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今さらの「評価」

先日、伊藤羊一さんのVoicyで菅首相の不出馬について触れられていました。

内容としては、菅さんが退陣表明をしてから、周りから「もっと評価されていいのに」と声があがっていることについて話されています。

これを聴いて、辞職を切り出すと「実は評価していたんだよ」とか「次の人事では昇格させようと思っていた」とか言い出す人もいるよなぁと思いました。評価してもらっていることは嬉しいんですが、そういうのは常日頃から、もしくは適切なタイミングで伝えてほしいですよね。であれば、この仕事を辞めようと思うこともなかったかもしれないですし。それに、辞職を切り出すときにはもう次が決まっている場合もありますし、「今さら評価されても困る」という人たちもいるんじゃないですかね。

大切な仲間や部下が離れていく段に至って、心を引き留めようと思っても手遅れになっている場面が多々あるかと思います。
どうして、評価ができていないという事態となるのかについて、自分なりに思うところを3つ考えてみました。

①評価するタイミングが無い

普段の雑談や飲み会などでそういう話をしていたかもしれませんが、このコロナ禍ではそういう機会も無く…またそういう場面では普段から近しい人でないと、なかなか言いづらいという人も多いかと思います。

そういう時こそ、会社で設定されている定期面談みたいなのが活用されればよいのですが、その期間が半年とか一年単位のところだと、けっこうな期間なにも評価のコメントをされないということになります。

②評価するのがためらわれる

誰かを褒めるのがなんか恥ずかしい、ミス等を指摘するのが心苦しいなど、誰かにコメントするのがためらわれるという人も多いのかなと。

①につながりますが、普段からそういう話をしていないと余計言うのに勇気がいるのかもしれません。

③そもそも相手に評価できるところが無い

「評価が大事と言われるけど、相手のどこを評価すればいいか分からない」という人もいるのではないかなと。特に自分が優秀な方はそう考える人が多いかもしれません。

普段の自分の仕事が忙しくて他人まで見ている暇が無いかもしれませんが、誰にだって何かしら評価できるところがあるものです。昨今の労働状況を考えれば「元気に出社している」ということだけで十分にすごいことだと思うんですがね…

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これら3つのことが合わさって、「全然、自分のことを評価してくれないな」と思う人が増えるのかと思います。

「そんな評価とか求めるものじゃなくて、後から自然とついてくるものだろ」という考えの人もいるかと思いますが、「一億総発信者時代」と言われている今は、言い換えれば「一億総評価されたい時代」と言えます。
発信したいということは、「誰かに見てほしい」「誰かに『いいね!』してほしい」ということだと思います。

そんな時代ですから、やっぱり何かしらの評価が必要です。

評価する側にそれぞれの事情があるかと思いますが、相手のことだけでなく自分や所属する企業のためにも適切なタイミングで評価の言葉を伝えていくことは大事なんじゃないかなと思いました。