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マジョリティは気がついている。

最近、明らかに風向き、もしくは潮目が変わったと感じています。以前の記事で小手先の小細工や表面的な対処、問題の先送りをする人や企業が日本の中小企業のマジョリティになっていると嘆きました。しかし、現代日本のおかしな慣習や欧米型資本主義が生み出す弊害の数々、無限に求められる成長拡大の限界を理解して根本的解決へのアプローチや原理原則論に基づいたスキームに耳を傾ける人が圧倒的に増え始めているのを感じています。

歪んだおかしな世界

マジョリティは気づいている。と先日の経営実践研究会主催のソーシャルシンポジウムの基調講演で山口周さんは口にされました。一昔前の経済学者は社会を市場原理に委ねておけば「見えざる手」が発動して自然に世界は成熟に向かい、社会が抱えるあらゆる課題は解決される、との楽観に過ぎる暴論を展開、資本家のなすがまま、強欲資本主義を全肯定しました。冷静に考えたらそんなバカなことがある訳ないし、世界は善人やお人よしばかりじゃない。
そもそも欧米型資本主義のスタートはフロンティアスピリッツで新たな土地を発見、開拓し、そこに住む人を虐殺、もしくは奴隷として捉えて強制労働もしくは人攫いして売っぱらう搾取の限りを尽くした、人を人して見ない悪逆非道な所業から発展してきました。それが人間の本性だとは言いませんし、西洋人を全員鬼だと言うつもりもありませんが、その流れを汲む人達が今なお暴力の代わりに金融で世界を支配しているのは事実として認識すべきだと思っています。だからこそ、世界には圧倒的な格差が存在するし、それが加速し続けています。

資本主義と民主主義の矛盾

現在、日本を含む西側諸国が信奉する資本主義は、一握りの資本を持つ強者の為の世界であり、根本的に末端の民の尊厳を守り、人の幸せを主体とする民主主義とは相容れない、真逆の思想です。
戦後からこれまでの日本の教育では何故かその原理が覆い隠され、資本主義を支えるのが民主主義であるかの様なミスリードが喧伝されてきました。私自身もこの国が全く民主的でないのに何の違和感も感じないまま大人になり、経営者になって民主的でない組織を作り事業を行って来ました。令和に改元されるタイミングで新しい時代がVUCAと言われる不安定、不透明、複雑、曖昧な世界に変わるのを体感して時代の流れを俯瞰する様になって初めて気が付きました。令和になって改めて、民主主義の実現をまずは自分達の組織から、地域や業界に広げて行かなければならないのだとリセットし直しました。恥ずかしい限りです。
このnoteにも令和時代の民主主義への移行についての取り組みをマガジンにして綴っています。

冨民思想に反動する政治と経済

誰もが世界平和を願っているし、皆が幸せになれば良いと考えている。
本気で、自分だけ良ければいい、この刹那の快楽だけあれば未来のことなどどうでもいいと考えている人は殆どいないと思っています。人は誰しも生まれつき、良き心=良知を持っていると私は信じていますし、信じたい。にもかかわらず、時代は全く逆の方向に進んでいるとしか思えない、違和感と不条理だらけの今の世の中はやっぱりおかしい。と気がついたのは私だけでは無いはずです。そして、そんな世の中にしてしまったのは、社会を構成する社会人一人ひとりの責任であるのも揺るぎない事実で、人々の政治や社会への無関心がそれを増長してきました。現代の大手企業と政治家の論理は上杉鷹山公が掲げ、実践した日本的経営の代表的な概念である、全ての人の幸せを目指す「冨民」とはかけ離れてしまっています。今の日本は急激に衰退の一途を辿っており、急激な人口減少は経済の問題だけに止まらず、民族滅亡の危機に瀕していると言っても過言ではありません。植民地時代から続く日本人の奴隷化と安楽死計画が着実に進んでいると思えてなりません。

潮目が変わったと感じる三つの出来事

そんな不条理と蹉跌と憤りに溢れた今の日本ですが、このままではヤバイし、ダメだと漸く多くの人が気がつき始めたと感じています。陰極まれば陽となる。と言われますが、そもそもこの世界はすべからず表裏一体、危うさが際立ってこそ、根本的な解決に目が向き、行動変容が起こるというものです。その兆しを感じる出来事に最近いくつか触れて、時代の潮目を感じている次第です。

建築業界の変化

一つは私が生業を持っている建築業界の変化です。私は大工上がりの経営者で自社の職人育成を軸に据えて、神戸と台湾で建築と地域コミュニティ事業、全国の建築事業所向けの研修事業、職人育成の高校の運営を行なっています。研修事業をスタートした7年前から全国でオープンセミナーを開催し、訴え続けてきたのは職人不足の大きなリスクと、モノづくりの事業の本質はその担い手を育成することにある。との原理原則です。
一般社団法人職人起業塾を立ち上げてからの7年間、毎年、10回以上も全国で建築関連事業の方々に講演やセミナーを行ってきました。延べ1万人以上の経営者に職人育成の必要性と重要性を訴えてきました。聞かれた方は皆さんもっともだ、必要だ。と言われましたが、実際に私が提言した職人の正規雇用、内製化、技術以外の教育、そしてキャリアパスの構築と運用に本気で取り組まれたのはほんのごく一部の経営者だけでした。それが、昨年から職人育成の高校を全国に設立するプロジェクトを立ち上げたところ、続々と同じ志を共にする仲間が集ってくれています。一年立たずして学校として学生を受け入れる事業者、または賛同者が40社近く集まり、新たに一般社団法人マイスター育成協会の設立しました。建築業界は漸く、職人不足問題の根本解決に向かうようになってきました。

存在意義と人を中心とした経営

もう一つはCSV経営と言われる社会(地域)課題解決と持続可能な収益性の両立を図るビジネスモデルに対して業界問わずの広い理解です。これまで自社の収益を上げるのを最優先に据えるのが圧倒的なマジョリティーで、その為の手段としてCS(顧客満足)とES(社員満足)に取り組むのが殆どの事業所のビジネスフレームであり、社員への行動強制のための理念や行動指針を掲げる経営者がもてはやされてきました。これらはアメリカの経済学者フリードマンが定義した「企業は株主利益の為に存在する。」との強欲資本主義的なパラダイムであり、民主主義とは相反する思考です。
近年、企業も持続可能性が重要視されるようになり、市場から存在意義を認められる在り方が求められるようになってきました。短期的な利益に本質が無いことに多くの人が気づき始めたのです。それは同時に企業という組織は誰のために存在するのかとの問いを立てることになり、組織を構成する人の生きがいややりがいにスポットライトが当たるようになって自立分散型の組織論を学び直す経営者が圧倒的に増えました。時代の潮目を感じるのです。

政治経済を語れないのが恥ずかしい

最後は情報化社会への移行が本格的に定着したことでの人々の意識変容です。平成時代に、私が志の教育が必要だ、国を愛する心が大切だ、日本の伝統文化を守るべきだ、アメリカが世界中で戦争を起こしている元凶だ、西洋諸国はアジアやアフリカ、アメリカで圧倒的な暴力を振るい、富を築いてきたし、その価値観は今も継承されている。等々、現在、事実として当たり前に多くの人が語っている言葉や思想が、その当時は右寄りだとか、排他主義に繋がるなどと批判されてきました。日本が民主化のレベルが低い国で、報統制されてきたこともインターネットのおかげで認知されるようになりました。まだまだほんの入り口に立ったところではありますが、正して行こうとする活動が多く始まっており、その胎動が散見されます。マスメディアでは無視されていますが、国民、市民の政治参加と、その前の正しい情報を持つことを呼びかける参政党は国政、地方自治体含めて百三十人もの議員を輩出しています。漸く、いい大人が政治に対して無関心を決め込むのが恥ずかしい時代になってきたのを感じます。これからネットネイティブが社会に出てくるようになります。本物の時代の幕開けは近い、その過渡期に今差し掛かったと思うのです。

以上の三つの事象は多くの人が感じられていると思いますし、その新しい世界への対応を急がれることを強くお勧めします。マイノリティーとマジョリティーが転換するのは目前だと思うのです。

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職人の意識改革、現場改革から民主主義への移行を促す活動を行っています。


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