【日記】秋田2日目〜流動民の生きる技法〜
ただ今、秋田に来ています。
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2日目は、人類の歴史や民族の歴史などについて触れる機会に恵まれ、自らの建築的実験のアイデアが広がったり、本という構造物の具体的アイデアなどが湧き出してきた1日となりました。
あと、今日は知人が紹介してくれた場所にパートナーと泊まっています。どんどん滞在の仕方が増える感じがしていて、総じて調子がいいです。
芸術系移動の民の日記、ぜひお楽しみください😌
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朝はまず県立美術館と秋田市文化創造館に行きました。特にアポは取っていないので、サクッと巡りました。
秋田文化創造館は後日また伺う予定です。こちらに文化人類学の本がいくつか置かれていたり、置いてあるチラシやリーフレットが興味をそそるものがいくつか置かれていたりして、いい感じだなーと思いました。市民に開いていきたい場所なのだろうなー。一方で文化創造館主導のプロジェクトもあり、もう少し深く中を見てみたいです。
いくつか気になる冊子を採取してきました。
以下は、菅江真澄についてのリサーチプロジェクトの冊子から抜粋。旅と移動と創造性についてのテーマ設定の冊子です。移動と創作を続ける身体のあり方を探求している私の興味の範疇に入るものだったので、しばし読んでいます。
これまで私は移動することを「回遊」と呼んできました。一方で留まるモードの時を「滞留」と呼んでいます。この冊子の中では「逗留」という言葉が使われています。それぞれ似たような質感の言葉ではありますが、使い方が分かれることはなんとも面白いものです。
「次々に同じところに留まらず、移動し続ける」ということを生活の基本士心にしていた時には、4日以上同じ場所に滞在しないというルールを作っていたりしましたが、その時のことが懐かしいなぁと思います。それは一つの場所に執着しないプラクティスだったのですが、場所への執着を比較的しないようになってからは、このマイルールは撤廃しました。しかし、撤廃した時、「動かなくてはいけない気がする」状態になってしまい、なかなか身体が安定しませんでしたね。動く方が良い。留まるのが悪い。そういう行為の比較をしてしまって、一箇所に留まることを心地よくしづらいということが起こっていた気がします。
それから時間が流れて、動く状態と留まる状態を臨機応変に組み合わせながら、柔軟に生きるようになってから、ずいぶんと心地が楽になった気がします。
さて、ここまでは、単なる動と静の組み合わせの話なのですが、頭の中では少し別のイメージが広がり始めています。各地に滞在する時に、滞在の仕方自体をもっとアップデートできるのではないか?という感覚があります。テント、つまり膜構造建築を日々作りながら様々な場所に滞在するというビジョンです。骨組みと膜。膜の部分に布を活用していけるといい感じですね。このあたりは実験的に形にする機会を作りたいな。25年には1件個展をすることが決定しているので、それに向けて少しずつ構築していくのもいいですが、少なくとも24年の時点で、自分なりに膜構造のものを作ってみたいなと思っています。
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昼ご飯を食べて、由利本荘市に電車で移動しました。
由利本荘市に着いて、まずは温泉に。行ったのは安楽温泉です。
温泉というものも、大昔に思いを馳せることができるもので、すごいな〜。めちゃくちゃ濃い温泉でした。ナトリウム系は少し身体がひりひりします。それが自分の身体に合うかどうかはわからないのですが、引き続き、試していこうと思います。
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なんとなく温泉に入りながらですが、秋田に拠点を作ってみるの、いいかもなと思いました。温泉があること、文化・芸術関係の人たちとの共通言語が生まれそうな予感があることなど、いい感じな気がしています。秋田の中に一つベースキャンプとしてのアトリエを構え、そこにパートナーさんが留まり制作をして、私は秋田中を回遊しながら移動と逗留を繰り返すという在り方が生まれそうというイメージが湧きました。上での膜構造建築の話を秋田との関わりの中でやってみるのも面白そうです。そういうものをやってみる時の、足掛かりが生まれるといいな、この滞在で。
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温泉に入った後に、今日泊まる場所の方と合流しました。温泉まで迎えにきてくださいました。この方は0日目の日記で触れたように、知人が遠隔で紹介してくれた方です。事前に会ったことはありませんでした。どういう人かなーという前情報もそれほど入れぬままお会いしました。会ってみるとやさしそうな方で一安心。このFさんは東京と秋田の2拠点で生活してらっしゃるみたいで、今日東京から帰ってきたみたいでした。
ちなみにモロッコとの関わりが深く、モロッコの作家・職人さんたちから仕入れた商品を東京で売っているみたいです。今日はモロッコの話はそれほど聞けなかったので、明日聞いてみようと思います。最近視野が以前よりも広がって、海外の情報にも興味がどんどん開けてきているので、こういう機会は嬉しく思います。
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Fさんの家に着いて、客間に泊めさせてもらうことになりました。住んでいるのはFさんとFさんのパートナーさんです。着いて、休憩しているうちに、ごはんをご馳走いただくことになり、家庭料理をいただきました。パートナーの方が結構社会問題やヨーロッパの民族の歴史などの知識が豊富で、お話するのは楽しかったです。一緒に行動するこちら側のパートナーさんも世界史好きで、話していて楽しかったようです。よかった〜。
今回一つのチャレンジでした。これまで私一人、単体で泊めてもらうということは数限りないほどあったのですが、それがパートナーも一緒に来て2人で泊まるということにはあまり挑戦してくることができませんでした。しかし、今回のケースはいい感じの流れですんなり成り立ってしまいました。紹介してくれた知人がいてこそ、Fさんが秋田に住んでいてこその滞在ではありますが、2人での滞在も自然に成り立つ世界線が生まれていて、ホクホクした気持ちで過ごしています。
ご飯には、秋田のいぶりがっこ(漬物)を頂いたり、近くの海で採れたイカを食べたり、家庭料理とはいえ、とっても充実したものでした。ありがたい限りです。
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いろいろ話していた中で、印象に残ったのは、先住民族と外来のやってきた人たちの話でした。ヨーロッパではケルト人の話やユダヤ人の話が出ていました。日本の話だと日本の先住民族と朝鮮の方から渡ってきた人たちについて。このあたりの史実をキチンと把握しているわけではないので、ここでは特に掘り下げません。私自身移動を続けながら創作する道を選んでいて、移動し続けている民族や何かに対する周縁で生活している人たち、芸能民、宗教者、さらには山の民、海の民などの”外界に接続している”人たちなどについて興味が向くことが多いです。
創作する生活は、一種の芸能民のようなものとして捉えています。自分を依代にしながら、パフォームする一連の流れ。自分自身の力を最大出力しようとするのではなく、世の中に巡っている力を浴びて受け取り、一部を表現すようと試みるというあり方なのだと思いました。
今日気ままに移動している中で、菅江真澄、松尾芭蕉、民族の話、漂白するアーティストの話など、流動する存在たちによく意識が向きました。人類のはじまりがアフリカだとしたら、みんな流動する存在だし、人間が海洋生物に由来するのだとしたら、わたしたちは海という”底知れぬ世界”からやってきている流動する存在とも言えます。
私はこの時代に生まれて「人間ってこういうものだよね」という何かしらの認識のあり方を構築してきてしまっていると思うのだけど、それをほどいて、もっと深いところに潜っていきたいと思いました。もしくは、もっと深く世界を歩きたいと思いました。海に潜るのか。森を歩くのか。すぐに人間が死んでしまう世界が私たちを包んでいるのでしょうね。。
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今日、秋田との薄い関わりの中で、自分なりの方法で流動する技法を生み出していくことが自分のやっていくことの一つだということを再認識しました。そうそう、元々からやってみたいことは浮かんでいたんだよね。でもそれをしっかり認識して、イメージを鮮明にして、流れを感じて、身体で現していく。少しずつ、やるぞー。
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つくることに関しては、この投稿では膜構造建築の話をちょこっと出しただけですが、他にも温泉入っている時に、作っていきたい(気長に作っていっている)本の内容を思いついたり、インタビューしたいと思っている方々の顔が浮かんだりしていました。こちらも少しずつ進めます。
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