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私が三年ぶりにBurning Manへ行く理由

私は2019年のBurning Manへ参加する事にしたが、2016年の参加以来実に三年ぶりのBurning Manの参加である。
今回のBurning Manで私がやりたい事は、Templeという死者への感謝の手紙や写真が囲われたアートプロジェクトの中で、友人の死の追悼をし思いきり泣いて自分の心にリセットを掛けたいからだ。

Burning Man とは 参加のきっかけ


Burning Manとは、アメリカはネバダ州にあるブラックロック砂漠に8月下旬から9月のレイバーディまで行われる巨大な”コミュニティ”である。
お金を使わないギフティングで成り立っており、食べ物や飲み物の交換だけではなくアートやコミュニケーション、ダンス、そして共存・共感することを主体として交換し成り立っている文化である。その生活はまるで人類が地球外へ進出し別の惑星へ移住した時に起こりうる状態だと考えられる。砂漠の中は寒暖差が激しく、電気や水道などのインフラは無く、人々は直接のコミュニケーションを取りながら厳しい環境下で共に生活をするのだ。まるで宇宙の彼方へ放り出された状態に似ていると推測される。

2016年 私はたまたま日本からのアートチームにジョインさせて頂く形でBurning Manへ参加した。社会や学校でも浮いてばかりで自分の居場所を探したくて参加したのだ。

Burning Manを知ったのは2010年に当時巨大な同人誌即売会のイベントで、格好も発言も奇抜な私を見てある作家さんから
「君はBurning Manへ行くべきだ。そこが君の居場所にふさわしい!」と言ってくれたのだ。早速Burning Manを調べるとレイブやLGBT、裸体で過ごすなどあまりにも過激な言葉と画像や動画が現れた。ドキドキしながらWebページを検索していた自分がいたが、ここに本当に自分の居場所があるのかと半分疑いもあった。
5年ほどモヤモヤしていたが、丁度会社を退職しなけばならなくなったので良い機会だと思い思い切って参加する事を決心したのだ。

会社での事が少し傷になっていた私にとってBurning Manでは素晴らしい出会いや、アート、価値観、全てを包み込む事に本当に素晴らしいと思った。Burning Manの中では浮かなく、人とのコミュニケーションも自然と合い環境に溶け込めた。自分たどたどしい英語でも快く皆受け入れてくれ「Welcome back!」「I’m Home!」と言いながらお互いに抱きしめ合い頬にキスをしその空間を共感していた。

このBurning Manはインフラが無いので地球外惑星へ行った時を想定した世界であった。人とコミュニケーションしなければ情報が入って来なく、時には食料や水という生命維持に必要な情報さえ入って来ない。それは時として孤立を産むが、何も無い中で生き延びなければならない時こそ一番大切なのは”人とコミュニケーションをとにかく取る”なのだ。

Burning Manには大きな節目のイベントがある。
一つは「Man Burn」 Burning Manを象徴するThe Manという巨大な人形を花火を交えてお祭り騒ぎに燃やし一同で思いっきり盛り上がるイベントである

もう一つは「Temple Burn」Burning Manを代表するTemple とうアートプロジェクトであり、巨大なお寺の建物の中に死者や亡くなった尊敬する歴史的な人物やペットなどの写真や感謝のメッセージが約2万以上綴られている場所である。

この場所では人々が号泣しながら死者への思いを語ったり他者とコミュニケーションを取ったり、歌や踊りや念じたりして死者への思いを祈る場所であった。その思いとともにBurning Manの最終日にTempleに火が入れられ一気に燃やされる。天に舞う煙はまるで人々の思いを天国へと誘う様な光景であった。

この様な素晴らしい体験ができた私がBurning Manに3年も参加できなかったのには理由がある。
Burning Man開催中に日本で大切な仲間が死んでしまい友人の死に目に立ち会う事がで気なかった事、Burning Manの会場にはインフラが無く電話もネットも届かないため友人の死の連絡を受ける事ができなかった。
友人の死へとBurning Manに参加すべきかという反省と後悔で心の整理を付けるのに時間が掛かったためである。


筑波大学での大切な友人と私の物語

その友人は私が2012-2015年 筑波大学で科目履修生で通学していた時に一緒に大学公式のアプリを作った仲間だった。当初は8人グループの中でも浮いていて、正直他の人の足を引っ張っていると思ったし、自分が開発に貢献しているかわからなかった。しかし、リーダーをやっていた友人はそんな私にこう伝えてくれた

「君はね、このチームにとって必要なんだよ。イノベーションってどうやったら起ると思う?同じような考えの人間が集まってもダメなんだ。君は奇想天外なアイディアを思いついて言ってくれるけど、時にその発言が周囲を混乱させるだろう?周囲は飛び抜けたアイディアを思いつかないから君に対して理解がなくて邪魔者扱いする。でも、私はリーダーとして君を守るし大切にする。何故なら、チームには起爆剤が必要なんだ。奇想天外な事を言う奴がいるから新しいモノを生み出せるんだよ。君はこのチームの起爆剤だ。

 オレには夢があって大学の中で生み出したアイディアで世の中をもっと面白くしたいんだ。イノベーションは大学こそ生み出せるとオレは考えている。柔軟で無邪気な学生のアイディアこそ世の中が変動して行くのに必要だし、次の世代を作れる。

アメリカの大学がすごいのは大学からイノベーティブな製品やサービスが生まれるんだ。そしてそれを投資家や企業がお金を出したり事業にする。だからアメリカはたった200年という短い歴史でも急成長したとオレは考えるよ。

 この日本が変化するには、君みたいな人を邪魔者にするのではなく、生かすことを考えなきゃいけない。だから、オレはその例を作る。

 そして、筑波大でPh,D を取得して、どこかの大学で教鞭に立ったり研究室を持った時に奇想天外な学生に出会えたら大切にして育てて社会に出して行きたいんだ。

 オレは東京大学を鬱になって4年で退学して、今の奥さんに出会えて回復して今度は筑波大に行けた。劣等生だったし心が死んでしまう気持ちがわかる。そう言う人はちょっとしたサポートで生きるんだ。君みたいな奇想天外な人間こそ生かす事こそ筑波大での可能性が広がると思うんだ。
 だから、オレはイノベーティブな人たちやアイディアを生み出し続けられる研究機関や組織を作りたい。それが夢なんだ。」

その言葉と友人の姿勢に感動し、その言葉に救われた。 
今までこんなに自分を認めてくれる人に出会う事がなく、いつも否定や拒絶ばかりを受けていた。自分の良いところを生かしてくれる姿勢が本当に嬉しかったし、何より認めてくれた事が心の救いになった。この方とこのチームに貢献して素晴らしいアイディアを形にして世に出したいと思った。
その矢先、その友人は背骨のがんに侵されてしまい、大学を休学した。
当時一緒に作っていたWebやアプリのサービスがリリースした直後であった。
抗がん剤の影響で友人は自分が元気には対応できなくなった。転移がひどく手術が行われなかったが、2016年8月に友人はSNSを通じて元気にギターを引く動画をアップロードしていた。その姿を見て私はアメリカから戻ってきたら直ぐに会いに行こうと思った。
まだ元気だし大丈夫と疑ってなかった。元気で再開しようと強く願って私は一切連絡の取れないBurning Manの世界へと入ったのだ。
しかし、その後友人は8月27日 日本の東海地方でひっそりと息を途絶えた。その知らせはBurning Man から帰り電波が通じる状態になった9月5日に知る事になる。

Burning Man で失ったモノ

 当時、私はBurning Manの会場で失なうモノが多すぎて失望していた。得たものも多かったが帰りのライドシェアで失敗し途中アメリカの牧場へ置いてけぼりにされたのだ。
人を信じられなくなった。アメリカは日本人にとっては憧れの国かもしれないが、実際は田舎と緑が多く人が以内ところも多いしインフラが整って以内ところもある。そんな中で牧場に置いてけぼりにされたのは死に近い経験であった。その時に車で助けにきてくれた日本人の友人の勇気には本当に心から感謝している。
しかし、そのトドメが友人の死というのは言葉にし難い。

私はその時、自分の心が死んでしまった。

友人のSNSに妹さんの書き込みがあり、家族に看取られながら静かに息を引き取った事を知った。
Burning Manの会場ではインフラが整っていないので電波も掴めない。故に電話もインターネットもできない。
むしろ、Burning Manの会場内では手紙を送れる。外からも住所がわかっていればちゃんと会場で宿泊しているキャンプの場所に手紙が届く。本当に宇宙の彼方の別な惑星か、1000年くらいの時代にタイムスリップした様な世界観なのだ。
手紙でやり取りできない事を悔いた。
SNSやメールで主な情報交換をする現代を恨んだ。

やっと自分を認めてくれた人に先立たれるのは悲しすぎて自分の心が死んでしまった。
涙が枯れて喉が乾くまで何度も泣いた。

私はBurning Manへ行くべきだったのか本当に悔やんだ。
当時、Burning Manの後心を消耗し、帰りのライドシャアで人に騙され牧場へ放置されたり、さらに私の大切な友人の死に際の機会を奪割れたと当時は思った。

しかし、それは私の問題なのだ。

神様は運命をいたずらして、どうして生きていて欲しい惜しい人ほど早く天に召される様にするのでしょうか? どんなに願っても救ってくれないのだろうか?
熱意ある友人はどうして死ななきゃ行けないのか?
死なないで欲しかった。生きてて欲しかった。
また君に勇気ある言葉を掛けて欲しかった。なのに、なんで、、、

最後に、ありがとうもさようならも言えない別れなんて本当に悲しすぎて私は知らせを受けてからBurning Manが終わり片付けのためにアメリカでお世話になった家の中でしばらく閉じこもってしまった。自分の心のドアを開ける事ができなかったのだ。
直ぐにでも友人の遺影に会いたいと思っても、フライトの関係で直ぐに日本に帰りたいのに帰れない。

当時、友人の奥さんと連絡を取っていたが、なんと奥さんは友人が亡くなる4ヶ月前に離婚し疎遠になっていた。理由を聞いたら抗がん剤の影響でその友人が友人でなくなってしまい家族に暴言や暴力を振るう様になってしまったそうだ。
その話を聞きとても大きなショックと共に、奥さんがキレて離婚してまで追い詰められた事に同情しつつも、人間はあまりにもひ弱であると痛感した。
抗がん剤の影響で脳にまで影響を及ぼし、優しかった友人が別人になってしまった事実と周囲を混乱させていた事、そして奥さんとは連絡を取れてもその友人の家とは疎遠になり遺影の場所やお墓の場所がわからなくなってしまったのだ。

故郷・恐山へ

どこに友人の遺影があるかわからない私は、帰国後直ぐに青森県むつ市にある恐山へ行く事にした。恐山は死者の魂が49日までに通過し浄化され天国へ行く通路になっているためだ。そしてむつ市は筆者の出身地でもあり、昔から霊や死者の話をよく聞いていたのと、イタコの口寄せでもしかしたら友人の死後の声を聞けるかもしれないと思ったからだ。
恐山へ行けば友人に会える様な気になったからだ。 

そして私は恐山に3日篭り友人の死を悔やみずっと石を組み立ては壊したり数カ所に友人の名前を石に書いた。
恐山には死者の名前や命日を石や地蔵に書くという習慣がある。Burning ManのTempleの様にメッセージや写真も無い。恐山ならではなのは石を積み上げて崩すという行為である。
「河原に石を積み上げ供物をし声を上げて泣くと先祖の声を聞くことができる」

何度も何度も石を積み上げては崩し、泣き、空を見上げながら祈り続けた。
しかし、友人の声は一向に聞く事はできなかった。神様は私を見てくれているのだろうかさえ思った。


イタコの口寄せに頼ろうとしたが、死後の友人の声を聞こうと依頼下が、そのイタコからは二親等以内の魂出ないと下ろせないと言われ諦めるしかなかった。

友人の声が聞きたかった。自分の心を癒したかった。
君が居ない。寂しい。悲しい。辛い。君はどこにいるの? 
私を置いて、君はどこへ行ってしまったの?

冷水を一気に呑み、再び恐山を彷徨うという生活を3日続けた。
生と死の瀬戸際に居るような感覚に陥り、この世に生きているはずなのにまるで死の間を彷徨っているいるかの様な感覚に近い。まるで本物の三途の川を行き来している状態だ。
まるで自分が幽霊になったかのように、この世に存在してはいけない様な感覚に陥った。

自分の心を癒すには時間が足りなかった。
もちろん行かないよりまマシだったが、心にぽっかり空いた穴は塞がらなかった。

その半年後、2017年の春に別な友人を伝ってやっと友人のご実家と連絡を取ることができ私はやっと友人の遺影と対面し手を合わせる事ができたのだ。
最後友人が息を引き取った部屋にも行ったが、そこには友人の魂はもういなかった。浄化され天国へ行ったことがわかった。
それでも、どこかで私は友人と会いたいと強く心から願った。ここじゃ無いどこかにきっと居る様な気がしてならなかったのだ。
どこかで輪廻転生しているのではと思いたい自分がそこにいた。
これで私にとって2016年のBurning Manは終わったが、その次にまたBurning Manへ行くには心が晴れ覚悟が決まらないと行けないと悟ったのだ。

覚悟と決断と慈悲

3年という月日が経過したが、やっと行ける覚悟が持てた。
ただ友人の死を悲しみ泣き慈悲し、思いっきり泣くために私はBurning Manへ行きたい。

そして、Temple に友人の写真とメッセージを添えて置きたい。自分の心を癒したい。
Burning Manの最終日にTempleに火が入れられ後かも無く燃やされる。Templeに置かれたたくさんの写真とメッセージと共に炎が天に舞い上がるのだ。その燃え盛る炎を見たときにきっと私は涙しながら自分の心が癒されるだろう。
私は、いつも暖かな笑顔で変で馬鹿にばかりされる私を受け入れてくれた友人の死への慈悲に別れを告げたいのだ。
友人の言葉に救われた自分がいたが、いつまでもその言葉に頼るのでは無く、今度は自分が自分の言葉で自分を支えられるように成長したい。
友人の言葉のお陰でこの5年どんなに辛いことがあっても常に前を向いてポジティブに考えて行動できた。辛いときにこそ「君は必要なんだよ」「君は起爆剤だ」「イノベーションを起こすには変な人が必要なんだ」この言葉に私はどれだけ救われ支えられた事か感謝してもしきれない。

ありがとう さようなら 君の言葉は私を救ってくれて大きな支えになりました

君ができなかった夢を今度は私が引き継ぐよ
私は生きているから死なない限り挑戦し続けるよ

明日死ぬ覚悟で毎日を生きているよ
君の死に目に会えなかった後悔を二度としたくないから
今できることを思いっきりやりたいんだ

時間やお金で諦めたくない
生きて諦めなければチャンスは巡ってくると信じるよ

君はこの空のどこかを彷徨っているのかな?

君ができなかったイノーベーションを私はやるよ
今、君が応募できなかったグラントや予算取り、プロジェクトをしているよ

Burning Manの会場でTempleに行ったらなんとなく君に会える様な気がするよ
なんでかな?君は日本で死んだのに、魂はアメリカまで瞬間移動してくれる様な気がするんだ。

Templeに行ったときに私は君の幻を幻想するのかもね それでただ自分で自己満足するのかもしれない

君の事は好きとか恋愛とかではい
君は私の心を救ってくれた大切な友人なんだ
本当に心から感謝している 

私は今は何も与える事はできない。まずは自分の心を癒し燃やしたいんだ

それは別に君に別れを告げる事ではないよ
次のステージ進むための心の整理をしたいんだ

君が勇気ある言葉で私を支えてくれた様に、次は私が勇気ある言葉を掛けられる様な人間になりたい

次のステージへ行ける様に自分を落ち着かせ、的確に判断できる様に心を冷静にし、ちゃんと行動できる人間になりたい

友人の死を乗り越えて、私は強くなりたいです。

 Burning Man での朝日 暗闇からまた光を見れる様に希望を持ちたい
 この美しい朝日を見れる様になりたいです

ここまで読んでくださりありがとうございました。


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