ファシリテーションの技術をアップデートするための視点

前回ささっと書いたファシリテーション・グラフィック(グラフィック・ファシリテーション)について、もう少し考えてみようと思います。基本的な主旨は、どうすればグラフィックを固定観念の解体や物事の関連性への気付きに活用することができるのかということへの考察になります。

まず、ファシリテーションについて。

ファシリテーション(英: Facilitation)は、会議、ミーティング等の場で、発言や参加を促したり、話の流れを整理したり、参加者の認識の一致を確認したりする行為で介入し、合意形成や相互理解をサポートすることにより、組織や参加者の活性化、協働を促進させるリーダーの持つ能力の1つ。 コミュニケーションスキル以外にも、ルールが必要な場合の内容設定や補助、プログラムのデザイン、進め方や、さらに会議の場所や参加者の選択、日程のデザインなど、オーガナイザーやリーダーの機能を担う。 会議の場に限定される機能とするのは誤りであり、日常での組織コミュニケーション全般において、ファシリテーション技術は活用される。 また、課題を達成しようとするグループに対して公平な立場にたち、話し合いのグループ・プロセス(グループの状況)に介入してファシリテーションを行う者のことを、近年、ファシリテーター(Facilitator)と呼ぶ場合が出てきた。ファシリテーターにはファシリテーション技術以前に、参加者または組織に対して良心に基づいた、達成イメージへの情熱と信念が必要とされる。(Wikiより)

ファシリテーターを標榜している知り合いの方々も何人もいるので、ファシリテーターとはこういうものだ、と言い切るのは非難殺到になってしまうので避けたいのですが、あえてWikiに書かれていることを思考を進める上での前提にすると、ファシリテーターは、合意形成や相互理解をサポートすることにより、組織や参加者の活性化、協働を促進させるという機能を主に担う職種なのでしょうね。ここではちゃんとした学説には触れません。(ファシリテーションについて詳しい方 / ファシリテーターとして生きている方、よかったら教えてください。) 

もちろんファシリテーションという言葉は日本語から出てきているものではありません。英語のFacilitationという言葉がそれに当たります。その動詞はFacilitate。「促す」「促進する」等の意味を持っています。さらに語源をたどってみると、接頭語のFacilはラテン語のfacilに由来しており、easyを意味しているようです。「容易にする、簡単にする」そういう中で、ファシリテーションという言葉がそもそも成り立っているんでしょうね。

ちなみに8月8日に行った開発をテーマにしたイベントで考えたことは、このファシリテーションという言葉にもつながりそうです。あえて日本と西洋社会の開発観の違いという点に着目した時、西洋では主体・客体という関係性の中でどう対象(開発される客体)を開発するのかという視点に立ちます。でも日本の仏教的な捉え方だと、開発はそもそもするもされるもなく、起こってしまうものであり、ポテンシャルを最大限引き出すことを意図して関係性に働きかける場合は、あくまで可能性が開かれるものをただ開かれるようにお手伝いすることなのではないかという理解に至りました。どうして開発を話に出したかというと、ファシリテーションという西洋の概念を日本で使う時にチューニングする際に、仏教や日本のこれまでの思考形態や身体感覚を意識することが重要で、それが仏教用語の開発(かいほつ)という言葉で定義し直せるかと思うからです。今のファシリテーションの領域の知見を否定するのでもなく、パラダイム自体が変化すると、技術形態も変わらざるをえないと思います。

、、、、この投稿では脱線になるので、いったん西洋の言葉を使った、Facilitation・グラフィックへと話を戻します。上記の開発とファシリテーションについてはまた...。

ファシリテーションという行為は、"何か"を容易にすることや簡単にすることを意図して人が行うことだとします。そう考えると、じゃあ何を容易にするんだろう、簡単にするんだろうということになりますよね。そこんところへのこだわりが、人それぞれのファシリテーションの技術形態の違いにつながってくると思うのです。そのファシリテーションを行う人のあり方から派生した感覚・信念が"何を"促すのかということに影響するのでしょう。

次に何を促すという話に移ります。これが思考・技術の分岐点になっていると思うんですよね。

ファシリテーション(英: Facilitation)は、会議、ミーティング等の場で、発言や参加を促したり、話の流れを整理したり、参加者の認識の一致を確認したりする行為で介入し、合意形成や相互理解をサポートすることにより、組織や参加者の活性化、協働を促進させるリーダーの持つ能力の1つ。

もう一度、ファシリテーションのWikiの説明を読んでみましょう。ここでは促す対象として、"合意形成や相互理解" が挙げられています。つまりこのファシリテーションの定義では、"合意形成や相互理解"を生み出すために、介入するという技術を用いるということなんでしょう。世の中にはありとあらゆるファシリテーション技術があると思うので、詳しい人からみると、それだけじゃないよ、もっと知ろうねという話かもしれません。ですが、この字面だけ見た時に、自分が足りないなって思うのが、アイデア生成の一側面である"破壊"だと考えています。

合意形成や相互理解。なんでこういう風な方向に技術が構築されているかというと、ファシリテーションの技術が紛争解決の現場で培われてきたから、という流れがあるからだと思います。

たとえば、1991年~1992年にアパルトヘイトによって分断されていた多様な人々が集い、民主化への移行を実現するために南アフリカで実施された「モンフルール・シナリオ・プロジェクト」のファシリテーターを務めたアダム・カヘン氏。世界50カ国以上で企業の役員、政治家、軍人、ゲリラ、市民リーダー、コミュニティ活動家、国連職員など多岐に渡る人々と共に、解決困難な課題に対するプロセスのデザインやファシリテーションに関わってきたという経歴の持ち主です。

これが一つのファシリテーションの成り立ちの流れの一つだとすると、合意形成や相互理解という根本思想に基づいた技術が培われていくのは納得がいきます。人が殺し合う憎しみが渦巻く世界同士が対立してしまうのを良しとしないならば、調停、それをおさめる方にエネルギーは傾くでしょう。ファシリテーションという言葉がその土壌を栄養源にすくすく育つのも納得です。

ただ、ファシリテーションが行うことはそれだけではないはずです。他の文脈もある。アイデア生成や創造性、新規的な何かを生み出すことを促すという文脈においてファシリテーションが育ってもいいじゃないか〜とゆるく考えております。

ハッカソンやアイデアソンの運営をしている人たちにとっては、とても腑に落ちるところだと思います。

この文脈にファシリテーションが乗ると、技術体系は異なるものになってくるでしょう。というか人のコミュニケーションの一形態の一つをファシリテーションとしてくくっているだけなので、そもそも本来はそういう区切りはありません。ですが、あえて区切るとすると、ファシリテーションってこういうものだよね、という程度のものでしかありません。だから技術体系も思想が違えば異なるのは当たり前。2つ目の文脈ではアイデアの生成、ものつくり、創造を促す行為としてのファシリテーションでした。

ファシリテーションに関わるみなさんは、どういう文脈の上に乗っていますか?何を目的としてファシリテーションという技術を使っているのでしょうか?

私のファシリテーション観は、

1. 固定観念を崩したい・解体したいという思い

2. アイデア生成のためには異なる視点・背景を持った人たちが衝突した方がよいという思い

3. 世界と個人、個人と世界の接続性に当たり前のように気づきたいという思い

に支えられています。

合意形成や相互理解という色も大事だと思っていますし、ファシリテーションをする場面があるとすると、合意形成や相互理解を促すこともたくさんしています。ただ、そういう技術だけだと足りない。

私はLearning界隈の知識を持ちながら、表現や創作がぐちゃぐちゃ起こっていくアートの領域に足を踏み入れました。また、商業的な文脈のデザインの世界を覗く機会も増えました。その中で、合意形成や相互理解だけだと不十分でしかないという思いが強いです。

むしろアイデアを生成するためには、葛藤や衝突、破壊を恐れてはいけない。そういうファシリテーションも必要だと思っています。その時のアイデア生成の仕方を考えていく際に、私がもっとも得意とするのが、「思想や信念、価値観など、普段は考えることが少ない(らしい)ことへの自己理解」の促しです。あ、ある意味、こういう風に書くと、相互理解の文脈に乗るんでしょうね。Wiki の編集の人すみませんでした。笑 

長くなってしまったので、ここらで終わろうと思います。

固定観念を崩すこと
世界と個人、個人と世界の接続性

この二つがなぜ重要だと考えているのかは、また気が向いたら(もしくは知りたい人がいるなら)書こうと思います。


Learning・教育界隈・まちづくり界隈の方へ
みなさんはなんのためにファシリテーションの技術を使っているのですか?


アート・クリエイティブ周りでの経験をLearningの領域へと少しずつフィードバックできればと考え始めました。超カオスな環境下でのLearning(人の変容)やそもそもLearning(学び)というパラダイムの持ち方自体をアップデートしていかなくてはいけないことなど、話したいことが溜まってきました。

ぜひいろいろと話しましょう。ファシリテーションもLearningも、もっともっとアップデートしていけるはず。

Have a beautiful day. 

、、、、 

ここまで書いて、グラフィックの話、忘れてました。笑
またいつかね。

************************
▼主催・共催イベント
現在、参加者募集中のイベントはございません。     
     
▼今後のイベント登壇予定
9月23日(土)14:00 - 17:00 @大阪
ドイツのカッセルで開催の芸術祭「ドクメンタ」、ミュンスターの「彫刻プロジェクト」報告会と、報告から考える対話の会
https://www.facebook.com/events/261557101003684/
 
▼今後のリサーチ予定
・和歌山の"南方熊楠"ゆかりの地 リサーチ(DAYDREAM THEATER)←中止
・ドイツ・オランダ・デンマークの創造的エコシステム リサーチ(個人/ DAYDREAM THEATER)
 
▼SNS
Twitter:https://twitter.com/shokei_612
Facebook:https://www.facebook.com/yoshitaka.miura.90

頂いたサポートは、生活と創作(本執筆)のために、ありがたく使わせて頂きます!