由布院での温泉三昧の滞在を経て、秋田に移動します。(由布院滞在日記

留まっている静の状態から、移動をする動の状態への移行です。いわゆる”旅をして生きる”というモードへの転換でしょうか。

この文章を書いている今日は、花粉症で結構深刻なダメージを負っています。息がしづらいって結構なことですね。毎回この季節にはスギ花粉が飛んでいない海外で過ごしたいと思っているのですが、10年連続で海外に滞在するに至りませんでした。いつも花粉症が発症してから「また日本におるやんか!」となりますw 

「今年も海外に行けなかったか〜」と一瞬思ったのですが、少しだけ視点を変えてみると、今回の秋田訪問は”海外”に行くことだと思いました。日本国という線の内側という意味では”国内”ですが、このところ滞在していた由布院から見ると九州の外、”海外”に行くことになります。さらに、今回はまだ訪ねたことがない場所に立ち入っていくので、ますます”海外”に赴く気持ちが高まってきました。海外は自分にとって”未知の世界”を表す言葉の一つ。今回の海外遠征で自分の内にも外にも未知の世界が広がっていくことになると思います。

普段はそれぞれ異なる風土に住んでいる人間であっても共通性があり、広く見たらみんな宇宙船地球号をともにする地球人だという目線で人と関わるのですが、今回はあえて、「私たちは皆同じ」ということを強調せず、今回は「違いをみつめる」ことを楽しみたいと思っています。


芸術文化人類学のドアに触れる

今回、注目している文化のキーワードは「芸術文化人類学」です。パートナーと私は「人類学」の影響を受けています。特にパートナーの方は10年前くらいから学者の中沢新一さんの著作を多く読んでいて、7年前から彼女に関わっている私も話をする中で学びを深めてきました。

私の方は文献を読むことはもちろんですが、お布施という切り口から”贈与”にまつわることを自分の生活で体現してみることにチャレンジしてきました。それは資本主義の原理から脱線する生活の回路をつくる取り組みでもありました。

次のチャレンジは、創作活動の流れを大きくしていくことです。ドローイングを行ったり、布の作品づくりを行ったり、現在継続していくものを深化させていく上で、「芸術人類学」の研究の知見に着目しています。

芸術人類学といえば、秋田の石倉さん。

石倉さんの言葉を引用すると、

芸術人類学とは、人類学の視点でみると、「人間はなぜアートを通して世界と関係を結んでいるのか」「そもそもアートとは何か」「実際にどうやってアートを生み出しているのか」を問い直す学問だといえます。逆にアートの視点でみると、「アート=美しいものを作るという美学的な限界を超えて、どうしたら多様化した表現のフィールドを拡張できるか」「芸術の普遍性とは何か」を問い直す学問といえそうです。

という領域のようです。アートというものはとにかく西洋で語られてきたものですので

「科学の知識」はとても重要で、人類全体の遺産と言ってもいいほどです。ですが実はそれと同じくらい重要なのが、それぞれの地域に継承されている「在来の知恵」というものです。それはしばしば「物語の知」として語られる、とイギリスの人類学者ティム・インゴルドが指摘しています。「物語の知」は一見、非論理的で、非科学的で、データで示すことができなくて、時には「非現実的」に思えることもあります。こうした知は、科学の影に隠れてしまい、現在はとても見えにくいものです。

最近、ティム・インゴルドの著作から学ばせてもらうことが多いので、その名がインタビュー記事に出てくるのもグッときますね。私が秋田に行く理由は、「在来の知恵」を探索することでもあります。こればっかりは秋田の風土で時間を過ごしてみないと見えてこないと思っています。今回のリサーチ旅は最低1週間、長くても2週間くらいの滞在ですので、まずは秋田の風土と人の営みに表面的に触れながら、深めていくためのとっかかりを見つけることができたらと思います。

秋田の皆さん、どうぞよろしくお願いします〜!✨


※ 以下は秋田入りしてからの日記です。


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