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「天使のいない世界で」第1章 あたたかな場所には、とどまれなくて(2)

 なあ? と明るく同意を求められたが、曖昧に微笑み返すことしかできなかった。

 そそっかしいメイはたしかによく店内のものを壊しては怪我をしているが、傷はすぐに直っている。大げさに手当てをしているのは、天使の特徴を感じさせないようにするためだ。

 この二年あまりで、人間たちの天使に関する知識は格段に増えた。天使の特徴はもちろん、未熟な天使である蕾の子の存在についても、今や大部分の人間に知られている。人間界に一人たりとも天使を残さないようにと、勇者が自身の持つ情報を開示したからだ。

 そのためメイは、長い山ごもりの間に、珍しい色味をした髪を染めた。

 数種類の植物をすりつぶしたものに蜂蜜を混ぜ髪に塗って長時間日光にさらす方法は、ル二カ教会を訪れていた女性が「手間がかかるけど、綺麗に染まるのよ」と教えてくれたものだ。冬だったため植物を探す段階で苦労し代用したものもあったが、なんとか同じような色を抽出することができた。

 その努力の甲斐があって、元々淡い水色だった髪は、今では金に染まっている。
 ただ、定期的に染め直すのにもかなり手間がかかるため、ふわふわとした髪の長さだけは肩あたりから変えていない。元々長い髪に憧れていたが、実現する日はこないだろう。

「それはそうだけどよ。勇者の天使嫌いは、筋金入りだ。用心するに越したことはねえよ」

 店長が真剣に身を案じてくれていることが伝わってきて、ありがたいのと同時に申し訳なさが押し寄せてきた。

「店長、もう……」
「そうだよな、ごめん」

 メイの声を遮り、ケビンとトムがしゅんと肩を落とす。

「そんな……謝らないでください!」 
「いいや。変な呼び名はやめるようにって、俺たちからみんなに伝えておくよ」
「おう、よろしくな。よし、それを条件として、特別サービスだ」

 店長は空気を換えるように「がはは!」と豪快に笑いながら調理場へと戻ると、特製のキャロットケーキを手に戻ってきた。店内に明るい空気が戻る。
 三人の笑顔を見て、メイはほっと胸を撫でおろした。

(……よかった。みんなには、いつも笑顔でいてほしい)

「それにしても」

 ふいに、しんみりした声が店内に落ちる。
 再び調理場へと戻っていった店長の背中を見ていたトムが、気付けばこちらを見上げていた。

「メイちゃんがここを辞めちゃうなんて、寂しくなるなあ……」

 ジュジュを探す旅を再開するため、メイは今日でこの店を辞める。そのため、事情は明かしてはいないものの、顔なじみの客が今日はたくさん来てくれることになっているのだ。

 メイは二度目の人間界での日々を、旅の資金や寝床を確保するために、情報収集の拠点となる場所で住み込みで働きながら過ごしてきた。
 それぞれの土地に思い出があるが、ここは一番居心地がよかったように思う。
 たった半年だったけれど、みなとても親切にしてくれたし、偽りなく毎日が本当に楽しかった。

「わたしも、寂しいです」

 心のままにそう伝えると、ケビンが「だったら」と表情を明るくした。

「ずっとここにいたらいいさ。俺たちはもちろん、おやっさんが一番それを望んでるよ。『働き者で助かる』って、ことあるごとにメイちゃんのこと褒めてたからね」

 じーんと胸があたたかくなって、泣き虫な自分がうっかり顔を出しそうになる。

(もし叶うなら、ずっとここでこうして暮らしていたい。だけど、わたしには目的があるし……何より天使だから、これ以上ここにはいられない。長居をしている間にもし正体がばれるようなことがあったら、天使をかくまってたって店長が疑われてしまうだろうから……)

 早くに妻を亡くし子もないという彼は、メイをまるで娘のようにかわいがってくれた。朝昼晩とふるまってくれた料理は、食料を摂取する必要はないというのにもっと食べたいと思うほど美味しくて。手伝いがしたいと申し出て一緒に調理場に立つ時間は、とても楽しく充実していた。

(店長は、わたしにとって大切なお父さんだ。……ずっと、元気に生きていってほしい)

 花の蕾から生まれたメイに、両親はいない。それでも、きっと父親がいたらこうして愛してくれるのだろうと彼は感じさせてくれた。

「――ありがとうございます。だけど、最初から、半年の約束で雇っていただきましたから」

 暗くならないように笑顔で返すと、ケビンは「そっか」と俯いた。

「あ。そういえば、結局あいつには、このこと伝えたのかい?」

 あいつ……それが誰を指すのか、メイは一瞬で理解した。
 答えようと口を開いたその時、カランカラン、と玄関扉に付けられた鈴が鳴る。

 たてつけの悪い扉を開けて入ってきたのは、二十歳ほどの黒髪の青年だ。一言で表すなら、「風変わりな人」という言葉がしっくりくる。

 彼が身につけているのは、なんの変哲もない麻布の服に、あちこちが傷んだ皮の胸当て。薄汚れたズボンに履き古したブーツ。そして、汚れたのか元々その色味だったのか判断が難しい、赤茶けたマントだ。
 服装からして、旅人であることは明らかなのだが……問題は彼の顔である。

 前髪が鼻頭で切り揃えられているため瞳が隠れており、大きな火傷の跡が顔の左半分を覆っている。一目見たら忘れられないくらい強烈で、独特の雰囲気だ。
 そして、何よりも特徴的なのが――。

「おはようさん!」

 その怪しげな風貌からは想像できないくらい、明るくてはつらつとしているところである。よっ! と片手を上げた姿は案外幼くて、どこか可愛らしい。

「お、噂をすれば」

 ケビンとトムが、にやりと笑って耳打ちし合う。

「おっさんら、また来とるんかいな。暇やなあ~」

 特徴的な地方訛りは、以前そのあたりで働いていたメイが聞いていた中でも、かなり癖の強いものだ。声音もとびきり明るく、彼と初めて会話した時は、見た目とのギャップに本当に驚いた。

「エル、お前にだけは言われたくない」
「そうだ。いつまでこの村に居座るつもりなんだよ」

 まるで数年来の友人のように冗談を言い合っているが、この三人が出会ったのはほんのひと月前。それを感じさせないほど、青年――エルはとても社交的で親しみやすいのだ。

「いつまで? 野暮な質問すんなや」

 エルがこちらに顔を向けた。
 はっとした時にはもう遅い。胸下くらいまでの長さがある黒髪をさらりと揺らし、ブーツの踵を鳴らしながら、彼は意気揚々と近づいてくる。

「お、来るぞ来るぞ」

 常連客二人がニヤニヤと笑っているが、メイにそれを指摘する余裕はない。トレイを胸に抱いたまま、一歩後ずさった。

(ぼんやり眺めてる場合じゃなかった……!)

 メイは彼が苦手だ。なぜなら――。

「メイちゃん! 今日こそ、俺と付き合っ」
「ごめんなさい」
「え、まだ途中なんやけ」
「ごめんなさいっ!」

 勢いよく頭を下げると、「三十連敗や……」とエルが床に崩れ落ちた。
 あはは! と店内に明るい笑い声が響き渡る。調理場で店長まで笑っているのがわかった。

「そろそろ諦めたらどうだ? うちの看板娘は、お前みたいな『見るからに怪しいヤツ』は願い下げだってよ」
「ち、違うんです! 店長っ! エルさんに問題があるわけじゃなくて……」

(はっ!) 

 床に座り込んだままのエルが、こちらを見上げている。
 重たい前髪で隠れてしまっているため確認できないが、なんとなく期待に輝く瞳で見つめられてる気がしていたたまれない。
 メイはそんな彼からぱっと目を逸らすと、「ええと」と口ごもった。

(わたしは天使だもの。好き云々はともかく、深く関わって迷惑をかけるわけにはいかない)

 どう言葉を繋げようか悶々としていると、店長が助け舟を出してくれた。

「ほら、エル。いつまでもそんなところに座り込んでないで、さっさと席につきな。傷心三十回記念に、お代サービスしてやるからよ」
「……おっさん、あんたいい人やなあ」

 エルはよろめきながら立ち上がり、ふらふらとした足取りで入口近くの席へと腰を下ろした。同時に、大きな大きなため息が聞こえてくる。

(……ごめんなさい、エルさん。いつもまっすぐ想いを伝えてくれるのに、わたしは不誠実な返事しかできていない)

 だから、告白してもらう度に心が痛む。身勝手だが、それが彼を苦手とする理由だ。
 それともう一つ。想いを伝えられても素直に喜べないのには別の理由もあった。

「メイちゃんも大変だな。毎日毎日」
「いえ、むしろ申し訳なくって……」

 ちらりとエルに目をやると、彼は形のいい薄い唇に革紐をくわえ、肩から流れ落ちている長い髪を慣れた手つきで一つに括っている。

(どうしてわたしなんだろう?)


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