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【日記】秋田9日目Part(3)〜なまはげは、お前のことも見ているぞ / 怠け者を記録する「なまはげ台帳」の威力〜

24年3月、秋田にフィールドワークに来ていました。滞在は10日ほど。「芸術人類学」の切り口でのリサーチ旅の様子です。

9日目の移動ルート: 小松クラフトスペース(Note投稿)→男鹿半島→なまはげ館(今ここ)

なまはげ館の前半の様子はこちら。

今回の投稿は、前半の続きの投稿です。

さんざん暴れまわった赤と青の面のなまはげ。ひとしきり動き回った後、家主と対面し、ドンッと畳に腰を下ろした。さぁ何が始まるのかと見守っていると、家主となまはげが示し合わせたように意外な言葉でやりとりを始めた。



「(家主・なまはげs)おめでどうございます」

年末年始という設定だからだろうか。「おめでとうございます」という言葉からその会話はスタートした。これまでドタン・バタンと音を立てていたなまはげが整列し座っている。私は九州に生まれ、なまはげについての事前知識はなく、これまでの知識はテレビのなまはげによって刷り込まれたものだったのだが、そこでのなまはげはまさに私が体験したなまはげの前半の様子そのものだった。つまり、「わるいごはいねが〜!」「なまげものはいねが〜!」という怠けもの探知機のような役割を演じるものこそ「なまはげ」なのだ。

しかし、どうしたことか、目の前のなまはげさんたちはそこに座り込み、家主の方を向いて落ち着いた様子で座っている。ここから先の「なまはげ」は私にとって未知の世界の住人だ。

ちなみにここから先は流暢な秋田弁でやりとりが行われていたので、三浦は内容を半分くらいしか理解していない。

全ての流れを追うことができなかったので、なまはげのことをしっかりと理解したい人は、実際に体験するか、調べてほしい。私もこの文章執筆をより理解を深めていくためのきっかけにしたいと思う。

家主「いやぁ、なまはげさん、今年もまたこの寒いところよく来てくれたっすなぁ」

なまはげさん「んん、なんぼ雪降っても、吹雪いても、なんでもねえ」

なまはげさん(2)「うんだ」

なまはげ「一年に一回里さ、下りてこねば、怠け者が増える!」


なまはげさん。これまでの無礼を許してほしい。これからはさん付けで呼ばせていただきます。ピカソ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、大谷翔平など、ついつい遠いけどみんなが知っている存在はさん付けせずに省いてしまう。なまはげさんと言うとその存在がくっきりしてきた。山からの異形の神様でありながら、なまはげ様とは呼ばれず、さん付けでオッケーのようだ。親しみ深さと畏れ多さが私の中で同時に生まれた。

なまはげは家主を気遣う。しかし、荒々しさは依然として残っている。優しいひと声というよりも、背筋が伸びるピシッとした声かけのように感じた。

家主のススメで、なまはげさんのおちょこにお酒が注がれた。なまはげさんはお酒を飲むらしい。気が大きくなってきたのか、なまはげさんの口調にも熱が入ってくる。もはや流暢すぎて会話には理解ができない箇所がたくさんあった。

なまはげさんはおもむろに一つの見開きの冊子を衣の中から取り出した。なまはげさんが取り出したのは「なまはげ台帳」と言われる冊子だ。これがめちゃくちゃ怖い!なまはげさんは警察が過去の記録を参照しながら詰問をするように、おもむろに家主にキツく注意し始めた。

「奥さんはしっかり朝起きてるか?」

「奥さんは料理を作っているか?」

「息子は宿題やってるか?」

「娘がカラオケに行って、遊び回っているらしいな。どうなんだ!!」

なんとも怖い台帳だ。次から次にその家の者たちにチェックが入っていく。家主は時おり「ウッ」と言葉に詰まりながら、家族を守る弁論に力を込めた。ボクシングで言うとコーナーに追い込まれたボクサーが顔をガードしながら体勢を低くし、頭を揺らしつつ致命傷を避けるかのようだ。弁解しつつも相手にパンチを繰り出すことは許されない。相手は神なのだ。事細かに観察したであろう事実で槍のようなパンチを繰り出してくる。

家主は幾度にもわたるパンチを避けながら、「うちにはそんな悪い児や妻は居ません」と言わんかのように妻や子供の一年の頑張りを伝えようと試みる。さらに技巧を凝らし「まぁまぁなまはげさん、そう言わずにお酒でも…」と酒好きなら受け入れそうな言葉で回避を試みる。しかし、なまはげさんはそれにも関わらず言葉で畳み掛けていく。もう50回くらい家主は心で「(ウッ)」ときたのではなかろうか。時おり成功するお酒を注ぐということも功を奏さず、終始主導権はなまはげに握られたままだった👹👹👹

なんとも怖い台帳である。一年に一度やってくるなまはげさん。今回話したことも台帳に書き記すのだろう。うかつに何かを話すことも憚られるが、話さないとそれはそれでなまはげさんは詰問してくる。家主役をやりたくないものだが、このやりとりを横目で眺めているのはなんとも気楽なものだ。

そんな時に、

「ドン!」

となまはげはこちらの方を音を立てて見てきた。

私の目の前に座っている子供がうろたえる。私の心もヒュッと縦に伸び、数gほど体重が軽くなった気がした。観客席の雑念もなまはげさんにはお見通しなのだ。このなまはげさんは家主という設定の人間だけでなく、観客という設定の、時おり笑ってこの場を見守る人間に対する配慮も忘れない。「お前らのこともみてるぞ」と言われている気がした。

なまはげ台帳というものはなかなか興味深い。今のところいい感じの情報リソースにあたることができておらず、精緻な紹介はできないのだけど、なまはげ台帳はなまはげさんが1年1年、人を見てきた結果生まれてくるものだと分かった。

文化を担う人間寄りの目線に立ってみると、なまはげ台帳を更新するためには、村の人たちの動向を事細かに知る必要がある。すこーーしだけ、お面の中を想像させてもらうと、台帳を更新するためになまはげさんを演じる村の青年はさまざまな聞き込み調査を行うのだろう。ネット上で調べてみると、家主へ事前に詳細なヒアリングをするらしい。常に干渉されることに「ひえー」と感じてしまう私から見ると、これは冷や汗ものだ。

冷や汗が出る(心地がする)ということを通して、自分自身の周りの人たちとの関わりのあり方もまた見えてくる。私は近代というものを"流民の増加"という観点から見ている。人はどこかしらの地域に生まれつくが、地域からは人が流出し、人が集中していく場所は都市と呼ばれるようになっていく。日本においては明治以前から政治や文化の要素が集中する場所として"都"が成立してきたし、都と都市の違いをどう捉えるかはさておき、おそらく今は明治以前よりも「生まれた場所が骨を埋める場所」だと考えは相対的に薄くなった人が多いかもしれない。そういう人にとって、このなまはげ台帳は結構な衝撃があるはずだ。

一方で、この台帳を違う切り口から眺めてみたい。この台帳は、山という世界が人間を律するという表現をあらわしたものだと言うこともできるのではないか?と思った。コンプライアンス、ハラスメント、そういう言葉が多くの人に取り上げられ、人間と人間とのコミュニケーションが起こる場面においての摩擦をマシなものに変えていこうという流れの中に身を置いていると、この台帳はそもそも私たち人間は生活圏の外側から常に働きかけられ、命を落としてしまうことがあるということを思い出させるものとしても機能しているかもしれない。人間から「怠けるなよ」と言われると、ついつい私は「ハラスメントだ」と思ってしまうこともあるけれど、山からの来訪神から「怠けるなよ」と言われると、少々体感することが違うものになる気がする。何が起こるか分からず、自分たちの生活圏が大きな外圧によっていつ変化するのか分からない中、何が起こっても対応できる心構えを養っていく必要があると思っている。なまはげさんの言葉の数々をありがたく受け取ることができる心構えがあるだろうか?と自分に問うても、「一筋縄ではいかないだろうな」という心の声が返ってくる。引き続き、心の修行は続きそうだ。

Noteを検索すると、なまはげ台帳が”防災”的機能を果たしているという考察を展開している文章を見つけた。

 ところで、この「なまはげ」の行事は、近年大変有名になり、観光PRに広く利用されていることから、関係する祭りも地域振興との関係で注目されています。一方で、あまり知られていませんが、この「なまはげ」は、地区防災計画学会をはじめとする防災系の学術研究団体で、コミュニティの防災活動との関係で注目をされており、「なまはげ」は究極のコミュニティの防災の姿だと言われたりもしています。
 これはどうしてでしょうか。
 実は、この「なまはげ」の役を担当しているのは、消防団自主防災組織に所属しているコミュニティの若いメンバーである場合が多いのです。彼らは、この年中行事の前に、子供のいる家、新しくお嫁さんが来た家の家族等から情報を集めて、「なまはげ台帳」というメモを作っており、このメモに従って、家々をまわったときに問題点を指摘してまわります。この仕組みが、先輩から後輩へと代々受け継がれ、コミュニティを支える若者の育成にもつながっています。
 この仕組みの狙いは、子供やお嫁さんをはじめとする家々の問題点を指摘して生活を戒めるという点だけにあるわけではありません。この「なまはげ」を担当している若者たちは、災害時には消防団自主防災組織のメンバーとして活躍する人たちですが、「なまはげ」のために集めた情報は、災害時に支援が必要になるかもしれない住民の情報であり、そのままコミュニティ災害対策につながる情報になります。つまり、コミュニティの防災活動のための仕組みが、ここに埋め込まれているわけです。

【祭りと防災②】なまはげに隠された防災機能【秋田県男鹿】

誰がどこに何人いるのか。

災害が起こった時に素早く安否確認を取ることができるかどうか。

災害が起こった時に、ネットが落ち、電気・ガス・水のインフラが断線する。そのような事態が起こった時に重要になるのは、具体的な人のつながりであり、なまはげ台帳という記録をつけるという行為はそのつながりを強化することにつながるのだろう。



今回はここまで。

次回はなまはげの実演のパート3です。

なまはげ台帳・自然からの働きかけ・防災という観点からなまはげ実演を振り返りましたが、お次は「なまはげ実演の続きの様子」と「なまはげ館」などのトピックについて執筆しようと思います。

ぜひお楽しみに〜。

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