From しょうけい to しょうけい 「本を執筆する機会を頂きました」

こんにちは。嬉しいことに本を執筆する機会をいただきました。機会をくださったのは、「しょうけい」さん。ちなみに私の下の名前もお寺を継ぐとなると「しょうけい」です。

「トランジション」というキーワードについて本を書いていきます。その過程はNoteのこちらのマガジンに書いていこうと思っています。完全に編集が終了したものではなく、編集者の方に手を入れてもらう前のものになりますが、公開しながら進めることになりました。本の順序通りには書かないので、どういう風になるかはわかりませんが、断片断片を楽しんでいただければと思います。

本の中では、被害者意識満載だった自分自身がどのように主体的に生き直す道をたどるのか、さらにはそこから自分のエゴを手放してどのように変容してきているのかについて触れます。なるようになってきたんだから、特段隠したい話も多いわけではないし、ざっくばらんに振り返っていこうかなと思います。

発達障害、小学校での不登校、言語的なコミュニケーションが苦手、罪悪感まみれ、人生での被害者意識(お寺に生まれたこととかね笑)。就職活動もどうしてもそこに乗ることができず(わかりやすい社会システムに乗ることが怖くてしょうがなかった)、仕事を始めてからは、一度退職、そのあとドイツで覚醒という道を歩んできました。そして今はTRANSITION PROJECTというのを育てていこうとしています。

また本の執筆の投稿は順次進めていこうと思うんですが、一番最初の投稿は指鳴らしに機会をくださった松本紹圭さんとの出会いとそれ以前の思考の遍歴について簡単に書いておこうと思います。

考えるにあたってのメモ。

佐賀で紹圭さんのWEB記事を見て衝撃を受ける

おぼろげにしか覚えていないが、18歳くらいだったと思う。ある日、インターネットを何気なく開いていた。その時、同じ「しょうけい」というお坊さんがいることを知った。

それはすごく衝撃的な記憶として残っていて、どうしてかというと、「しょうけい」という名前のお坊さんがお寺の世界で新しい流れを作り出していることを知ったから。

その頃の自分はというと、お寺の世界に生まれて、その世界を嫌悪していた。変えることができない腐った世界だと思っていた。親は奇抜に何か新しいことをどんどんやっていくタイプでもないし、お寺というのは新しいものが生まれる場所ではないという風に認識していた。

むしろ「こういうことをやったら?」という風に親に伝えたとしても、「周りにどう思われるかわからない」という返事がかえってくる。いつも「目立つことはしないでくれ」という声の連続だった。

世界はこういうものだと思っていた。変えることができない世界という風に認識していたのはまぎれもない自分自身で、それはその時は自分の中では正しかったのかもしれないけれど、でも今思うと、それはどうすることもできないよねという無力感という空気をいっぱいに吸い込んで、自分もそれに加担しているにかかわらず、そのままにするという選択をしていたわけだ。

物事は変わらない。

物事を変えることができるのは特別な人だけだ。

こういう考えがいつも渦巻いていたのではないかと思う。

さて、そういう中で、あるお坊さんの記事が目に止まる。東京で活動しているらしい。東京なんて行ったこともない自分は、佐賀の田舎で目が釘付けになった。同じ名前の「しょうけい」という人がいるんだ....

このように思った。

人生は面白いもので、自分自身はその時は「しょうけい」という名前を持ちたくてもったわけではない。お寺に生まれてしまった。最初から本名は三浦「よしたか」だ。でも、お寺を継ぐ可能性があるお寺の子として「しょうけい」という言葉も持っている。

それに対して、このお坊さんは、お寺出身でもないのにお寺に飛び込んだらしい。お寺の世界なんてクソだとその当時思っていたし、そういう風な(その当時の自分からしたら)変わっている人がいるという事実だけでも衝撃なのに、その名前が「しょうけい」ときた。しかも、精力的にお寺の世界の変革を進めようとしてらっしゃる内容の記事を見て、「あぁ、こんな人がいるんだ・・・」と思ったのを思い出す。

「しょうけい」という名前のお坊さんではなかったら、それほど印象に残っていなかったかもしれない。ただ、この世界は生きづらいと思っていたであろう当時の自分からしたら、こういう人がいる、しかも名前が同じだということは一種の希望のようなものだった。


まだ今のタイミングじゃない、と思ったTEDxでの会話

紹圭さんは覚えているかわからないが、実は出会った2017年以前に実は東京で開催されたTEDx の会場で松本さんと話したことがある。当日のみのボランティアとして参加していたTEDx...(どのTEDxかは忘れてしまった)の会場でお坊さんの袈裟姿の紹圭さんを見つけた。

話しかけるかどうかものすごく悩む。自分自身が何かを持っているわけでもない。しかもまだその当時はお寺に対する嫌悪がしっかりと残っていた時だった。お寺はクソだ。こんな環境嫌だ。そういう風に考えていたものだから、たぶんコミュニケーションにもそれがにじみ出ていたに違いない。

名刺も渡さず、ほんの少しだけ話した。

その時の会話はよく覚えていないが、その時、まだこのタイミングじゃない、と思ったことを覚えている。何のタイミングを見計らっているのか今思い出してもよくわからないのだけど(笑)

自分には話す資格すらない、という風に自分の中で卑下し、闊達に話すことができるような心情ではなかったのだ。

特に何にもつながらなかった、その場の数分。その時はまだ、2017年の動きが訪れるとは思ってもいなかった。


2017年、再会

その記事を見てから7、8年は経った。高校卒業後、浪人し、京都大学へ進学。5年半大学に留まり続け、卒業。画塾に通いはじめ、美術大学・芸術大学へ行くことも考えている最中、東京の企業にアルバイトとして働き始める。契約社員になったあと、退職。そのような移り変わりの中で生きてきた。

国際開発の研究をしていて、現在カリフォルニア大学のバークレーにいる友達が春から夏にかけて帰ってくるというので、何か一緒にできたらいいね〜というやりとりをしていた。

何をしたら楽しそうかをやりとりしている中で出てきたキーワードが「開発」。ふと開発のキーワードを調べてみたのだった。

開発(かいほつ)
仏教で用いられる開発(かいほつ)は、仏となる性質、つまり、自らの仏性を開きおこし、まことの道理をさとることを意味する言葉です。それが現在では開発(かいはつ)と呼ばれて一般化しています。そういう使われ方は、かなり古い時代から、たとえば「新田開発」などのように使われています。人の手が入っていない原野などの未開地を新しく開墾する際に使われたのでしょう。
明治以降は、それがより大々的に「北海道」開発、「満蒙」開発、地域開発などという極めて政治的な、時として侵略的な国家プロジェクトとして開発(かいはつ)の言葉は一世を風靡しました。戦後の高度経済成長期においても、私たちの現世的な幸福の代名詞として使用されてきました。
しかし、仏教でいう開発(かいほつ)は、そういう開発(かいはつ)とは全く違って、たとえば、日本の場合でいえば、アジアの自然と労働力を踏み台にし、人間としての豊かな感性まで見捨てて生きる、ある意味での開発(かいはつ)至上主義者として突っ走る私たちを根本から問う言葉です。
いまアジアの仏教者の中には、仏教が明らかにする万人共生の大地に目覚めて、社会のあらゆる問題(貧困・環境・エイズ問題等)に関わりをもち物心両面の開発(かいほつ)に取り組む開発(かいほつ)僧、尼僧が活躍しています。(東本願寺WEBページより)

なんと、開発は仏教の言葉に由来しているらしい。その頃はちょうど、仏教を嫌悪の対象として見るのではなく、むしろ面白く活用できるのではないかと思っていた時だったから、それを見た時高揚した。

すぐさまお寺の世界で"開発"をキーワードに活動している人はいないかということを思い立ち、Googleの検索欄を叩く。

出てきたのが紹圭さんだった。

開発とは本来、新たな「気づき」を得る行為である。【対談】Winny開発者・金子 勇×インターネット寺院開祖・松本紹圭

これを見て、今のタイミングで連絡を取ろうと思いつく。

思いついたらどういう風につながることができるのだろうとすぐに考える。名刺はいただいていたにもかかわらず、どこかにやってしまっていた。(本当にすみません。)

たまたまその時期、東京で開催されてきた「寺社フェス 向源」にボランティアスタッフとして参加した後だった。 2017年退職直後のゴールデンウィークに向源が開催された。もう気力も出てこないような鬱のような状態だった前職での仕事の3月・4月。向源2017のコンセプトである「変わりたい」という言葉が異常に刺さっていたのだろう。(笑)

変わることができたのかどうかはわからないけれど、多数のご迷惑をおかけしつつ、向源は終わった。

向源の代表の友光さんにメッセージをしてみようと思い立つ。すぐにメッセージを飛ばすと、返信が帰ってきた。

友光さん「おっけー。遠からず近からず。でも紹介するのは余裕で出来るから、そしたらざっくりと日程希望を教えてもらってもいい?東京と京都の場合で。ただ、記事見てすごいと思ったから会ってくださいだと意味わかんないし時間割く気にならないと思うから、もうちょいディティールとか意味の乗った会ってくださいの文章を描いてもらえたらそれをそのままコピペして松本さんに送るのでよろしくっす!」

それに対して、メッセージを書いた。

松本しょうけい様
   
はじめまして、三浦と申します。向源の友光さんに紹介していただけないかというご相談を行い、このように友光さんを通じてご連絡させていただいております!
突然なのですが、1〜2時間ほど、東京もしくは京都にてお時間をいただくことはできませんでしょうか?   
         
私は曹洞宗のお寺出身で、現在26歳です。 
お寺に生まれたことを25歳くらいまでずっと後悔して生きてきましたが、お寺に生まれたからこそできること、紡いでいけることがあるのではと考えが変わってきました。実は本当に偶然で自分の名前も祥敬(みうらよしたか / しょうけい)なのですが、大学に進学する前に松本さんの取り組みの数々に衝撃を受け、その度に思い込みや固定観念を溶かしていただいたように感じています。 
             
現在私は、自身が所属するアートチームでの表現活動やアーティスト・イン・レジデンスと言われるアーティスト滞在型の創作スタジオの企画などにかかわっており、アートや表現を一つ自分が扱っていくものとして位置付けています。また、4月末まではとある企業で、アーティストやエンジニアなど多領域の人たちが集う中で新しいアイデアを生み出す仕組みを作るためにイベント設計・ワークショップ設計・メディアの進行管理(ディレクター)の業務を中心に代表のアシスタントとして働いておりました。
           
そのような中で、自分のルーツである禅や仏教への興味が少しずつ育ってきたように思います。これからのお寺の行く末やお寺が寺業界の中で閉じずにどのようなことをやっていけるのかを考えたいと思い始め、そのような中で自分自身が影響を受けた松本さんとお話をする機会をいただけたら素敵だなと思い、友光さんにお願いをしてメッセージを共有させていただきました。
        
大変お忙しいかと思いますが、1、2時間ほどお時間をいただくことはできませんでしょうか?
      
▼近いスケジュールの空き日程(東京)
・6/16(金)の終日
・6/19(月)の終日
・6/20(火)の終日
・6/21(水)の終日
・6/22(木)の終日
         
ちなみに、京都・愛知等にも伺えますので、上記の日程で東京にいらっしゃらない場合でも、都合の良い場所を教えていただけますと幸いです。
ご検討ぜひよろしくお願いいたします。

そして、それを友光さんに紹圭さんへと送ってもらい、待った。

返事は思ったよりも早く返ってきて、京都でお会いすることに。

どういうテンションでいっていいのかわからない。本当は企画のお誘いをしたいところではあるけど、いきなりお会いするのに企画の話をするのもなんだかな、と思い、どういう話ができるのだろうかと考えつつも、待ち合わせの西本願寺に行くことにした。

そして、話をした。この時「わたし」とは何者か?という話をした。自分はその時、流動的な自我感を持ち始めていた時で、自分というものは境界線を拡張・縮小させながらアメーバ的なものだと感じていた。

境界線はある、という前提だ

紹圭さんとお話して、「わたし」の境界線が強く�揺らぐ。わたしは世界。世界はわたし。小宇宙。わたしは実体がない。頭に次々とエラーが発生し、ある種混乱し、頭がくるくると回転し始めた。

紹圭さんと話して、揺らぎ、わたしという存在そのものがわからなくなった。

その後、お礼のメッセージを打つ。こういう時間の過ごし方でよかったんだろうか、相手にとって有意義な何かはまったく作れなかったかもしれない...。こういう思いが頭の中をひしめく中、企画の話も振ってみるのかどうか、迷いが生じた。

しかし、これで断られたら、それはそれでしょうがないと思い、再度ご連絡をすることにした。

以下別件なのですが、お忙しい中、そして打診がとても直前で申し訳ないのですが、8月6日(日)14:00〜17:00 に東京にてイベントに登壇していただくことはできませんでしょうか?
         
複数領域の開発関係の人を対象にし、開発という言葉を捉え直し、新しい開発観を紡ぎ出すためのLearning のイベントを実施する予定です。
      
私自身、開発のフィールドに関わってきたわけではないのですが、国際開発の領域に関わる知り合いとのディスカッションの中で、"人の可能性を開く・引き出す"という意味では開発という言葉は自分の身近にあるものだと考えるようになりました。
      
その中で松本さんが開発僧として活動してらっしゃることがピンと来て、ぜひともその視点と取り組み方を他の人に知ってもらいたいと思いました。勝手に分断されてしまっている開発の領域の縁を紡ぎ直し、人と地球の可能性をより引き出していく可能性を探求していく流れを作っていく上でぜひ松本さんのお話を伺いたいです!
    
お忙しいかと思いますが、ぜひともご検討いただけませんでしょうか?資料を添付しておりますので、お目通しいただけますと幸いです。

それに対しての返事は日程が合えばぜひ、とのこと。

まだイベントの情報は公開していなかったので、急遽、紹圭さんの東京滞在の日にイベント日を合わせる。

そして、このイベントを実施した。「Redesign Night! テーマ"開発" 〜仏教の智慧から立ち現れる21世紀の開発観〜」30人強くらいの参加者の人たちが来て実施することができた。

イベントが終わると、一安心。ほんの少しだけの休息だと思い、気が緩みつつ、あぁ紹圭さんにお礼のメッセージを書かないとな、と思っていた。

そんな中、紹圭さんから連絡がくる。

しょうけいさん 今回のイベント、ほんとうにありがとうございました。ほんとうによいご縁をいただきました。鈴井さんも、スタッフの皆さんも、来場者の皆さんもすばらしかったです。そして、そういう縁の結節点となる、しょうけいさんの存在が、心底すばらしいなと思いました。
京都でお会いしたときから、楽しみにしていましたが、わたしの人生(そして人類の)にとっても、ほんとに大事なご縁になると感じました。心から、感謝です。

それに対して三浦、

しょうけいさん(お互いしょうけいだとややこしいですね笑)
こちらこそしょうけいさんとのお話の中で世界観のあり方が変化したり、今一度どう生きていくのかを考えるきっかけを得ることができました。
このように機会をいただけて本当に感謝しております!
お寺の捉え方だけではなく、仏教の捉え方、自分の捉え方、さまざまな観点で変化を感じ、松本さんとこのように関われてよかったです。

お寺周りのことでも他のことでもまた関わるご縁を作っていければと考えております。時間が長引いてしまった点だけ申し訳ございません。おかげで楽しく参加者の方々に時間を過ごしていただけたと思います。

ありがとうございました!

紹圭さん)

時間はまったく気にしないでください。わたしも気にしてませんし、むしろ楽しんでましたし、お寺的にもまったく問題ないです。

今回、一緒にやらせていただく中で、感じられたかと思いますが、わたしは仏教「界」とか、宗派とかはどうでもよくて(それを尊重している人に対しては尊重しますが)、仏教の智慧が、世の中の人のために生きればいいなとシンプルに思っています。

時代的には、仏教の智慧が、一人ひとりの生き方だけでなく、社会システムや、テクノロジーにも最前線で活用されていく時代が来ている(というかそうでなければ人類が持たない)と思います。そういう仕事をしょうけいさんと、何かやれればと思いました。わたしが持っている人脈や信用など、なんでも提供します。仏教をアップデートするというよりは、アップデートしつつある仏教によって、人間と社会システムをバージョンアップする試みを、何か、一緒にやれれば面白いなと思った、というか、そういうことを一緒にできる仲間が存在するんだな、ということで、とても嬉しくなりました。

三浦)

仏教の断片断片をかじりはじめた段階ですので、仏教がなんたるかもまだまだ体感できていないのですが、"生きた生の実感を味わうことができる瞬間(生きていても精神的に死んでいるような状態の人が多すぎると感じています)"をどうにかしていけないだろうかというエゴを持っています。
   
そして、それに働きかけて行く際に、個別個別の小さい発想だけではなく、システムとしての全体性を意識していくべきなのでは、、、という理解です。
  
しょうけいさんに上記のように言っていただけるのは恐縮ですが、ぜひ一緒に人間と社会システムのバージョンアップを図っていく活動をともにしていけたらと思います。
  
近いうちにまた雑多にお話する時間いただけると嬉しいです!まだまだ拙いですが、仏教を基軸にした、したたかな革命の火種をぜひ育てていきたいです ^^

アップデートする仏教と、哲学の本をまだ読みかけなのを思い出しました!お盆の間には読み切って、また気づいたこと等、共有させてください。

紹圭さん)

やりますか!? やりましょう!

こういう経緯で、紹圭さんと関わることになり、現在に至る。

世界を変わりうるのか

自分にとってはお寺というのは可能性が絶たれた閉塞感たっぷりの場所だった。ただ、表現活動に関わってきたり、先進的な取り組みをしている人たちとの関わりの中で、お寺の世界が変化しないものであったのではなく、自分自身のお寺のイメージや仏教のイメージが絶望的にまで凝り固まっていたのだと今では思う。

お寺を継ぐかどうかということでいうと、いったん今は継がないという風に判断している。今の状態で佐賀に帰り、そこの世界のルールにどっぷりとつからなくてはいけないとなると、正直今の"変えていける"のではないか?という気持ちがだんだんと腐ってしまいそうだからだ。

親や佐賀のお寺の人たち、地域の人たちの考え方に必ずしも共感できないところがたくさんあり、制約がたくさん湧いてくるのであれば、お寺に単純に戻るということは考えられない。

でも、制約がたくさんあろうと、活動している人たちはたくさんいて、その人たちの頭の中では、変わりうるものとして世界を見ているのだろう。

10年前は、世界は変化しないものに溢れていた。

今は、世界は変わりうるもので溢れていると思っている。むしろ、諸行無常の根本原理のもと、さまざまなものが相互作用を起こし、変化・変容を続けていく一瞬一瞬の今があるだけだと考えるようになった。

もちろん、なんでもかんでも個人のエゴが及んで変えていけるとは思っていない。むしろ自分ができることは、物事を変わるように外圧をかけていくというよりも、内面から世界は変わりうるというそもそもの世界を取り戻していくことであり、変えるというよりも世界の関係性を調整していくことぐらいしかできない。

ただ、確かに10年前には思うことができていなかった、さまざまなありうる未来像を思い描くことができるようになってきた。その一つの小さな、そしてものすごく大きな気づきを得ることができたのも、同じ「しょうけい」さんという人の存在があったことも一つの要因なのではないかと思っている。

そんな出会いとそこからの話の延長線上で、共著として本を書くことになりました。これまでたくさんのご縁を大切にできてきたかと言われると全くそうではありませんが(笑)、大切にしたいご縁とそこから作り出すものの一つとして本の制作を楽しんでいこうと思います。

最後に

紹圭さんと自分はちょうど12歳、一回り違います。同じ未年で偶然だな〜と思っていましたが、それを知った時にこう思ったんです。

「12歳下のしょうけいくんがいたら、無条件に育てよう(笑)」

今自分は26歳。もうすぐ27歳。

もし現在14歳、15歳のしょうけい君がいたら、ぜひご一報ください。笑

長くなりましたが、本を書くことになったよ、というご報告でした。出版社さんを始め、諸々の機会をくださった、これまであった全ての方々に感謝いたします。

ありがとうございます。


ちなみに、紹圭さんと一緒に実施するイベント、3/8に行います!二度と一緒の内容のものは作れないので、一番未熟で、カオスで、面白い初回に来てください〜!待ってます。(※本イベントは終了いたしました。)


FBイベントページ
https://www.facebook.com/events/547627365623200/

Peatixイベントページ(チケット購入はこちらから!)
https://transition-session1.peatix.com/view


人生ってよくわからないけど、面白いね。

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TRANSITION 本-制作メモ

2018年3月1日、僧侶の松本紹圭さんと三浦祥敬の共著で「トランジション」をキーワードにした本を執筆し始めました。こちらのマガジンには編集前の文章素材やメモなどを公開していきます。
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