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呼吸するように、生活していこう。

マンションの排水管清掃で自宅待機だったり、受講しなくてはならないセミナーがあったりで、今年の仕事始めはいつもよりゆっくりになりました。
仕事納めから慌ただしく続くお正月というのは、休みといえども、準備や挨拶廻りなどで、普段より忙しいくらいですが、おかげで一息つく時間ができ、ほっとしています。まるで、吸いっぱなしだった息を、ようやく吐けたかのよう。
ゆっくり新聞を読んだり、落ち着いた気持ちで台所に立ったりしながら、生活のリズムが戻ってくるのを感じています。家事って楽しいし、楽しいと思えることが嬉しい。

けれど、こんな風に感じるということは、仕事に追われて、生活に向き合う余裕が失われていたことの裏返しでもあります。人間は息を吸い込んでばかりでは生きられない。吸い込んだら同じだけ吐き出さなくてはいけない。
緊張感の続く日々、吸い込むばかりになってはいなかったか。

家事が担うもの

私が、落ち着いて家事に向き合える時間を嬉しく感じたのは、家事そのものの楽しみ以上に、「息を吐けた」と感じたからでした。一方向に緊張していたのが一旦緩んで、ニュートラルに戻ったような感じがしたのです。

日常生活を、息を吸い込むが如く緊張感を持って事を成そうとする状態と、息を吐き出してリラックスする時間とに分けてみると、家事というのは、その間、呼吸を整え、自らの生活をニュートラルにする機能のことであると、言ってもよさそうです。

世の中では、家事のしんどさを叫ぶ声が大きくなり、昨年は、私たちもそれについて考えようと、一歩踏み出しました。そのしんどさを、「うまく呼吸できているか」という視点で捉え直すと、どうでしょう。

家事のスキルが足りないことや、やり甲斐が感じられないこと。
巷に溢れる「スマートな時短テク」では救われないどころか、ますます疲れてしまうこと。
これらの問題はどれも、家事が、緊張感に覆われた、息を吸いこみっぱなしの行為になっていて、いつまでたっても息を吐き出せないところに原因があると言えます。

逆に、スムーズに呼吸する手段を、柔軟に考えてみれば、家事のスキルを身につけて自らの手で居場所を整えることも、外注サービスを利用することも、何ら干渉しない、並列で、時に併用可能な選択肢だと考えることができます。

自分の庭で、大根を育てて食べるのは素敵だし、栽培が苦手だったら八百屋で買ってきても構わないのです。大切なのは、美味しい大根を食べて一休みし、再び明日へ向かうことです。

家事で生活のスイッチを

息を吸えば、必ず吐くように、柔軟に、等分に行き来しながら生活する。
ハレとケ、陰と陽。その往来こそが、私達の暮らしを健康に保つリズムにほかなりません。仕事の比重が高くなりがちな日々に、家事はその媒介役、スイッチとなれるのではないか…
そんなことを考えていたら、新年早々から、自分の生活も見直すような構えとなってしまいました。

今年は恐らく、私の生活も大きく変わります。
けれど、呼吸は常に忘れないように。
そう。人間は、息を吸うばかりでは生きていけないのと同時に、吐かなければ、思いっきり吸い込むことだってできないのだから。
往来を繰り返しながら、自分の生きる場所を大きく、確かなものにしていく、そんな年にしていきたいと考えています。




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