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I'm from Hiroshima.

海外に住んでいると、必ず聞かれる。

Where are you from?と。

I'm from Hiroshima.と答える。

そしたら、Oh.というリアクションをされる。

なかには、広島はもう大丈夫のか?住めるのか?と聞かれる。

全然住んでるんだけどね。


Hiroshimaという場所は、どの世界に行っても、

どんな国の人でも、ほぼ知っている。

それくらい、1945年8月6日は、

人類史上で相当重い日だったのだろうと思う。

説明不要なHiroshima出身であることが、

ありがたいなと同時に、海外にいると、

何か伝えなきゃいけない使命感みたいなものも少し感じる。

おまけに、私は、被爆3世。

祖父が「長崎」の被爆者。

指令で防空壕を掘っていた時に、原爆が落ちたらしい。

防空壕の中にいたおかげで祖父は助かり、

外にいた友人は亡くなったそう。


ラッキー、じーさん。


祖父があの時穴の外にいたら、私は確実に今いなかった。


そんな祖父は、私が5歳、60歳にしてガンで亡くなり、

直接被爆体験の話は聞いたことがない。

叔母からお話を聞いた。

まだ生きていたら、どんな話が聞けたんだろうと思う。


広島では、8/6、

テレビ番組が一斉に原爆・平和特集になる。

私が行っていた学校は、

夏休み中でも、8/6は記念礼拝があり、

強制的に出校日。


どこの国にいても、

毎年8/6, 8/9は原爆の日だな、と思う。

1945年のあの時は、

この日みたいに晴れて、もっと暑かったのかな、とか。

今生きていること、平和な生活に感謝する。


今年の8/6は、ベルリンの公園で

Peace Ceremonyがあり行ってきた。

平和の鐘をついた。


私は直接被爆していないため祖父のような体験談は話せない。

けれど、被爆3世であるとか、祖父の生き残った話をする時がある。


世界中の全員が、

紛争、飢餓、ユダヤ人迫害、アパルトヘイト、原爆...

あらゆる人類の重い出来事に関心を向けているわけではない。

残念ながら。


私が最低できることは、

私と出会った人が、少しでもその瞬間に、

人類の重い出来事「原爆」に関心を向けてもらうこと。

本当にあったんだ、あの悲惨な出来事は、と身近に思ってもらうこと。

私や私の話を接点に。


I'm from Hiroshima.と答えるたびに思う。


↑被爆した祖父(中央)の写真。
まさかの当時イケメンで、驚く孫。


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