってもハリウッドのCGレベルに追いつくことはないという衝撃を受けた記憶があるけれど(とどめは「インターステラー」)、今回のUberの衝撃は、ITによって世界を変えていくという文脈での同じような体験だった。

都市計画とか、国の仕組みをつくるような仕事に携わる人たちは、もっともっとこういう文化や価値観をリアルに見てほしいと思う。そういうものを見た上で、真似するのではなく(ここ大事)、では日本ではどういうことができるだろう、という未来へのディスカッションを始めるのがスタート地点。同世代のそういう仕事を手がける人たちと、そういう話をたくさんしたい!と思った。

コペンハーゲンとサンフランシスコ

サンフランシスコという都市で成長するフードカルチャーは、昨年行ったコペンハーゲンで感じた食のクリエイティブなムードとはまた違う形の衝撃を受けた。コペンハーゲンがミュージシャンたちがアルバムをつくるような軽やかさでお店をつくると例えるならば、サンフランシスコでは、ITサービスを立ち上げるような感覚で事業をつくっていくような印象。シリコンバレー文化の影響もあり、店というよりもサービスをつくっていくような気分なのではないかと思う。

コペンハーゲンはもっと職人っぽくて、日本人はこっちに近いと思う。サンフランシスコ文化の中では、「職人」ではなく、コンセプト・クラフトマンシップを合理的に実装しているという感覚。

サンフランシスコ文化にはもちろん西海岸のヒッピー文化も入り混じっているし、ジョブズの思想なんかもまたそういう世界観から形成されているのだろうなあというのが現地にいると結構リアルに感じられる。そういうこともあってか、シリコンバレーに近い都市であるサンフランシスコのApple Storeはめちゃくちゃかっこいい。気合の入れ方やスケール感が全然違う。コンセプトや美学にスケール感が掛け算された感じで、有無を言わさぬ破壊力。これは伝えにくいというか…行かないとわからないというか…とにかく想像を超えてくる。Uberの衝撃とApple Storeの衝撃が、なんかものすごく自然に結びついた。

シリコンバレーで開発したコンセプトと社会システムを、都市サンフランシスコで実装実験して、よい実装にはきちんとお金を払う住民たちがいて、うまくワークするならじゃあグローバルに、という世界を変えていくエコシステムのようなものが完成しているし、それ故にものすごくポジティブな空気が流れている。アメリカでITビジネスをやることがかっこいいという価値観の片鱗をはじめてリアルに感じた気がする。日本の世界観とはちょっと違いすぎて…日本で伝聞的に情報を得ていてもぜんぜんわからない。

ウェイティングバーとドリンク文化

欧米のレストランにはだいたいウェイティングバーがある。どの店も、これが現代的に進化した状態で存在している。お酒飲む量が違う日本にはウェイティングバー文化がないから、格好だけ真似るのも違う気がするけれど、ウェイティングバーというのは飲食店が活気があるように見せる効果もあってなんだかいいなあと思った。

大人気TARTINE Manufactoryはパンがメインのお店なのにカクテルメニューもいい感じだった。オンメニューしてるのは7-8品だったかな。迷いすぎず気になる2-3杯を飲める感じで構成されている。あまり技術頼りじゃないのか、あるいはバーテンダーの総人口が多いからなのか、それぞれの店にちゃんとカクテルをつくれる人がいる感じ。層が厚いのから?北欧でもカクテルはあったけれどバーテンダーの存在感がなかったのは、ナチュラルワインが主流だから?どちらにせよ、ロンドンでも思ったけれども、欧米は日本よりもドリンク文化が豊かだなあということ。お酒のシーンが広いだけで、液体文化がとても豊かな感じがする。

また液体にまつわる文化という視点でいうと、五年前にNYブルックリンのブルーボトルに入った時に受けた衝撃を超える体験はまだないかもしれない。そして日本で体験するブルーボトルは、アメリカのそれとは何故か少し違う…抜けた感じがないというか、なんだろう…ブルックリンで出会った時のブルーボトルは、そこから色々なものが生まれそうな期待感やエネルギーが溢れていた。実は会社をやめることを決めたのはそのブルーボトルを見たすぐ後なのだけれど、今思えば、自分が手掛けている仕事とそこで感じたエネルギーのギャップと衝撃が、もしかしたら決断を後押ししたのかもしれない。


LIVE or DESIGN

これもサンフランシスコ文化から気付いたことだけどれど、自分が好きなのは、社会を変えてしまうようなコンセプトを、おしゃれにやるのではなく、クリエイティブに社会実装していくということ。おしゃれであることとクリエイティブであることは、グラデーションしているけれど、ちょっと気質が違う(おしゃれという表現は語弊があるかもしれないけれどなんかそんな印象…)。例えばシェパニーズ流のレストラン(自分の経験だとCAMINOや日本だとブラインドドンキーとか)はかっこいいけど余りワクワクできなくて、noma流のレストラン(自分の経験だとコペンハーゲン108やUnder the bridge)にワクワクした理由はここにあるだと思う。

あと不良感のような?ひっくり返してやろう!みたいなムードというか。余談だけど、301は自分が考える生き方が現在の社会システムの中にうまくフィットしなくて、居場所を模索しているような連中が集う場所であると思っている。

また少し視点を変えて表現すれば、自分は「デザインされたもの」にクリエイティビティを感じるし、そういうほうが好きだということ。どちらかと言えばワインよりもカクテルのほうがワクワクするし、舞台よりも映画のほうがワクワクする。完成された表現物に対するこだわりというか、文字を配置する場所を1ポイント単位で探っていく感覚のような。


THE MILLの衝撃 

THE MILLは、フォーバレルコーヒーとパン屋のジョイントベンチャーだとか。ベーカリー併設。純粋にかっこよかった。空間・見せ方は超シンプルだけどクリエイティブ。空間はさながらスタートアップ初期のオフィスのような飾らない感じなのに、なんかエネルギーに満ちている。出すものはシンプルだけど、中身で勝負!みたいな。アメリカだからパンとコーヒー、というロジックも極めてシンプルで合理的(深読みしすぎ?)。

「一緒にやっちゃう?」みたいな気軽さと、それによって世界を変えようとすることへのビジョンが明確である感覚が西海外のスタートアップっぽくて、コペンハーゲンはもう少し「ものづくり」な感じがした。西海岸のローカル思考とかクラフトマンシップとかは、合理的に、そういうコンセプトを実装しているような感覚。今こういうデザインがトレンドだから、フラットデザインでやっていこう!みたいな。

クリエイティブとクラフトマンシップのバランス感覚というのは結構大事だなあというのも感じた。コンセプトとしてのローカリティやクラフトマンシップ。あと色々な店のHPをみていると、どこもアメリカじゃなくて、サンフランシスコとかベイエリアといった言葉をたくさん使っていて、ローカリティへのこだわりを感じる。レストランのメニューにも、ブルーボトルのコーヒーとかフォーバレルコのコーヒーとかがちゃんとクレジットされていて、合理的にコンセプトが落とし込まれている。このへんはコペンハーゲンもそうだった。北欧だとmanifestoと書いているところが多かったけれど。

またこれはコペンハーゲンでも思ったことだけれど(参照:制約×プライド×チームが創造性を爆発させる)、コンセプトという方法論で制約をつくることで、逆にクリエイティビティを引き出すという発想は面白くて、クリエイティブディレクションという仕事もある意味マクロでそれをやっているのだと思う。

みんながUberを使いこなし、Appleがその圧倒的存在感を示し、Blue Bottleが巨額の資金調達をしていて。そういう世界観や文脈の中で、サンフランシスコの飲食業もまた存在している。これがコペンハーゲンの文脈との違い。
あと大事なのは「誰がやるか」ということ。もともと飲食には「◯◯で修行したシェフが」という文脈への意識があると思うけれど(シェパニーズの流れはこっちぽい気分)、ITサービスもそうで、「◯◯を立ち上げた誰々が◯◯をつくって」みたいな文脈があって、そういう感覚や文化の相性がいい感じにミックスされているような(THE MILLとかはこっちの気分)。

ふとデザインの世界に思いを巡らせてみると、こういうことがないのはなぜだろう?と疑問を持ってしまう。自分のやりたいことではなく、クライアントワークをやっているから?ここはもう少し掘り下げてみても面白いかもしれない。

<ポートランド篇>


ポートランドの朝

ポートランドは、多くのカフェが朝6時からオープンしている…すごすぎる…カフェ比較でいうと日本は美味しいコーヒー飲める場所はものすごく増えたけれど、その多くはスタンドであって、ポートランド的に言うところの「ネイバーフッド」的なカフェはあまりないよな、と思う。ちなみに自分は滞在中ずっとダウンタウンの近くのStumptown Coffeeに通っていて、そこは確かに短い間だったけれど自分のネイバーフッドだったと思う、とりあえず朝起きたらそこに行ってMacを開いて、一日の予定を考えていた(電源も結構たくさんある)。

東京ではそういうネイバーフッド的役割を果たしているのは今のことろスタバだと思う。東京ではカフェがスタイルになってしまっているからなのか事業的に収支のバランスが合わないからなのか、独立系カフェで美味しいコーヒーとゆったりできる居場所感が共存している場所はなかなかなくて、ここはカフェ事業やっている人たちとディスカッションしてみたいポイントのひとつではある。


エースホテル分析

ポートランドのエースホテルの心地よさの本質は、誰にでもオープンでありながらもちゃんと秩序があるからなのではないかと思った。ホテルのスタッフがすぐにゴミとかを片付けてくれるし(これは他のカフェでもそうだったからポートランド文化なのかもしれない)、いやいやな感じでもなく当たり前のようにそういつ秩序を保っている感じがした。デザインされた心地よさは、日本のそれと少し似ている気もする。

逆にDIY的な要素が強いcoavaコーヒーは個人的にはあまり魅力的に思わなかった。もちろんセンスよくやっているのだけれど、洗練より無骨さといった感じで、それはいわゆるアメリカ感だし、昔からのポートランド感なのだろうと思う。でもこれは好みの問題。


ポートランド的文化とは

誰かのマネをするのではなく、自分たちのやりたいことを、自分たちなりの方法論で、ちょっとセンスよくやっている感じ。いい意味で田舎的で、日本でいう金沢とかの感覚に近いのかもしれない、サイズ感的にも。

個人的にはサンフランシスコという都市のクリエイティビティのほうがワクワクした。それは、見たことのないものを見たいという衝動。それが自分の根源的な関心なのだろう。見たことのないものを見たい、つくりたい、そういう視点を発見したい、そして表現したい、みたいな。

ポートランドのまとめはなんだか雑だなあ…でもそれくらいサンフランシスコのほうが強い衝撃があったということで…


<総括:世界一クリエイティブな都市・東京>

いつも海外の都市をみて思うのは、東京は超クリエイティブだ!ということ。灯台下暗しというか、自分たちが馴染んでいる文化体系につい人は盲目的になってしまう。あらゆる文化を受け入れ、飲み込みながら、それらを高い次元で独自進化させ、洗練させていく。そんな都市は世界のどこにもない。飛行機で10時間かけて辿り着くアメリカの本家ハンバーガーよりも、家から徒歩10分で辿り着く15℃のハンバーガーのほうが美味い!と思ってしまう。と思いつつも、改めて文化比較をしてみる。

アメリカは、多民族国家であることから合理的なコミュニケーションが文化的下地としてある。合理性(=誰もがわかるように伝えられるということ)は、ビジネスとグローバリゼーションにとても相性がいい。故にスケール感、世界を変革していく。

日本は、単一民族国家であるから、ドメスティックで奥深くて繊細で洗練されたものが特異。世界を奥深くすることに長けている。おもてなし、職人性、そういう言葉で説明できないものが日本の特徴。

繰り返しになる部分もあるけれど、アメリカはそもそも人種も宗教も背景も違うような人たちがいかによく生きるかを考えてつくられた仕組み。徹底的にシステム化すること、合理化すること、しかし多様性をそこに内包すること。その答えが、自由というコンセプトとシンボルの名のものとに、国家がすべてを管理するという「システム」。それがアメリカという国の正体であり、その超合理性は、「異なる背景を持った人々に効率的に伝えることができる」という特徴を持っているが故に、ビジネス理論、論文、グローバリゼーション、といったものと非常に相性がいい。

では日本人の自分たちがどうすべきかというと、そういうアメリカの超合理性をリスペクトしながらも、それを日本独自の形に進化させ、洗練させていくということ。それはグローバリゼーションとは相性がよくないのかもしれないけれど、経済規模の大きさだけが世界を変えるわけではないことは、利休や過去の日本文化がある意味で証明している。

「日本的な独自進化」。それが自分たちが持つべきコンセプトであり、それによってよりよい世界を提示していくことが日本的ビジョンなのではないかと思うし、そういうことを考えながら未来を構想していくのはものすごくワクワクする。というポジティブな感情で、旅のレポートを締めたいと思う。

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大谷 省悟

301

301という組織が描く理想と日々の取り組みについて。
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