ずっと「誠実」を求めていた私が気づいたこと

梅雨入りして、雨の日続きになってきましたね。雨だと、髪の毛が広がるのが嫌なのですが、この機会にちゃんとお手入れしようと思いました(笑)

さて、本題。

『誠実さ』について考えることが、人生で度々あります。もはやこれがテーマなのか?と思わされるほど、「誠実」とは?という問いがよく出てくる。

誠実であることって、どれだけ自分の大事と向き合っているか。なのだと思います。それが物であれ、人であれ。向き合うと見たくないものも見ることになることもあるし、それでも見ようとすることで分かることもある。

知ろうとすることでもありますよね。

「誠実さ」と「良い人」であることは別物だと思っていて、誠実だからと行っていい人とも限らないし、良い人だからって誠実とも限らない。誠実でいようとして、無理に良い人をする必要はないということなのだけど。

過去に恋愛をしてきた人たちに、「誠実」じゃないって思った時って向き合ってもらえなかった時だった。私を見ているようて見てない時。

その時ってとっても寂しいんですよね。

ただ、一方で「誠実」じゃないと感じる気持ちは私のもので、私が勝手に相手に期待しているってことでもある。その期待に対して、答えてもらえなかった、裏切られたと感じたから、「誠実」じゃない!と感じた。ってことだと思う。

それほど、自分の中での期待があったってことでもある。

「誠実」を誰かや何かに求めたとき、それは実は自分の勝手な押し付けだったり、コントロール欲からくるものだったりはしないだろうか。と思うんだ。

自分が誠実でいようとするときとは違って。自分が誠実でいようとするのは、自分の人生だし、したいようにすればいい。ただ、書いた通り良い人と誠実は違うから良い人になって疲れないようにすることはオススメする。

自分の中の誠実さを明確にしていくといいですよね。自分への誠実さと、誰かへの誠実さのバランスって大事。

一方で誰かや何かに感じる「誠実ではない」は、それは誰かや何かを使って自分の思い通りにしようとはしてないだろうか?自分が勝手に思い込んでこうあるべき!みたいな感覚ではないだろうか?

と、自分に確認してみること大事。

まぁ、そうは言っても「誠実じゃない!!」って怒りがあるときは、そんなこと受け入れられないし、「いや!でも!そうは言っても、あいつが!!!!」ってなるのだけど(笑)

ちょっと落ち着いたことに、何を期待していた?どうして欲しかった?どうしてほしくなかった?そんなことを自分に確認してみるといいよ。そして、それを相手を無理に自分が変えようとしていたという傲慢さにも気づけるといい。わがままの骨頂でしかないからね(笑)

期待していたこと、やって欲しかったことを、自分で自分にしてあげたらいいし、して欲しくなかったことは自分もしないようにすることを決めるだけ。それと、相手をどうにもできない現実を受け入れること。

期待しちゃダメってことでもないし、欲しちゃダメってことでもなく、それがいき過ぎてたことで偏っただけ。

戻したら、いいだけだったりする。

最近、誠実とは?大切にするとは?

そんなことを考えることがあったので、書いてみました。参考になれば嬉しいです^^


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