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無いなら作る。 #志を明らかにする教育機関の創設の必要性

私の周りには、意識が高いというか、熱い想いを持った経営者の方がとても多くおられます。自分がそのような環境にあるのをすごく恵まれていると感謝する事しきりで、業界や業態の垣根を超えてそんな経営者さん達と話していると、様々な業界の課題や社会課題の解決に向けた取り組みについての話になります。

人を残すは金

そこでは、VUCAと言われる先行き不透明、不安定な今の世の中のままでは次世代を担う若者等が可哀想だとか、もう少しなんとかしてから引き継がないとヤバいよね。と世の中を憂う話題が頻繁に上がります。そして、今、目の前にある課題への対処ではなく根本的な解決を突き詰めていくと、最終的に(学生、社会人含めて)教育の問題に突き当たります。世界はこんなに大きく変わったのに、教育の現場は旧態依然のままなので大丈夫な訳はない。と皆さん口を揃えて言われます。この国の未来を背負うのは間違いなく子供達や若者で、教育は未来にアプローチする最重要なタスクであるはずですが、大人はつい、自分が携わる事業の収益、損得にばかり執着して、基礎的な人材の育成を国や教育機関に任せきりになってしまったまま、知らん顔になっているのではないか?との疑念は、見て見ぬふりと言うか、自分自身もどこか他人事になってしまっているのではないか、と私も大いに反省させられました。

社会人教育の成果

私は、一般社団法人職人起業塾で社会人向けの教育事業を行っています。自分自身が社会に出てから、学び、実践し、効果を認めた知識やスキームをカリキュラムに組み立て建築実務者の若者に対して研修という形で提供しています。事業所から派遣される形で参加される塾生等は全員が自ら主体的に学びたいと思って入塾してくるわけではありませんが、それでも半年間の研修を終える際は、皆、大きな成長を遂げており、卒塾後に目覚ましい活躍をする若者が少なからずおりますし、メキメキと才覚を表して経営陣として会社の運営に関わる様になった卒塾生も多くいます。社会に出てからも学ぶ場を提供することの重要性と共に、もっと早い段階、学生時代にもう少し社会に出てから通用する教育が出来ないものか?と思ってしまいます。

社会人としての基礎

私が行っている研修事業で若者達に学んでもらっている内容は、実は特別珍しいものでもなくて、社会人として、職業人として、また、人としてごく当たり前の原理原則ばかりです。本来、私たち講師陣が教えなくても学校で教育を受けている間に身につけてもらっていたら世の中は随分違ったものになるのではないか?といつも思っています。社会を生きていく上で本当に大事な事を学ばないまま大人になった若者達は、せっかく持っている才能を活かしきれず、大きな価値を生み出せないまま埋もれてしまっている。もしくは大きく遠回りをして無為な時間を過ごしている様に感じてなりません。

ポンコツなオレの所業

その感覚は自分自身の原体験に基づく部分が少なからずあります。私は若い頃、自分自身を社会のクズで、大した価値のない人間だと思っていました。半ば自暴自棄になって今だけ楽しければ良いと刹那主義に陥り、人のことに興味を示さず、自己中心的な思考で馬鹿な行動を繰り返して多くの人に迷惑もかけました。今となっては恥ずかしい限りですが、そんな考え方が変わったのは社会に出てからあまりの無学に危機感を感じて、独学で基本的な原理原則を学び始めたからに他なりません。学校では教わらなかった事を学び、世の中の仕組みを知った時、学歴社会からこぼれ落ちて、体力くらいしか取り柄が無かった自分にもできる事があるし、人様に喜んでもらえる価値を生み出す事が出来ると気付いたのです。

人生の目的はなんだ?

そんな自分自身の経験から、本質的な学びは人生を変えるのだと気付き、身近な人に当たり前の原理原則を熱心に伝える様になりました。まずは社内のスタッフ、懇意にしている取引先などから始め、それが徐々に広がって現在、一般社団法人職人起業塾として全国で研修事業を行う様になっています。そこで伝えているのを端的にかつ乱暴にまとめてしまうと、せっかくこの世に生を受けたのだから、「目的を持った人生を送ろう」との一点に集約されます。何の為に生きるのか?そして人生の中心的な時間を過ごす仕事で何を為したいのかを明確にして、そこに向かって行動を選択しようという事です。そんな当たり前に過ぎることをわざわざ研修で行う意味があるのか?と思ってしまいそうですが、若者だけでなく、経営者さえも人生の目的について明確に即答できる人はそんなにおらず、そんなことを考えないのがこの世の中のスタンダードになってしまっているのが現状です。

目的なき努力

人は皆、良い心を持っていて人に喜ばれると嬉しく感じるし、人の悲しみに触れると胸が痛みます。良いと思う心に従った行動は達成感ややり甲斐に結びつき、人を幸せな気分にさせます。何の為に?との問いを自分自身に繰り返し問いかけ続けると、金のため、生きる為、自分の快楽の為との利己主義に段々と違和感を覚え、物足りなさを感じる様になります。その結果、今だけ、金だけ、自分だけ思考を恥じる様になり、もっと意味や意義を見出す人生を送りたいと誰しもが思うようになります。当然、周りに対して大きな価値を生み出す様になりますし、それは誰にでも当てはまるごく自然な流れです。多くの若者はその目的を考える機会に巡り合わないまま、まずは生きるために金を稼ぐこと、安定した暮らしが出来る様に大きな会社に入れるようにと勉強に励むことを強いられています。それらは目的なき努力であり、結局、人生の意味も意義も感じられない生き方へと流されてしまいます。

学ぶとは目的を明らかにすること

私はその人生の目的を志と呼んでいます。そして、社会にとって最も重要なのは高い志を持った若者で溢れ、満ちる事だと思っています。幕末から明治維新にかけて、日本各地で身分に関係なく迫り来る国難に対して日の本を憂い、この国の未来をなんとかしたいと多くの志士が立ち上がりました。当時のアジアの国々が植民地にされる中、西欧列強に型を並べて対等に渡り合える国に成るように必死でもがき、戦いました。結局、アメリカの植民地になってしまいましたが、それでも戦後目覚ましい復活を遂げてジャパンアズナンバーワンと言われる程の経済成長を遂げて今に至ります。それは幕末から昭和にかけての倫理や道徳に重点を置いた本質的な教育と密接な関係があったと思うのです。行き過ぎたナショナリズムや軍国主義を肯定するつもりは毛頭ありませんが、日本で最も読まれた書籍と言われる学問のススメに書かれてある、目的を達すること、志を掲げる事の大切さを今一度若者に説くべきだと思うのです。

ないのなら、作ればいい。

いま、世界に目を向けると、まさかの戦争が起ころうとしています。何が起こるか全く予測のつかない、混迷を深める今の時代こそ、幕末の志士の様な熱い志を掲げる若者が多く生み出さなければならないと思いますし、私たち大人の最も重要な役割は次の世代の日本を担う志高い若者を育てることだと思うのです。私は中卒の大工上がりの経営者で本来ならば教育に関して何も言う口はありません。だからと言って見て見ぬふり、知らん顔は出来ないと最近、意識の高い経営者さんに塗れるようになって考えを改める機会を得ました。テストでいい点を取って、出来るだけいい学校を卒業して、有名な会社で将来の不安なく安定して働くことが一般的な価値観になっている今の世の中ですが、そもそも大企業も自分だけ良ければいいと思うような近視眼的な視点しか持たない若者が集まれば衰退、破綻への道を歩みます。志の重要性を説き、人生や仕事の意味や意義を深く考える教育が絶対に必要だと分かっている以上、他人事にせずに一歩を踏み出そうと決めました。大工上がりの自分の特性を活かして職人の技術と建築の知識、そして志を明確に持つことを最重要にした通信制の高等専門学校を立ち上げる取り組みを始めます。これからスキームを組み立てるので少し時間がかかるとは思いますが、出来ることなら全国に志を持った若者を生み出す機関を広げたいと思っています。共感頂ける方はご連絡を頂ければと思います。大人の責任、一緒に果たしませんか?

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志を明確にする社会人教育やってます。

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