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家事とは◯◯である

さて、先日の新しいカテイカミーティングin大阪でのお題、「家事とは◯◯である」という問いに、私自身が答えていなかったので、ここで書いてみたいと思います。

「家事とは、生活をニュートラルにする機能のことである」

前回のnoteで書いた言葉です。生活の恒常性を維持するための機能である、と言ってもいいかもしれません。

新しいカテイカのメンバーで話をしている時に「マインドフルネス」という言葉が出てきました。私は、実はこの言葉について、あまり認知していなかったのですが、今ここにある感覚に集中すること、というような概念らしく、私が思う家事の機能ともリンクするなと、思いました。
大阪でのミーティングで、私の入ったグループでは、「家事は、自分が納得することが一番大事」というメッセージを共有したのですが、ここにもつながるでしょう。
自分自身に集中する、真ん中に還る、基本姿勢に戻る。そんな表現もあるかもしれません。

ニュートラルに戻れ!

自分の感覚に集中できているとは、どういう状態を言うのでしょうか。
あるいは、自分の感覚に集中していると、どういうよいことがあるのでしょうか。

料理の仕事をしようと考え始めた頃、フランス料理店の厨房で働かせてもらった時期がありました。家庭的な店とはいえ、長年の経験を積んできたシェフが、その技術を駆使して作り上げる伝統料理のサポート。自己流で家庭料理を作ってきただけの私にとっては、失敗せず実力を出し切ったとしても、及第点に至るかどうかは怪しく、特にピーク時間などは、全力で平均台を走る抜けるような緊張感でした。
そんな時、常に心にあったのは、「ニュートラルにもどれ」という自分へのメッセージ。
どんなに急ぐべきときでも、一旦基本ポジションにもどる。
具体的には、緊張で上がりきっている肩の力を抜き、時には無意識に止めてしまっている息を吐き出し、まな板の上をきれいにし、包丁を所定のポジションにまっすぐ置く。
そのことで得られるのは、次のアクションへの、物理的な準備体制だけではありません。自分自身の中心に感覚を戻すことで、頭がクリアになり、周囲の状況にも手先にも神経が行き届くようになって、失敗を最大限避けることができるようになるのです。
明らかに実力不足な私にとっては、なけなしの自分の力を出し切る、唯一確実な方法でした。しかし、そのおかげで、レストランの厨房で働くという、またとない機会を最大限に活かし、その後の仕事につなげることができたと感じています。

恒常性は、生命の土台になる

生活には、オンとオフがあります。
テンションを上げて仕事に向かい、緊張を解いて心身を休める
感情を激しく揺さぶられる出来事があれば、冷静に考えを深めることもある。
体調の良い日もあれば悪い日もあるでしょう。
そのどれもが、人生にはついてまわるし、実際のところ、不可欠なものです。
家事は、その中間点、オンに向かう、あるいは、オフに向かう出発点にある。家事そのもの、あるいは家事によって得られる何か(食事や自分の居場所づくり)によって、自分自身の感覚に集中でき、その後のアクションにスムーズにうつるための準備が整うのではないでしょうか。
家事を好きな人のその理由は、自分の身体感覚に集中する喜びに加え、その結果から得られる喜びを、誰よりもダイレクトに感じられるからではないかと思います。

多くの人が、家事を面倒だと感じつつも、それを捨てきれない。ぼんやりとした大切さを感じていて、だからこそ、十分でない現実が心を重くするのではないでしょうか。
家事には、正解はありません。
丁寧、手抜き、といった評価だって、あまり意味がない。
家事によって、自分(たち)の生活の中心をつくる。そこに意味があるのであって、丁寧か手抜きかなんて、バリエーションの1つでしかないのです。
家事は、目的でもありません。
そこからまた動き出す毎日に、再び参加するために、
生命の揺れ幅を、健全に往復し続けるために、在り続けるもの、です。

家事には終わりがない、と嘆く声が、よく聞かれますが、動き続ける生活の真ん中にあると考えれば、それは当然。その終わりのない営みを、いかに無理なく自分自身にフィットさせるかが、肝といえるでしょう。

人の命は、恒常性によってこそ守られています。
皆さんそれぞれの真ん中に、家事の、良い在り方が見つかりますように。


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