「娯楽」と「依存」~アイドルの卒業に寄せて~

先日、推していたアイドルの卒業が発表されました。よくアイドルの卒業や活動休止の時には「ファンの方には申し訳ありません」といった謝罪の言葉が綴られていますが、申し訳なく思う必要なんてないのになぁと思います。

その人が目指したアイドルという道をひた走っていく中で、これまでに区切りを付ける決断を、ファンに対して謝らなくてもいいのではないかなぁ。卒業しても、その人と出会って得られた感動や思い出は消えるわけじゃないし、むしろそれらを与えてくれた人の決断を応援してあげるのがファンじゃないかと思います。それを応援してあげられない人、裏切られた感じる人は、その人に「依存」していたのではないでしょうか。

お笑い芸人オードリーの若林さんの著書に、「娯楽」と「依存」に関するこんな記述があります。

元本割れをしてはダメだ。占いなんかでもそう。お金を払って占いをすることで、その投資額(占いの料金)を上回る価値が日常生活にもたらされるならいいが、それに依存して例えば壺やら石やらを大量に買ってマイナスになってはいけない。純粋で正直で弱い人の不安を利用して食い潰す悪質なビジネスは今も昔もなくならない。強い信仰を持っている人が比較的少ない日本では、現実を生きるためのファンタジーを供給するビジネスはとても盛んだ。それが「娯楽」と呼ばれる範囲のものなら結構なことだが、「娯楽」の範囲を超えて「依存」になって自分の生活の質が落ちたら台無しだ。(「ナナメの夕暮れ」より)

自分の生活にハリを与えるものとして楽しんでいたものが、いつしかそれ無しではいられなくなってしまう。そういう人たちがいることが、アイドルたちが卒業する際の謝罪の言葉につながっていくのではないかと思います。

「娯楽」と「依存」の区切りは難しい。自分たちは一ファンとして応援しているつもりでも、いつの間にかその人がいないとダメになったりだとか、自分たちの夢とか期待を背負わせてしまったりしてしまう。でも相手はあくまでも自分の夢や感情で動いています。それを忘れて、相手に頼まれもしないのに勝手に自分の夢や期待を過剰に背負わせて、活動をやめる段になってやれ裏切られただの無責任だというのは違うんじゃないかなぁ。以前、嵐の活動休止の記者会見でマスコミが言った「無責任じゃないか」という発言も、ファンは彼らの活動に依存している人たちだと考える記者の発言だったのではないかと思います。

あくまでも娯楽は自分の生活をより良くするためのものであって、それに傾きすぎてはいけない。相手の世界と自分の世界が重なったことに感謝して、それを自分の人生を生きる糧にしていくのが健全な娯楽の楽しみ方かと思います。

つらつらと書いてきましたが僕が言いたいのは1つ。
日向坂46 柿崎芽実さん、卒業おめでとうございます!
これからの人生がより素晴らしいものとなることを祈念しています!