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お前は既に幸せになっている。

12月も終盤に差し掛かり激動の2023年もそろそろ幕を閉じます。忙しく毎日を過ごしていると非連続性の出来事が脈絡無く次々と起こる様に感じますが、常に時間は連続しており、全ての事象は原因と結果の法則で繋がっています。なので、私は年が新たになったからと言っても何が変わる訳でも無いと思っていますし、大した出来事では無く、新たな年を迎えるのも日常の延長線だと考える様にしています。
それでも、人生において節目は大切で、それがあるからこそ生きて来た時間、これから生きる時間を俯瞰出来るとも思っています。竹は節があるからこそ、まっすぐに天に向かって伸びていく。ですね。

今年最後の・・

そろそろと年末も押し迫って来て、「今年最後の」が枕になることも多くなって来ました。私の場合、毎月、ルーティンで行う習慣を多く持っていることもあり、12月の半ばを過ぎると、毎日のように今年最後の、を連発しています。その度に一年間の流れを振り返るのは悪くないもので、人生を俯瞰して観るタイミングでもあると感じています。
先日、今年最後のコーチングセッションを受けて、コーチに今年の振り返りと来年への意気込みのどちらを話したいですか?と聞かれた際も、迷わず今年の振り返りを選びました。以前は過去を振り返る事よりも圧倒的に未来ばかりを観ることを好んでいた私の言葉にコーチも意外そうな反応をされていました。年寄り的な思考になって来たのかもと思いましたが、地に足つけて歩むことを覚えた大人っぽくなったのだと自分に言い聞かせてました。

何一つ達成していない、何者でもない幸せ

今年一年を振り返って一言で表すと、とても幸せな一年だったと思います。新たな法人やプロジェクトを立ち上げたり、役目を引き受けたりして、走り抜けた印象が強く、何一つ目的や目標を達成してはおりませんが、とても充実したワクワク感のある一年でした。しかし、今日死んでも満足か?と訊かれたら、全くダメだと答えます。私はまだ何一つやり切れてないし、全てが中途半端。やり残した事が山のように積み上がっていますし、やもすればそれは毎年増え続けているかも知れません。少なくとも、今年は確実に死ねない理由になる事柄が大幅に増えました。言わば消化不良が極まった状態となるかもですが、それでも幸せだったと感じるのです。

幸せの定義

幸せほど定義が人によってまちまちな概念も少ないと思っています。裕福だろうが貧困に喘ごうが、健康だろうが身体が言う事をきかなかろうが、大勢の仲間の中にいようが、孤独だろうが、その人が幸せだと思ったら幸せ。不幸だと感じれば不幸。幸せとは状態だけでは無く、感情そのものであり、その人にとっての事実であり、人それぞれの解釈でもあります。比較論では導き出す事ができなさそうですが、それでも、人生経験を積む中で自分自身のこれまでの状態や感情と比較して、自分比で幸不幸を感じることは必ずあります。以前、14歳の競泳競技をしている女の子がオリンピックで金メダルを取って、「人生で一番幸せです!」とインタビューに答えたのが大きな話題になりましたが、人生を生き、経験を積む中で幸せの定義も変わっていくものなのだと思います。

瞬間的な最大幸福感

今回、今年最後のコーチングを受けながら、改めて自分の中での幸せの定義は自己承認や目標達成ではなく、志を立てて、それを社会に実装させるスタートを切り、動き出す瞬間にあるのだと気づきました。
大好物の食べ物を口いっぱいに頬張ったときは確かに至福の瞬間が訪れると思います。しかし、ほんの一瞬で見逃してしまいそうになりますが、口の中に放り込むその直前の一瞬の方が、期待感と幸福感に対する想像が膨張し、既に幸せの絶頂を体験するのではないかとコーチに言われて、確かにその通りだと得心しました。この文脈から鑑みると、今年、地域事業としての建築事業から、全国に本物のキャリア教育を提供する職人育成の高校を全国に普及するプロジェクトを立ち上げ、本格的に教育事業に踏み込んだ私としては、長年掲げてきたミッション、「職人の社会的地位向上」をバージョンアップして、「学歴社会からこぼれた若者たちに未来の希望とキャリアを提供する」との新たな志を掲げ、それが全国に広がり始めた今こそ、社会変革の可能性、光を見出せた瞬間であり、幸せを噛み締めるべきだと思ったのです。

強く善なるエネルギーが全ての源

「志を立てて以って万事の源となす。」との吉田松陰先生の言葉の源とは、社会を変容させるための源であると、ずっと私は解釈をしていました。しかし、幸せの定義の考察をやり直してみて感じたのは、志を立てた時点で人は希望と共に未来への期待と共に幸せを感じることができる。その幸福感から発する強く善なるエネルギーが全ての源となるとの意味だったのか!と気づいたというよりも、解釈を新たにしました。
私が校長を務めているマイスター高等学院で高校生に対して行っているのは志の教育であり、社会人の職人を中心にした建築実務者を対象に行っている研修事業、職人起業塾で伝えているのも目的を明確にして、志を立てること。それって、幸せを渡せる取り組みとして再定義しながら進められるのではないかと思います。

お前は既に幸せになっている。

孟子が「良知」なる概念で示したように、人は誰しも生まれながら良き心を持っているし、善なる行いを知っている。改まって深く考える機会と場だけあれば必ず誰もが志を立てることができるのは、長年私塾を営んできた中で、私は肌感覚で実感しています。今一度、私が関わる若者達の全員に志を立てるサポートをすることを意識することで、幸せも同時に渡せる可能性もあるのだと再認識した次第です。
志を語った若者達に、「お前は既に幸せになっている。」と言い続けたいと思います。

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