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二つのWhyと結果の法則

学問とは問いを立てること。
大量生産、機械化、効率化の時代が過ぎ去り、多品種少量生産で多様な価値観を認め、一人ひとりの志向や意向を重視する時代へと変わりました。それは商品やサービスの開発の方法論だけではなく、誰とも違う「人」がそこにいる事の効果性、タレンティズム(才能主義)を以て多くの人の知見を認め集める経営の姿勢そのものの転換、在り方の見直しが説かれています。
世界中が巻き込まれているこの流れの本質は共感資本経済を生み出し、ごく一部の資本家だけが富を集める強欲資本主義から抜け出して人の幸せを中心に考える真の民主主義の幕開けに繋がると私は思っています。
そんな激しい環境の変化に対応すべく、学生、社会人問わず必要なのは、自分を強く押し殺し我慢して勉め、知識を詰め込む勉強ではなく、問いを立てる、もしくは批判的視点で疑問を持つ力を身につける学問だと言われます。数年前から文部科学省の教育大綱にもその必要性と重要性が明記されているといいます。そんなこれまでの延長線上にない未来を生き抜く為に必要な問いを持つ力についてこのところ考えていることをまとめてみます。

至誠而不動者未之有也

問いが志を立てる

何のために?との問いを持つことを起点とする「Whyから始めよう Start with why」は書籍と合わせてTED動画で超有名なサイモン シネックが提唱したリーダーの在り方。まさに問いを立てる事の重要性を顕著に指し示しました。経済優先の世界ではこれまで、目に見えるモノ、カネが重要視され、何を(What)、どの様に(How)ばかりを声高に叫ばれているが、これでは全く人の心に届かない。何のために?から、それも世界を変えたい、良くしたいとの意図を明確に持つことで多くの共感を呼ぶことが出来るとの理論は世界中で大きな反響を巻き起こし、ゴールデンサークルと言うフレームを広く知らしめました。マーケティングの世界でも在り方の見直すことから始めようとのムーブメントが起こりました。
サイモンシニックは、これはシンプルで大きな発見だと、そのTED動画の中で話されていますが、目的をまず明確にして、そのための行動を起こすべきとの論調は、実は古くから日本に定着しており、私たちはその良き意図、目的のことを志と呼んでいます。その考え方を端的に指し示した、吉田松陰先生の「志を立てて以て万事の源となす」という言葉はあまりにも有名です。

戦前の日本人の思考の源

また、日本人に読まれた書籍の中で今もなお、発行部数トップの座に君臨している福沢諭吉先生の「学問のすゝめ」には、万物の霊長足る人間ならば、額に汗して働いて、家族を守り、なりわいを成すだけではなく、目的を達成なければならないと書かれています。
その目的とは、今の豊かで便利な暮らしは先祖、先達のおかげであり、それを享受するだけではなく、文化、文明を発展させてより良い世界を次世代に引き継ぐ事だと言及されています。
先祖が遺してくれた文化文明を食い潰し、絶望的な社会にして子供達に引き継ぐ訳にはいかないと思えば、金を稼ぎ、家族と共に何不自由困らない贅沢な暮らしをするといったことは目的になり得ず、未来への責任を負って世の中を良くする思考と行動を起こす様になります。学問のススメが教科書に採用されていた事もあり、明治時代の殆ど全ての日本人は少なくともその様な概念を持っていたのだと思います。問いを持っていたのです。

今、金、自分思考がスタンダード

第二次世界大戦で敗戦国になってからの日本は、アメリカの植民地となり、憲法をはじめとして暮らし方から価値観まで、何から何まで全て変えられました。植民地支配で最重要とされる教育もGHQによってもちろん大幅に刷新、戦前の教育とは180度転換され、子供達は正しい人間としての目的を持つこと以前に自国の歴史や文化さえもまともに教えられないどころか、日本人はアジアを侵略して非道の限りを尽くしたとの自虐史観を植え付けられて来ました。占領国が行った亡国の教育が功を奏して、日本人の思考は大きく変わり、武士道も志も無い、経済最優先の資本主義にまみれて、今だけ、金だけ、自分だけ良ければそれでいいとの思考ががすっかりスタンダードとして定着してしまいました。
昭和、平成を生きてきた私たちの世代では、志を掲げてお金儲けにならない活動をしていると不思議に思われたり、なぜそんなことをするのか?と不思議がられる始末です。もちろん、私自身もそんな価値観にどっぷりハマっていた一人です。はっきり言ってアホでした。。

問いが人生の目的を炙り出す

学校もロクに出ていない、世の中のことを何も知らないまま大工として起業した私は、もとが無知過ぎたこともあり、起業した後から必死になって自ら学ぶ機会を得ようと様々なところに足を運びました。それは曲がりなりにも経営者になった自らの責任と役割に応えなければならないとの義務感が中心にありましたが、継続的に学びの時間を持つことは同時に問いを持ち続ける習慣を身につけることになりました。
何のために事業を行うのか?との問いを持つことで、自分だけ良ければ良いのではなく、周りの人、取引先、地域、業界、日本、世界へとその関心は広がりました。人生の目的=志を立てることにつながったのです。
学び続けることで、志も変化を遂げていきます。私の現在の志は「元大工の経営者、教育者として、学歴社会に縛られることなく、誰もが生きがいを持てる社会の実現であり、そのためにキャリア教育の職人育成の高等学校を立ち上げ、本物のキャリア教育を全国に普及させる活動を行っております。

二つのWhy

「Whyから始めよう」との概念は日本語に訳すと実は2種類の問いを意味しています。Whyを辞書を引くと「なぜ?」と「何のために?」の二つの訳が書かれています。よく似ている言葉ではありますが、それらは似て非なるものであり、切り分けることが必要だと考えています。
なぜ?との問いは違和感を感じた時に生まれます。それは理想を持っているからこそ、現実とのギャップに齟齬を感じて問いを立てることになります。
何のために?は方向性や目的を見失いそうな時に生まれます、それは一人の人間としての存在意義を見出す問いであり、人としての誇りを持ちたいと思ったり、人生への主体性を持つことでそれを考え始めます。奴隷には目的は必要ないのです。
この二つの問いを持たずに生きることは、理想を掲げることもなく、世の中の不条理に怒ることもなく、人としての誇りを持つことも、自分の生きたい人生を送ることも全て放棄してしまう所業です。まさに、亡国の思想と言っても過言ではなく、それが戦後行われてきた日本の教育の正体です。今こそ、問いを持つことを学ぶ、学問ノススメが必要だと私が強く主張する所以です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B4%E9%9A%B7

本質、根本、インサイトを導く問い

何のために?は在り方や志を炙り出すと上述しましたが、なぜ?は原因を問います。なぜなぜと繰り返すことで、表面的に見えているおかしなこと、不条理や違和感の根本的な原因に迫ることができるようになります。具体例として、なぜ、大工の地位が低いのか?を考えると、まず下請けの個人事業主が圧倒的多数になったことが挙げられます。なぜか?顧客のニーズの変化に適応できず、仕事を受注出来なくなったから。なぜか?モノづくりは得意でも宣伝広告やセールスには疎く、認知を広げられず忘れられたから。なぜか?時代の流れを読み解く学びの姿勢がなかったから。なぜか?職人は技術だけを磨けばいいとの教育を受けてきたから、との本質が見えてきます。
このなぜなぜの結果、職人の地位向上を図るには技術だけではないもっと広範囲で本質的な学びの機会を作らねばならないと考えて、私は職人起業塾なる無料の勉強会を開催し、人としての在り方を起点にマーケティングやマネジメントについて問いを立てる場づくりをしてきました。

5W1Hの罠

明確な目的(志)を掲げ、目標を立てて事を成すにはできる限り詳細でリアルな計画を立てることが必要です。その有効な手段として5W1Hをはっきりとさせるフレームワークが知られています。それは確か中学校で習ったと記憶していますが、実際の社会でも計画を立てる際には今でも良く耳にします。私は事業は計画と実践が全てだと思っており、この5W1Hの思考を常に意識して事業に取り組むようにしてきました。ただ、あまりにもよく知られるフレームワークであるが故かも知れませんが薄っぺらい表面を滑るような、「何のために、誰が(誰と)、いつ、どこで、何を、どのように(どのレベルで)」行うのかを設定するのを散見して、その度に計画が達成されることは無いだろうと感じて残念な気持ちになることが少なからずあります。生ぬるい計画に緻密なで厳格な行動はありえません。当然、結果も推して知るべし。自分自身も中地半端にフレームワークを使うことで、それっぽい計画になっていると勘違いを起こし、全く目標に達することができない失敗をこれまで幾度となく繰り返してきました。

問いがムーブメントを呼び起こす

思い浮かべると瞼の裏に行動の一挙手一投足がまざまざとイメージが浮かぶほど、リアルで緻密な計画を立てることができれば、あとはそのイメージをなぞるだけで結果がついてくるようになります。それは、計画立案の段階でなぜなぜを粘り強く繰り返し、本質に迫った動機の設定、解決したい、解決すべき本質的な課題、絶対に許せない不条理、目的を達成した時の感情までを明確にすることで計画の精度が大きく変わると思うのです。
結果や成果を手にできないのは計画が杜撰で実践ができないからだからと思われがちですが、なぜそうなるのか?の問いを立てて根本を探れば、問いを立てられていないから、もしくは問いに深みがなく、浅いところで止まってしまっているからだと言い換えることができると思います。
多くの人が、なぜ?と何のために?この二つの問いに対して、繰り返し粘り強く、諦めることなく理想を掲げて立ち向かう姿勢を持つことで、世の中は必ず良くなると思うし信じています。私自身、あらゆることに対して問いを立てる姿勢を貫きたいと思うのです。人が生きるに値する世界を実現して次世代に継ぎたいと考えています。

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職人の社会的地位向上の根本解決に向けて、モノづくりのキャリア教育、志の大切さを伝える通信制高校を運営しています。全国で協業の事業所を募集しています。

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