料理の味は味見で決めるのか問題

料理に味見は欠かせない、と言われます。プロだって毎回、お客様に提供する前に味見をする。私も、料理を仕事にするようになってからは、以前より慎重に味見をするようになりました。
が、実際のところ、少し違和感があります。というのも、料理の、舌での確認はどちらかというと最終チェック。料理中には、それ以外の感覚;目で見た感じ、耳からの音、手の感触…のほうが優位に立っている感じがするのです。

料理の仕事を始めてからは、味見をするようになったと書きました。
逆に言うと、それ以前はほとんど味見をせずに仕上げることのほうが多かったです。褒められることではないのですが、それで失敗することも、あんまりなかった。
これは自慢したいのではなく、自分でも不思議なのです。
そして今も、最終の味見段階で、イメージから大きく外れていることは少なくて、逆に外れているときは、それ以外の感覚;視覚、聴覚、触覚を使ったプロセスをきちんと踏んでいないことが多いように感じています。
例えば、塩を振るときに、手で直接塩をつままずに、スプーンで掬ってしまった、とか、そういう時です。

きちんとしたレシピがある場合は、レシピに従い、小さじ◯杯、とやればもちろん間違いはないのですが、日常的な料理で、目分量で仕上げていくときに、下手に計量スプーンなんかを使うと、自分のイメージと数字がずれていて、結果がおかしくなってしまうのです。

耳や目も同じ。以前、お気に入りの音楽を聴くのを中断したくなくて、携帯プレイヤーとイヤホンで音楽を聴いた状態のまま料理をしたことがあるのですが、鍋のグツグツいう音が聴こえないだけで、こんなにも感覚が狂ってしまうのか!と驚き、反省してすぐにイヤホンをはずすことになりました。コンロの火や、鍋からの音から、食材の状態を判断していたことに、気づいたのです。

青菜炒めを作ります。(以前書いた、野菜炒めのエントリー)
中華鍋を火にかけ、十分に熱したら、油をしき、ぐるりと回してなめらかに鍋肌にいきわたらせます。カットしてある青菜を鍋に投入し、ジュー!と派手な音がしたら、第一段階クリア。
良い温度で野菜を炒め始めることができたということです。

ざっとかき混ぜたら、手水をします。
野菜炒めというのは、鍋肌からの熱だけではなく、立ち上がる水蒸気の力も借りて、全体を熱で包み込むように火を通すもの。水やスープ、酒などを使うといいのですが、この時にも視覚と音が重要。注いだ瞬間、たっぷりの蒸気が上がるとともに、ジャー!という大きな音がしなくてはなりません。
水分の量が多すぎたりすると、鍋の温度が下がってしまって、蒸気は上がらず、音もしません。

仕上げに、塩。
鍋の中の野菜の量を見ながら塩壺に手を入れて、指先で塩を適量すくいとり、鍋全体にふりかけます。
その瞬間、手から塩が離れる感覚や、鍋に入った塩の量から、足りないなと思えば少し足します。多すぎたらどうしようもないので、やや慎重に、かといってチマチマやっていると、感覚がずれてくるので、できれば一回で。

火を止めるタイミングは目で決めます。青菜全体に火が通り、全体に活き活きしたツヤが出たところで皿に盛ります。炒めすぎてぺったりしてしまってはいけません。あくまでシャキッと、歯ごたえとボリュームは残るように。

この間、使うのは、耳と目と手だけで、味見は一度もしていません。正確には、火を止める直前くらいに味見はしますが、この段階で調整するといっても、実際のところできることはほとんどありません。
けれど、すべてが適切なら、きちんと美味しいところに着地する。本当に不思議です。

味見は大事ですが、味を決めるポイントは、そこに至るまでのプロセスにあり、しかもそれは、舌以外の感覚でコントロールされている。
いつも何気なく当たり前にやっていることですが、とてもおもしろいし、料理を人に伝える上でとても大事なことだなぁと感じています

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shokosun(伊藤尚子)

レシピ文化研究家/はなうた食堂主宰。アジアに住むわたしたちの生活とその繋がり。アジアを中心とした家庭料理のレシピとその文化背景を研究しています。

はなうた食堂料理教室

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