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模擬宇宙生活実験の管制官


地球から火星まで往復3~4年。その長い旅に関わるのは、飛行士だけではない。同じ期間、地上で見守り続ける人たちがいる。「管制官」はその象徴的な役割だ。

北極冒険家の事務局・栗原慶太郎さん

将来の火星飛行を想定し、閉鎖環境で過ごす実験が近年、アメリカをはじめ世界各国で盛んに行われている。だがそのどれもが飛行士に注目したもので、管制官を想定した実験はほぼない。2019年2月から3月にかけ、千葉県船橋市の元南極観測船「SHIRASE」船内で行われた実験では、管制官が2名配備された。
その一人、栗原慶太郎さんは、ふだんは北極冒険家・荻田泰永さんの事務局として活動している。荻田さんが北極や南極などに冒険に出かける場合は、日本の事務局から24時間体制でサポートする。「冒険家を支えるプロ」を目指す栗原さんは、この模擬実験も自分の仕事だと感じていた。たとえば北極の場合、定時交信の際に、現地にいては分からない天気予報や氷の状況などを日本から伝える。定時交信以外で連絡が入るときは、それは緊急事態が起きたということだ。

「その時」の対応はすべて事前に打ち合わせている。もちろんこれまで実際に緊急事態が起こったことはない。それでも冒険中は24時間気を張っている。電話は常に肌身離さず、万が一会話内容が聞き取れなかった場合を想定し、電話は常に録音できる状態でスタンバイしている。
だがそれ以上に今回の模擬宇宙生活実験では「気を使った。というか気を使ってしまった」という。

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「宇宙天気」を見て、ゴーサイン

管制室の役割は、1日2時間の定時交信をすることが主な仕事だった。この時間内に宇宙船内で何か変わったことが起きていないか報告を受けたり、クルーの健康状態を把握するため、医師からの質問表のやり取りもする。さらには船外活動(EVA)をするというリクエストが来た場合、その計画に支障がないかなどを判断し、承認を出す。そして実施当日になると、太陽活動による「宇宙天気」の状況なども確かめて、あらてめてゴーサインを出す。だが問題はその仕事ではない。1日24時間のうち、定時交信以外の時間が22時間もある。「空き時間は、さぞかしいろいろ内職できるはずだ」。栗原さんはノートパソコンの中にいろいろな仕事が溜まっていた。だが実際にはほとんど手を付けることができないまま、16日間が終了した。

「何かあったらクルー側から連絡が来るはずだ」。管制室からは船内に設置したカメラの映像が見られる。定時交信の時間以外も映像から伝わるクルーの様子が気になってしかたがなかった。また地球側での調整作業も多岐にわたった。

1日が終わり、SHIRASE船内の個室に戻っても、「もうクタクタで、仕事をする気になれませんでした。荻田さんのサポートでは、どこが抜きの部分かが分かってきています。でも宇宙実験はそうはいかなかったのです。サポートに優先度をつけ、どこにメリハリをつければよいか判断することがとても大切だと分かりました。本当の意味での24時間体制とは、どうやって抜きの時間を作るか、でもある。それを考えるきっかけになった」と話す。

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緊急事態が発生

だがこれまでの冒険サポートの経験がうまく生かされたシーンもあった。それはミッションが終盤に差し掛かってきた時期のできごとだった。
3月6日、管制室からのリクエストで、クルーに汚水タンクの水量を確認させたところなんと85%にまで達していることが判明した。宇宙船区画で使われるシャワーやトイレなどの生活排水がどうやら満杯に近づいているというのだ。これは実験のために仕込んだトラブル(グリーンカード)ではない。その日は金曜日。いまからバキュームカーを手配しても土日の作業はできない。

「4人で2週間程度の生活であれば、汚水がいっぱいになることはないと見積もられていました。だから節水には気を使っていたものの、排水タンクの容量はあまり心配していなかったのです」
この時、栗原さんは「宇宙船内にいるクルーには、外部の混乱を極力伝えないようにしよう」と判断していた。
7日の定時交信で「水の使用を極力控えてください」とだけ伝えた。水を全く使うなとは言えない。85%ということは、逆に言えばあと15%ある。残り日数を考えれば、むやみな混乱は避けたいという判断だった。

栗原さんの言葉を聞いた、船内クルーはすぐに「明日からシャワーをストップします」と反応してきた。それを聞いた栗原さんは、「シャワーが一番、使用量が多いはずだ。そこを止めれば乗り切れるだろう」と判断した。絶対に大丈夫だという根拠はなかった。トイレの使用制限や食器洗いの停止などの指示を出すという手もありえた。だがあまり細かい指示を発令しても、「船内のクルーに危機感ばかり与え、それに見合う効果が少ない」と栗原さんは考えた。だから、数値目標すら出さず、節水宣言だけををした。

一方、船内の村上さんは栗原さんの言葉を受け、その言葉の間から実際の状況を考えていた。おそらく近々シャワーは使えなくなる。その日は村上さんがシャワーに入るローテーションだったが、とっさに女子大生の髙階さんに「シャワーを浴びてこい」と言っていた。クルーにとってシャワーは4日に一度のリフレッシュだ。村上さんが自ら進んで「最も長くシャワーを浴びていない人」になることで、少しでもクルーのストレスを和らげることを狙うためだった。

10日午後3時、16日間のミッションを終えたクルーがついにドアを開け、待ち受けていた報道陣の前に並んだ。その顔は笑顔だった。だが実はその1時間前、ついにトイレの使用も中止され、歯ブラシなどの洗面も使用停止になった。栗原さんの「賭け」は、実際にはぎりぎりのところまで追い込まれていた。

何を、いつ、どう伝えるか。模擬実験は船内のクルーだけでなく、外部でサポートする側にとっても大きな教訓を与えた。

(文・今井尚、写真・柏倉陽介)


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