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奴隷なんかじゃないと思っていたオレが奴隷思考に陥っていた件

太平洋戦争での敗戦が決定的になってきた際、天皇を中心とした日本政府、大本営が最も懸念したのは、ポツダム宣言を受け入れて無条件降伏した後の日本が西欧諸国に奴隷化されてしまわないか?でした。
既にドイツでは国を東西に分断され、直接軍政が敷かれており、日本も同じような結末を迎えることは容易に想像できた。というか、イエローモンキーと揶揄されていた日本人は、有色人種に対する白人の人をひとと思わない残虐な仕打ちを鑑みれば、アフリカやインドのような隷属国家に貶められる可能性が高いと考えたのも無理はありません。本土決戦で最後の一人まで戦うべし、との軍部からの暴論も展開されたようですが結局、日本は二度の原爆の投下を受けた後、1945年8月10日連合国のポツダム宣言を受諾、無条件降伏しました。

日本復活

日本の敗戦から78年が経った今、日本は堂々と世界の先進国の仲間入りをしており、GDPで世界第3位と表面上は独立国家としての國體を維持できているように見えます。敗戦後の日本は国中の主要都市が焼け野原になり、GHQに統治された植民地から奇跡とも言われる見事な復活を遂げたと思ってきましたし、そのように学校でも教わりました。
一時はジャパンアズナンバーワンと言われる程の経済力を手にして、世界の企業を見渡しても時価総額のトップ10の半数以上を日本企業が占めるほどの国力を手にするまでになりました。
日本は豊かな国になったし、日本国民もその豊かな暮らしを享受して農業国として植民地支配された殆どのアジアの国に比して随分と幸せな国として国土、国民を守れたのだと私自身、認識してきました。

日本人安楽死計画

しかし、失われた30年と言われる平成から令和の時代、私が社会人として生きてきたこれまでを俯瞰して見ると、日本は確実に衰えており、意図的に弱体化されている様にしか見えません。
誰が、何のために?との問いに対する答えを私が明確に持っているわけでもありませんが、間違いなく日本は消滅してしまうような弱い国へと進んでいると感じています。
高齢化と少子化は社会が成熟すると現れる、致し方ない現象のように語られていますが、生まれてくる子供たちよりも死んでいく大人が圧倒的に増える社会は「進撃の巨人」にあった民族が消滅する安楽死計画が進んでいると見るのが現実的です。さすがに21世紀になって暴力による民族浄化はできにくくなっているのですが、単純な暴力ではなく、経済的な締め付けと潜在的な暴力、思想や思考をコントロールすることによって、自ら国を破滅に導く様に促す計画が進んでいるのではないかと思うのです。いわゆるマインドコントロールが今の日本にはびこっているのではないか?と最近、様々な新たな学びの場に足を運び、問いを立てるようになって今更ながら気が付きました。

鳥獣魚虫と変わらない

今の日本社会で生きるとは、完全に経済の枠組みの中で、金を稼ぎ生活を営むことと一体化しています。いわば、お金が全ての価値観にどっぷりとはまってしまい、生きるためにどのようにして金を稼ぐのかが、ほとんどすべての人が最も重要視する生きていく上での命題になってしまっています。現代の日本ですっぽりと抜け落ちてしまっているのは「何のために生きるのか?」との本来、最も重要視すべき人のあり方を見つめる問いです。
快適に食って、寝て、セックスをするだけのために生きるのならば、人間は鳥や獣とさして変わらない動物の一種に成り下がってしまいます。日本人は「今」の利便性や経済効率、享楽のために環境を食い荒らしています。人口が減り続けるのに土地を開発し、50年後に廃墟になるタワーマンションを立て続け、外国からの輸入への依存を強めて農作地を放棄しています。種を残すことに積極的になっていない現状を鑑みると、ひょっとしたら、動物以下の存在になり下がっている可能性さえあります。福沢諭吉先生が学問のススメの中で「額に汗して生業するだけなら鳥獣魚虫と同じだ、人間としての目的を達せよ」と書かれていたのを誰も知らない、生きる目的に関心を持たなくなってしまいました。

人でなしの世界

人を人たらしめるのは、未来を信じる力を持っているからだと言われます。だからこそ、本能的な欲望に身をまかせ、目の前の快楽を貪るだけでなく、理性を発動して法や倫理、人の道を守り社会を形成してきたから人間は地球の覇者となった。との説は、理を持った人の交わりが文化や文明の発展、進化の元になってきたのを指し示しており、非常にリアリティーを持って、私たちに何が本当に重要なのかを教えてくれます。
逆に、未来に創るべき理想を持てない、人を信じられなくなった人間は今、金、自分と言った目に見える確かなものしか価値を感じ無くなります。それが加速すると、自分と身の回りの人の安全と経済合理性のみを追求し、金がすべての価値観になってしまい、それ以外に関心を持たなくなってしまいます。
非常に残念ですが、今、金、自分だけ良かったら良いと言う人が、日本人にはあまりにも多くなってしまいました。最近のビッグモーターの内部告発による騒動でも露見しましたが、冷静に考えたらあってはならないような悪しき習慣はあまりにも様々な業界にはびこっています。

目先の金儲けが全て

今の日本では、金にならないこと、自分の利益に寄与しない事を行うのがおかしいと感じられますし、そう言われます。20年前に私が職人を正規雇用して安心して働ける環境を作って若手を育成すると言い出した時、同業の建築関係の経営者には気でも狂ったのか?と言われました。外注扱いの職人を内製化すると、福利厚生に莫大な費用がかかります。その決算書を見て、銀行の担当者は「今どき人員の在庫を抱えるような馬鹿な経営者はいませんよ、」と必要な時だけ職人を雇い入れるような経営を進めてきました。ものづくりの企業が、ものづくりを担う若者を育成せずして何の経営か!と怒鳴って銀行の席を立って帰ったのを今でもはっきり覚えています。
何のための事業なのか?との本質的な問いを誰も考えることなく、ただひたすらに金儲けだけができればそれで良いとの風潮が、その当時から既に蔓延っていましたし、恥ずかしながら起業した当時の私もその人たちと大して変わらない考え方、価値観を持っていました。

亡国の教育

経営者にとって、今月の支払いを滞りなく行うこと、今期の決算で黒字を出すことは絶対的に行えなければならない責任です。最重要と言っても過言ではないですが、近視眼的に目の前のことだけを追いかけていると、目に見えない大事な事を切り捨ててしまいます。結局、中長期に見れば足元から全てが崩れ去ってしまうのは自然の摂理。目の前の対処を行いながら、未来に対する予防や布石を打つ、人と人の関係性の質を高める課題の根本的解決を目指す姿勢があってこそ、持続可能な事業にビジネスモデルは構築されるもの。
未来を信じて行動する、人間誰しもが持つ類まれなる大きな力を使ってこそ、会社も、地域社会も、世の中も少しずつ成熟に向かい、良くなっていくのだと思います。にもかかわらず、そんな思考をする人が完全にマイノリティーになっている日本。その理由は、やはり教育による洗脳としか考えられません。それは学校教育だけで無く、社会人に対しても執拗にそして周到に行われて来ました。個人主義、地域コミュニティの崩壊、情報革命による思い込みの加速とロングテールの誤認、拝金資本主義の蔓延、そして未来への不安と、全ては人とひとの絆を断ち切り、人類発展の源となった共同体を破壊する洗脳教育と言っても過言ではありません。

奴隷からの脱出

日本人は、朝鮮戦争をきっかけに経済成長と言う名の目先の金をちらつかされながら、戦後からこれまでの80年間近くにわたって、国を滅ぼす教育を受けてきたのだと思います。未来を見ない、今しか興味がない、自分だけ良ければ良いと言う貧しい考え方を持つのは奴隷の特性です。サンフランシスコ条約で日本の主権が認められたと学校では習いましたが、実際は主権どころか、国を自ら滅ぼす人を量産する安楽死計画に則って、外的なコントロールをされてきた結果、今のどうしようもない閉塞感に包まれた、日本へとゆっくりと真綿で首を絞められるように破滅への道をたどってきました。
私たちが、「和を以って貴とする」や「三方よし」「愛国心」「志を立てて以って万事の源となす」等の伝統文化、日本で大切にされてきた価値観を全て切り捨てて、今だけ金だけ自分だけの価値観を植え付けられて来たのは、明らかに日本国民全体を奴隷にするための教育なのです。
私たちは、亡国の思想にすっかり取り込まれてしまっていることを今すぐに認識すべきです。そして、金だけ、今だけ、自分だけの価値観を持ってしまっていることを認め、意識的に未来に、世のため人の為、目に見えない信頼や信用、文化や知識、愛と思いやりに価値を置いた営みに軌道修正するべきだと思うのです。次の世代により良い世界を残すために経済活動が必要なのであって、金のために人生があるのではないと国民全員が胸を張って言える世界にならなければ、本当に奴隷としてすり減らされ、絶滅してしまうと思うのです。

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主体性と誇りを持って、生きる意味と価値を考える職人育成の高校とビジネススクールを運営しています。



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