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現在、トランジションをキーワードにお坊さんの松本紹圭さんと本を執筆しています。その本を執筆する上で、noteのマガジンに執筆のメモや編集前の文章を掲載していきます。感想等ございましたら、いつでもメッセージ、コメントください!

トランジション本を書くことになった松本紹圭さんとの出会いの話はこちらから:From しょうけい to しょうけい 「本を執筆する機会を頂きました」

▼編集メモ
3.15 Created.
3.21 Updated.
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はじめに

この本を手に取っていただき、ありがとうございます。

この本を書き始めた27歳の今、同年代の知り合い達は、転職・結婚・起業・親との死別など多くの環境の変化に向き合っています。この本は人生をいかに生きるのかということを考えるきっかけになる本として執筆しました。

まずはじめに私がなぜ人生について語るのかをを共有させてください。

こう生きるべきだというレールという名の呪縛

27年前、私は佐賀県にある曹洞宗のお寺に生まれました。
小学校の頃からお寺出身だと言うと、「継ぐの?」とたくさんの人が聞いてきました。
    
それを言われるのが嫌でしょうがありませんでした。
      
人には深く聞かれたくないことがそれぞれあると思いますが、私の場合は自分が生まれついてしまったお寺について聞かれることが最大の苦痛だったのです。 
     
継ぐと、佐賀にずっといなければならないと強く思い込んできました。
親の姿を見ていたからということもあるでしょう。
        
小学校の頃から「継ぐの?」という言葉は人生の可能性がたち消える呪縛でしかなかったのです。お坊さんとして生きている父親とお寺のお客さんを毎日相手にしている母親を見ていて、「人生ってこんなものなんだ」という思いが知らず知らずのうちに刷り込まれてしまったのかもしれません。その結果、お寺を継ぐのかという質問は、自分はこう生きなくてはいけないのだという強い思い込みに変わってしまっていたのです。
         
小学校の時に不登校を経験し、中学校へ進学、高校を卒業し、1年間の浪人時代の末、京都大学に進学しました。さらにカナダ留学を経験し、留年し、かろうじて就職しました。1年半後、退職しました。
     
退職後は賃貸の家を手放して、半ホームレスのような状態になってみたり、さらには表現活動に関わってみたり、自分なりの生き方を模索してきました。
            
お寺の世界から逃避するように、見たくないものに蓋をするように生きてきましたが、現在はお寺や仏教に可能性を感じ、以前には想像できなかった動き方をしています。
           
私が自分自身にかけてしまっていた呪縛を一つ一つほどいていっている最中です。
            
固定観念の存在に気づくのは難しい。
私たちは大量の固定観念を抱えて生きているといっても大げさではありません。その固定観念の存在が、私たちの人生の歩み方に強く影響してしまっていることに気づかないことも多いでしょう。
    
私はお寺に生まれてしまったから、お寺を継ぐべきだというレールに乗っていた自分自身を振り返り、いまはそのレールからいったん降りてみています。

それに引きづられてレールに乗らなくてはいけないと思うのではなく、意欲的に乗りたいと思うならば乗ると自分の選択の感覚を取り戻しました。
  

レールを降りるとまた新しいレールがある

最近になって周りの人と話していると、それぞれの人がその人が作り出した虚構のレールの上でもがいている声なき声が聞こえるようになってきました。
          
与えられたレールからあえて降りることを選び、自分で新しい物語を作っていこうとする力強い知り合いたちもいます。そのような人たちでさえ、どこか表情が冴えず、夢や目標を語っているのに生気を感じられない人たちもいるのです。
        
どうしてなのだろう?と考え始めました。
       
自分が乗っていたレールを降りて、また新しいレールに乗っているのです。
「起業して成功したい」「独立して自由に生きたい」などと考え、前は乗っていなかったレールに乗る。さも自由になったと最初は思っていたけど、またレールに乗っかっていることに気づく。
              
私たちは無限のレールの上に生きていて、それ自体から逃れることは難しいのかもしれません。多くの人が「何者かにならなくてはいけない」という呪縛を抱え、社会的なレールの上を踊りながら生きています。
             
社会的なレールは、人を測るための価値基準に溢れています。ただ、この価値基準に沿って成功することが人を幸せにするのかはわからない。このような中で本書のテーマである「トランジション」という思想・技術の必要性を感じ始めました。
  

変化の時代を生きるトランジションという生き方

「トランジション」とは、変容を続ける<わたし>を常に受け入れ、流れるような精神性で今を生きていく技術です。<わたし>は身体的にも、思考の面でも、留まることなく変化を続けています。細胞は死に、新しく生き返る。考えも移り変わり、二度と同じ状態に戻ることはできません。
          
ですが、私たちは「あの頃がよかった」と過去に執着したり、「こんなことが起こったらどうしよう」と未来に対して不安になったりします。未来と過去を行ったり来たりする中で、目の前の今を生きれていないことがあります。
                  
その解決策として「全てを手放しつづける」というあり方があるのではないかと考え、それを本書では「トランジション」という言葉を切り口に語ります。
   
「トランジション」的な生き方は現在とても重要になってきているように思うのです。
        
ここ数十年の中でいうと、インターネットの普及によって、私たちの生活は劇的に変化してきました。高度経済成長以降の経済の停滞もいうまでもありません。急速に広まった経済資本主義のパラダイムとそのシステムもこのまま続いていくのかわかりません。さまざまなオルタナティブな価値基準が台頭してきている中で、私たちの内面的な変化も劇的に起こっているのではないでしょうか?
     
大企業だからといって将来安泰とは限りません。国という存在自体が揺らがされる可能性だってあります。私たちが乗ってきたレールは、沈みゆく船のように少しずつ、しかし確実に沈んでいっているのかもしれないのです。
      
そのような社会情勢の変化を前提として、私たちはどの価値基準を信じていけばいいのかわからないようになってきています。まさに時代の過渡期です。         
             
どのように生きていきましょうか。明日いきなり「ゲームオーバーです。人生お疲れさまでした。」と言われても納得できないでしょう。
      
それに応える本になればと思います。 


この本を手に取ってくれたあなたへ

今、生きている実感が抑圧されていると感じているならば、それを取り戻すためにぜひページを進めてほしいと思っています。レールに乗ってしまっている自分自身をどうレールから降ろしてあげるのかを考える機会になると思います。

また、楽しく生きているはずだけど、なんだか人生にしっくりきていないならば、この本は、人生がどういう思い込みに動かされているのだろうかということを考えるきっかけになります。

創造的に、そして豊かに生きている人にとっては、思い込みをさらに外し、本質的な自己実現の可能性を感じる本になればと思います。

1章では、トランジションとは何かについて説明し、

2章では、三浦がお寺に生まれてから、現在に至るまでを振り返り、生き方の洞察を「トランジション」という言葉で切り出していきます。

3章では、お坊さんの松本紹圭さんとのやりとりの中から見出す人生を生きるトランジションの思想や技術について語ります。

変化に溢れた世界を生き抜く方法について、偶然にもこの本に出会った皆さんと共に探究していければと思います。

私が松本紹圭さんとのひょんな出会いから本を書くことになったように、
あなたがこの本を手に取ったのも、単なる人生の中の偶然です。

人生は偶然の連続で、コントロールできないことに満ちています。
だからこそ面白いですね。

ぜひこの本と出会った一期一会を楽しんでいただければと思います。

Enjoy! 
   
三浦祥敬

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