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2016.10.27開催「イタリアの中山間地域が元気な理由 ~負の資源をプラスに変える逆転の発想~」勉強会報告レポート

テーマ:イタリアの中山間地域が元気な理由

~負の資源をプラスに変える逆転の発想~

日時:2016年10月27日 19時~21時

講師:工藤裕子氏(中央大学法学部教授)

会場:サンケイリビング新聞社(東京都千代田区)

 この日、会場には40名ほどの参加者が集まった。イタリアで盛んとなったアグリツーリズモ、中山間地の地域再生・地域振興に力を発揮している。これがとりわけ盛んな地を、毎年学生を率いて訪れ、ワークショップを体験させているのが中央大学教授の工藤裕子氏。工藤氏は行政学が専門で、イタリアの地方自治制度に関心を向ける。その中から、例年のイタリア渡航も始まったようだ。付言すれば、氏は今般、東京の都政改革本部顧問にも選任された。

 さて、今年もまた夏にそのイタリアを訪れた。今回は、食総合プロデューサーでライターズネットワーク相談役でもある金丸弘美氏(ライターズネットワーク創設者・初代代表)も同行した。金丸氏もまた、国内各地をくまなく踏破、「食」を軸に各地で地域興しのための提案をし、助言をし、また、地元の人たちとともに実践もしてきた豊富な経験を持つ。著書『田舎力―ヒト・夢・カネが集まる5つの法則』(生活人新書)は7年ほど前に発刊されるやいち早くAmazonの地域経済部門でトップを取ったが、それからずいぶん歳月を経たこの11月に、また見事、第1位に返り咲きを果たした。

 金丸氏の発案で、このイタリアのアグリツーリズモの実情を伝えるに最もふさわしい工藤氏からお話をお聞かせいただこうと、この夜の学習会は開かれた。金丸氏は、かねて、小笠原諸島振興開発審議会(国土交通省)で工藤氏とともに委員を務めていた。

 申込者多数で定員オーバーとなり、遺憾ながら早々に締め切りとさせていただいた。参加者は行政関係、NPO法人関係、出版関係、実業関係、研究者と多彩であった。会場は熱気に満ち溢れ、質問時間もまったく足りなかったくらいである。

 工藤氏のお話は興味が尽きず、あっという間に時間が過ぎたが、このレクチャーから私が知ったこと、学んだことの一端を読者諸賢と共有したく、私の拙い理解でお伝えする次第である。

工藤裕子・中央大学教授から教わった、イタリアのムラが元気なワケ

負の資源をプラスに変える逆転の発想を、日本の街づくりにどう活かすか?

鐘が聞こえる“オラがまち”からツーリズモ

 工藤氏が学生たちとともに毎年訪れるところ、そして、今年、金丸さんも同行したところ、イタリアは北東部にあるエミリア=ロマーニャ州(州都=ボローニャ)の、フォルリ=チェゼーナ県チヴィテッラ・ディ・ロマーニャ市という土地だ。周りには何もない。静かな中山間地域である。何もないことがブランドになった。このきれいな空気を登録してしまったというのだ。

 「第三のイタリア」と呼ばれる地帯がある。周知のように豊かな工業地帯である北部と貧しい農村地帯の南部、この二極的構造をもってイタリアの「南北問題」と言うが、第三のイタリアはそのいずれにも属さない、特有の性格を持つ地域ということだ。このエミリア=ロマーニャ州一帯もそれに含まれる。

 イタリアは人口こそ日本の半分だが、その国土面積といい、南北に細長い地形ゆえ北と南とで住民の気質がかなり違うところといい、平野部が少なく山岳地帯で隔てられたところといい、地勢的に日本と類似点が多く見出せる。ボローニャなどに代表される住民自治のムーブメントでも知られたように、諸外国から地方自治の範となる国として称揚されたこともある。そのイタリア、各々の自治体はきわめて小さい。基礎自治体(日本の市町村に相当)の数は8000にも及び、人口は3000人以下のところが6割を占める。日本だったら、“平成の大合併”でとても生き残れなかったようなところばかりだ。因みに、日本は平成の大合併を経て、現在1700市町村くらいである。

 “カンパニリズモ”という言葉があるそうだ。「カンパーナ」とは教会の鐘、つまり、この鐘の音が届くくらいの狭いエリアが「わが郷土」であり、自治の単位、アイデンティティの立脚点ということだろう。草の根、自然発生的なコミュニティこそが自治の原点となっている。そこに育まれる強固な自治意識、連帯感もまた、イタリアの中山間地の力強さの秘密を探る上では見落とせないカギの一つかもしれない。

 ここ10年くらいの間にもともとは観光地でもなかった中山間地への旅行客が増えているという。世界の著名な観光地等で続発するテロとも関係なくはなさそうだ。特に世界的に注目されることなく、一見何の変哲もなく、ひっそりと地元の人が暮らす静かな土地を訪れるほうが安心で癒されるというわけだろう。

 日本では「限界集落」という言葉が象徴するように、地方の中山間地域や山村地域は崩壊の危機に瀕しているが、それに反し、イタリアではこのアグリツーリズモの勃興もあずかって、ことのほか中山間地域が元気だというのだ。日本とイタリア、この違いは何に由来するのだろう。

政府なんて信じてないから

 イタリア人は、そもそも政府を信じない。「ローマは泥棒だ!」などと、口さがないことを言う人までいるくらいだ。政府からの補助金なんか期待もしてない。なまじそうしたものを受ければ後々のわざわいの種とばかりに。だからこそ、自分たちの創意と熱意、努力で何とかしようと。それこそが活力の源泉なのかもしれない。また、地域間のネットワーク、人と人とのネットワーク作りにも長けている。

 「イタリアは存在しない」という言葉もあるそうだ。そもそも、イタリア人はイタリアという国へのアイデンティティ、帰属意識が想像以上に希薄なようだ。というのも、ローマを始め、長い歴史の中で、都市単位、地域単位にそれぞれ独自の発展をしてきたことがその一因ではなかろうか。「イタリア王国」(現・共和国)として、現在のほぼ全土が国家として統一されたのは1861年、さほど大昔ではない。日本で言えば、明治維新と大体同じころか。「イタリア」という国そのものは、そのとき新たに生まれたものだ。イタリア人である以前に、「自分は○○の人間」と、出身地、郷里がぐんと前に出るのだとか。反面、国を飛び越え、「ヨーロッパ人」であるとの自覚が勝る人も少なくないと。

 そんなイタリア人、だから、戦後の高度発展のさなかでも、日本人とはかなり違う思考様式、行動様式を示したようだ。やはり、経済が急成長するころ、イタリアでもまた、向都離村の動向が目立ち、厳しい山の生活を捨てて都市を目指す人が跡を絶たなくなった。中山間地も人口が半減し、存亡の危機に立たされた。山を守り、手入れする人が足りなくなり、治山治水にも深刻な影響が出てきた。そんなときもやはり、イタリアでは頼るものは政府ではなかった。

 カンパニリズムこそ原点とは言いつつも、決して排外的ではないらしい。というのは、この中山間地にあって、日本よりもうまく移民との共生が図られているというのである。急激な社会減により地域が疲弊しかけたころ、イタリアも移民の受け入れは盛んであったと。サルデーニャあたりの人が多く入ってきて、羊の世話など、地域産業の担い手としても期待された。しかし、その後にいたっても、その人たちは定着し、子どもも増え、地域と調和しているというのだ。この人たちによる人口減少の歯止め、また、自然増もあったため、存廃の瀬戸際に立った学校も存続した。旧住民の子どもと新住民の子どもが、ともに地域社会に溶け込んでいるようだ。

ここにあるものだけがすべて

 イタリアでは、20年くらい前からアグリツーリズが盛んになる。アグリツーリズモとは、単なる「民泊」の普及運動ではない。農業ほか生産が主体で、生産の現場、あるがままの生活の場へ遠隔地からの人々を迎え入れ、地域の現実、生活そのものを見聞し、体験してもらう。地元の食を味わってもらう。そして、そのこと自体を喜びとしてもらう。おそらく、趣旨はそういうところだろう。言うなれば、観光地の装いを凝らすのではなく、わが町、わが村の日常の中に外の人を招き入れ、しばし融和し、喜びを分かち合うという事業なのだ。

 現に、この地域でも、観光のために何かの開発をしたということはまったくなく、現実にここにあるものだけを活かしてアグリツーリズモは起こった。地域資源をひたすら活かし、開花させたということだ。現行のイタリアの法制では、アグリツーリズモの宿泊施設として営業するには、厳しい資格要件が定められているようだ。単に金儲けのため、あるいは農家のサイドビジネス、小遣い稼ぎという気構えではとても続かないものだろう。

 来訪者は意外と若いそうだ。30代、40代が主流という。リタイアした高齢者が田舎暮らしに憧憬する日本とはいくぶん様相が異なりそうだ。しかも、専門職や高校以上の教員など、概して知的水準、学歴の高い人たちが多く訪れるという。そうした人々の知的好奇心、探究心を引き寄せる何かが、この国のアグリツーリズモにはあるのだろう。

 要するに、生き方そのもの、生活そのものの上に成り立つアグレッシブなビジネスということなのだろうか。これまでのライフスタイルへの批評でもあり、新たな提案とも感じ取れる。さりとて、ガチガチの精神主義やドグマで彩られているのではまったくなく、あくまで楽しく、癒されたい人々の受け皿となっているところが長続きの秘訣なのではないのか。

 それでも、地味ながら、アグリツーリズモの普及は地域に経済効果をもたらした。押しなべて家族経営で小規模な事業なのだが、やはり、繁忙になれば相当の人手がいる。域内の雇用機会も創出されるというものだ。

 無論、宿泊だけではない。この地は、元来、農業のほか牧畜も盛んであるし、乳製品(チーズ)やパスタ、トマトソース、ハムなどの食品加工業も盛んだ。伝統的な家内工業とともに、AIやICTなどハイテク産業のちょっとした集積地でもある。小さな企業が特許をたくさん持っていたりする。また、フィットネスに関心のある人なら知っているかもしれない、「テクノジム」という会社もこの地にある。アテネ五輪以来、アスリートたちのトレーニング機器を提供している会社だ。

 それに加え、海水浴場があり、スキー場があり、温泉もあるというように環境に恵まれていることから、折からの健康ブームも背景に「ウェルビーイング」がこの地域の一つのセールスポイントになっている。自転車産業もここはイタリアにおけるメッカのようなところだ。そんなことから、この地域は「ウェルネス・バレー」という呼ばれ方をするに至った。

 他にもある。あのフェラーリ、世界的な名車を生産する会社も、ここからほど遠からぬところにある。イタリアは、産官学協働がかなり進んだ国というが、それは行政主導によるものではなく、民間から盛り上がってくる気運が育てるものだそうだ。フェラーリもまた、その世界にとどろく名声に比して、企業規模はさほど巨大ではなく、地域に強く根を下ろし、地域に支えられつつ地域の発展に寄与している、要するに地域と共存共栄している、そんな事業体であるらしい。

似たもの同士でイタリアに学べ

 産学協働といえば、イタリアがEU加盟後、このアグリツーリズモにも試練があったそうだ。それは、EUの衛生基準が貫徹するようになり、例えば、昆虫を使って発酵させるような伝統的なチーズの製法などがことごとく衛生基準を満たさぬものとして排斥されかかった。ところが、やがてそれを克服した。地元の大学が大きく貢献した。伝統製法の衛生面における問題点を科学的に分析し、研究し、工場で作るものよりかえって衛生的であると証明したというのだ。ここでも、実に自然な形で産学の連携が、見事なまでに成果を挙げている。

 イタリアは中小零細企業が95%と大部分を占め、ほんの一握りの大企業がヒエラルキーの上部に位置する。そこも日本とよく似ている。しかし、日本ではグローバリズムの波が押し寄せれば、たちどころにしわ寄せを受け、気の毒な状態に陥るのは決まって中小零細企業だ。ところが、イタリアはそうではないらしい。大企業が意外と小回りが利かず弱点をさらけ出すのに反して、中小企業は柔軟な対応が可能で、ニッチな部門をきちんと押さえた経営をしているため、得てしてしぶとく生き残るのだとか。また、同業者組合も強固であるようだ。こうした中小企業の強さというのも、地域に深く根を下ろした事業のあり方がもたらすものなのだろう。

 また、イタリアには、日本に見られる“シャッター商店街”がほとんどないのだそうだ。それも地方にはまずない、もし、そうした現象が生じるとすれば、むしろ、ローマやミラノのような大都市。そのようなところのチェーン店やフランチャイズ制の店舗は資本の論理で、状況が不利となれば徹底してしまうためらしい。これも、地方ではよりいっそう商店も地域と不可分一体となっていることの証左ではなかろうか。

 スローフードもまたイタリアに生まれ、そして、世界的なムーブメントとなった。グローバリズムに対する食文化からの抵抗運動とも言われ、確かにその側面は否定できまいが、それ以上に、自らの生き方、あり方を根本から見直す。そして、その生き方そのものを世界に訴えかけていく、そんな文化運動だったのではないのだろうか。その精神は、このアグリツーリズモにも通底しよう。

 「地産地消」がわが国でも叫ばれる。しかし、このアグリツーリズモで言われる地産地消は、もう少し意味深長なようだ。遠隔地の人々にも、この土地の産物を買い求めて、ただ食材として食べてもらうのではなく、その産物を培い、育んだこの土地に来てもらい、その土壌を知り、そこの人を知り、その風土や歴史を感じ取って味わってもらう。いわば、食材を生んだ文化全体にもっと触れつつ、賞味してもらうということなのだ。

 これに呼応して彼の地に出かけることも、単なる観光や旅行、グルメツアーをはるかに超えた、“人間性回復の旅”とでもいった精神的営為のようにさえ思えてくる。都会で、現代文明の中で渇いた人間が何かを求め、何かを取り戻しに来るような。相当な高い知的階層の人が、しかも、人生真っ最中の現役世代が利用者の主流であると聞かされ、それもうなづける。

 同じような面積の国土、よく似た地形、そして、ともに急速に進んだ高齢化、今や先進国中でも双璧をなすほどの超高齢社会にある日伊両国。このアグリツーリズモで元気を取り戻しつつある彼の国には、少しくたびれた日本も貴重なヒントとさせてもらえそうなものがまだまだ潜んでいそうだ。工藤氏のこのお話の続きをぜひまたうかがいたくなった。

文責・小口達也(会員番号43/ライターズネットワーク幹事/一般社団法人 東京23区研究所研究員)

写真・金丸弘美(会員番号0/ライターズネットワーク相談役/食環境ジャーナリスト)

 工藤氏のレクチャーは予想を上回るほどの好評で、また、氏にお話の続きをうかがいたいとの要望も多い。そこで、いずれ再度このような機会を設けていただけるようお願いをしているので、それが実現する日も近いかもしれない。請う! ご期待。

 なお、当日の会場はサンケイリビング新聞社様のご厚意でご提供いただいたので、記して謝意を表したい。

学習会の呼びかけ人:金丸弘美(0)、加藤潤子(509)/つぐま たかこ(113)/則竹知子(219)/水崎真智子(309)/光畑由佳(420)/凛福子(151)/小口達也(43)(順不同。数字はライターズネットワーク会員番号)


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