毎瞬「初心忘るべからず」を起こす生き方を探求したい

3/8のイベントを行うにあたって、<自己>は何者か、<わたし>は何者かということを頭の中でくるくると考えている。その考えの方向性をすっきりとした文章で書いてある文章を見つけて、つい嬉しくなった。

「初心忘るべからず」

仕事をはじめて新人と言われる間は、意識的に新しいことに向かおうというマインドができている。変化にあふれた職場で、その変化にキャッチアップしよう、適応しようという心構えが自然と整う。

しかし、長く働いているうちに外的な変化も変化だと思わなくなっていき、次第に私たちは慣れたものとして処理し始めるだろう。自分自身で変化を生み出していかないと慣れてしまった固定的な行動パターンにひきづられてしまう。

ただ、このような外的な変化にどのように自分をチューニングするのかという外に注目した視点だけでは不完全かもしれない。内的な変化を捉える時、変化というのはどういう風に説明できるだろうかとここ1ヶ月ほど考え続けている。

TRANSITION PROJECTの仲間が能の本を読んでいた。その中の説明がまさに自分が説明したいことだったのだとわかった。

読んでる本はこれ。

私たちの体の細胞は死と再生を繰り返し、それにつれて私たち自身も刻々と変化をしているものの、普段は自分が変化しているとは感じません。それは「自分はこんな人間だ」と考えている自己イメージがほとんど変化しないからです。変化は成長でもあるのに日々の変化に気づかないあるいは気づきたくないのが人間です。とはいえ、固定化された自己イメージをそのまま放っておくと、事故と事故イメージとの間にはギャップが生じます。現場の事故とかこのありのままにあり続けようとする自己イメージによる事故との差は広がり、ついにはその逆の中で毎日がつまらなくて嬉しいものになる。そうなると好奇心も薄れ成長も止まってしまいます。人生も、その人間もつまらないものになっていくのです。そんな時に必要なのが初心です。<能 650年続いた仕掛けとは (新潮新書)>

外的な環境はもちろん自然環境に加えて自分以外の人間がありとあらゆるもの(それそのものも人間という自然が作り出したものかもしれないが)を作り出している。だから周りの世界が変化していくのは当たり前だ。

当然、内面の世界も変容を続けている。私たちの身体自身が変化し続けていて、内面の世界があるとしたら、それも変わり続けているはずだ。

しかし、前述の引用にあるように、(あくまで仮説だけど)私たちはどうも固定化された自己イメージを持ってしまう特性があるのかもしれない。

固定化された自己イメージは過去に置き去りにされている。それが職を変えたり、引っ越しをしたり、いわゆるわかりやすい変化を体験しなくとも、刻一刻と変わっていく自分自身についていくことができていないのだろう。

「変化に適応できる人材を育てる」という教育の謳い文句を時々聞く。外的な変化に適応するのだろうか。

私はむしろあらゆる身体変化、内的変化、外的変化に対応できる人が必要なのだと思う。その中でも、内的な変化というのは見過ごされることがとても多いと思う。

もう一つ引用。

初心の「初」という漢字は「衣」偏と「刀」からできており、もとの意味は衣を刀で裁つ、すなわち「初」とはまっさらな生地に初めて刀を入れることを指し、初心忘るべからずとは事あるごとに古い自己を断ち切り、新たな自己として生まれ変わらなければならない、そのことを忘れるな、という意味なのです。<能 650年続いた仕掛けとは (新潮新書)>

常に初心になるということを通して、自分の自己イメージを更新し続ける。私が最近流れるような感覚で生きるというのは、こういうことを言いたかったのだと、初心の文章を見て再発見することができた。

ただ、その初心を忘るべからずをどう体現すればいいのかという点がみんながきになるところだと思う。

自分もできているのかできていないのかわからない。

ヒントになるのは、自分がどういう固定的な思考習慣・行動習慣を繰り返してしまっているのかをメタ的に認識できるようにあることだ。自分のくせを認識することで、その固定的パターンから逃れるためのきっかけを見つけることができる。

パターンを壊すために、意図的に情報を入れてみるのはありだ。自分がいつも仕事でイライラしてしまうとしたら、どういうパターンで、どういう条件になるとイライラし始めるのかを認識する。そこから、そのイライラすることやしてしまう自分に対しての<判断を保留する>ということが効く。(判断を保留することが難しいかもしれない)しかも固定的に繰り返してしまうことを責めない。

責めるも何も、そういう風になってきてしまったのだから、それがいいも悪いもないと思うんだよね。なるがままになってきた、それだけ。

判断を保留して、保留して、保留する。そうすると、ある時、その判断の裏側にあった価値基準が変態(笑)し、違うものに変質する。そうすると、新しい現実が見え始めて、新しい行動の仕方を体得するスタートを切れる...

なんて書いてみたけど、内面をうまく扱う技術は奥が深いね。

そんなことを考えつつ、3/8のイベントの企画をしています。初心忘るべからずの状態に人がどういう風にしたら到達できるのか。それを一緒に探求してくれる人はぜひ参加を検討してみてくださいね。

ぶっちゃけ、自分もそれがわかりきってるわけでもないし、答えを与える消費のためのSession ではなく、その方法を一緒に探求する参加型のSessionだと思ってやろうと思ってます。もちろん、参加してもらって全て1から考えてね、とは思ってません。自分自身が探求していることは全てその即興の場の中でオープンにしようと思っているし、参加した人の世界観のうち、時間感覚なのか、人間観なのか、空間感覚なのか、何かしらが「ん????」とぐらつくような舞台空間にならないとね。

さらぁ、3/8のSessionの内容が見えてくるようで見えてこない。制作側として、それが完成するのはその場になってからかもしれない。

西洋的な主体があるという前提の諸々の考えたち、概念、思想に強い影響を与えられているであろう現代の日本社会だからこそ、東洋的な文脈や西洋と東洋を統合して主体感覚<わたしとは何か>を編み直すことが重要だと思ってます。

3/8 のFBイベントページはこちらhttps://www.facebook.com/events/547627365623200/

Peatixのイベントページはこちら
https://transitional-obake.peatix.com/view

(あの世行きチケット(参加チケット)を買ってくれた人が若干名いることに感動...)

自己についての探求は続く。。

自己観の話は無我の創作、創造性、領域のパラダイムシフトなどなどの考えにも接続させていきたい。

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