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独創性とは、起源に戻ることである。〜ガウディとサグラダファミリア展〜

1926年6月7日はガウディが縁石につまづき路面電車に轢かれて亡くなった日。それからもうすぐ100年が経とうとする今、未完の大建築と言われたサグラダファミリアがいよいよ完成が近づいています。完成予定は2026年との事なので、ガウディが亡くなってからちょうど100年の年月をかけて竣工を迎える予定です。建築を志した者なら誰しも、生涯を賭して完成を見ることなく死ぬのを分かった上で、いつ出来上がるか分からない壮大な規模、かつ気が遠くなるほど緻密にディテールにこだわった設計をし続けたガウディに心惹かれたことがあると思います。私もその一人で、この度、竣工を3年後に控えて、世界を巡っているサグラダファミリア展に足を運んできました。

強靭な精神と圧倒的な集中力

建設的思考と言われる様に、建物を作り上げるには基礎から順番に、多くの人の手が関わりながら順序よく精密に積み重ねることが必要です。一つの小さなパーツが狂うと全体の構造や意匠に支障をきたし、大勢の人の汗と多額の費用とモノづくりに打ち込んできた人の想いが水泡に帰してしまいます。建築は大きなモノを作っている様で実は非常に繊細な設計と施工の積み重ねであり、良いモノづくりを行うには「ディティールに神が宿る」と言われるくらい細やかな心配りとそれを具現化する技術が必要です。
そして、緻密な作業を膨大に行うには、強い精神力と集中力が必要です。私は大工の出身で、建築士の資格を取って設計も行ってきた経験から、そのプロセスがいかに大変で、強靭な心が必要なのかを体感してきたが故に、サグラダファミリアを設計し、死ぬまで現場の指揮をとってきたガウディの凄さ、圧倒的な精神の強さが身に染みて分かります。それは小さな建物の設計、施工で神経をすり減らして何度も心を折りそうになってきた私からすると既に神の領域です。

美しい人生のあり方

現在、国立近代美術館で開催されているガウディ展では、ガウディが就任する前のサグラダファミリアの初代の設計責任者の頃からの歴史をひもときながら、建築工程と言うにはあまりにも長い140年間を超えるこれまでの変遷を、ものづくりと、ガウディの思想、哲学の両面から光を当ててサグラダファミリアの壮大さを体感出来る展示となっていました。
建物が完成した姿を絶対に自分の目では見ることができない作品に人生の全てをかけて取り組んだ人の生き様はあまりにも壮絶で、その一切妥協のないものづくりに対するガウディの姿勢は、私ごときとはレベルが違いすぎて、比べることさえもできませんが、一応、建築をなりわいとしている私にとっては胸の奥のほうに痛みを覚えるほどのミッションへの真摯さを見せつけられました。自分の使命を知り、そのことのみを追求して生きた人の人生は本当に美しく、その功績が後世に残り、文化となって伝えられる。これ以上の幸せはなかったのだろうと、不慮の事故で亡くなったとされる彼の突然の死に思いを馳せました。

すべては自然にある

建築屋であり、建築家でもない私がガウディの作品にデザインの示唆をもらうことなど別段ないのですが、人として、もしくは様々なプロジェクトをマネージメントをする役割を担うリーダーや経営者としての立場では、ガウディが残した言葉や思想の中に非常に共感する部分や気づかされる概念が多くありました。特に、美しさを兼ね備えた持続性を担保する強靭な構造は、全て自然の中にあり、自然の本を読み解くことでモノづくり及び人の営みのすべてを見出し造形する。との言葉は非常に重く、ずっしりと胸に響きました。私にとっては、神のような存在のガウディは、自ら何も生み出していないと言い切り、全てが自然にあるとの哲学は、社会課題が溢れかえり、混迷を極める現代を生きる私たちこそが学び、建築やものづくりに限らずあらゆる局面でそれを意識する必要があるように思います。3年後、神の領域に足を踏み入れた知の巨人が思い描いた風景を絶対に見に行きたい。バルセロナ行きを決意せずにはいられない、そんなガウディとサグラダファミリア展でした。
9.1までの会期中に足を運ばれることを強くお勧めします。

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哲学を中心に据えた人材育成と教育授業を行っています。

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