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知覧へ

8月も終わる頃「人生に迷ったら知覧に行け」という本を読んだ。知覧とは戦時中特攻基地が置かれた地であり、この場所から多くの若者が特攻にて命を絶った。現在は特攻平和会館が建てられている。人生迷い散らかしている私小籠包は急いで知覧へ。特攻平和会館を目指すことに。フットワークの軽さだけが小籠包の取り柄である。

前日は鹿児島の中心街、天文館近くで宿泊を予定。ホテルニューニシノのサウナで追い込んだ後、ふらふらになり右足指を殴打、出血。大人しく天文館より少し北へ歩き、母親ほどの年齢のお姉さんが執り仕切るbarへアポなし訪問。客が1人もいない。

お姉さんに、明日知覧へ行くことを話したら色々と教えてくれた。お姉さんはかつて銀座で長く働いており、今は地元鹿児島に戻ってきてゆっくりしているそうだ。貫禄が、ある。東京の友人も知覧に来たがるそうで、いつも特攻平和会館まで案内をしているが、建物の中に入ると体調が悪くなるため外で待っているそう。明日行くのが怖くなってきた。
ハイボールが身体を支配しだしたので、barのお姉さんに一瞥し宿へ帰宅。多少の恐怖はありながらも何か価値観が変われば良いなと期待しながら明日に備える。

翌日。バスに乗り知覧へ、と思ったが時間になってもバスが来ない。まずいと思いバスを諦め電車で南へ。近くの駅まで来たが2時間に一本のバスが目の前を通りすぎた。全力でバスの尻尾を追いかけるが無惨にもバスは山に消えていった。鹿児島の片田舎で私小籠包は倒れ込み空を仰いだ。夏の最後の大会で負けた高校球児のようだった。その後タクシーで山道を駆けて到着。多難な道であった。

早速特攻平和記念会館に入る。若者、外国人、高齢者、沢山の方が会館の中にいた。中には当時の兵隊の遺書がたくさん置かれており、皆食い入るように黙読している。
展示されてある戦闘機の前で車椅子のおばあちゃんが涙を流していた。車椅子を後ろで押すおじいちゃんがおばあちゃんに語りかけている。「あれにあんたの弟は乗っていったんだよ」

一通り見た後、会館から少し行ったところにある「富屋食堂」に行った。この場所は戦時中特攻隊員たちの面倒を見続けた鳥濱トメさんが営んだ場所とのことである。中には同じく遺書、遺品が並ぶ。こちらの建物には人はほぼおらず、特攻平和会館より集中して一つ一つ展示物を噛み締めて見ることができた。静かな空間であった。

最後は知覧で抹茶アイスを食べ帰路へ。
おいしい。

こんなことを言うと怒られるかもしれないが正直、価値観はあまり変わらなかった。恵まれた時代に生まれ、ゆとり全開で育った私には当たり前のように戦火の中人々が死んでいく状況、これから特攻機に乗って命を落とすのに写真の中で笑っている彼ら、到底想像も理解もできなかった。

ただ、まだ当時を知る人が生きている。歴史上の出来事とするには近すぎる。起こった事実を多少でも知れたことは収穫であった。

備忘としてこの出来事を書き残そうと思いつつも、その後完全に無気力になってしまい書き残すことさえできなかった。その時代に生きた人々よりも恵まれた環境にいながら、志もなく、ただ時間を、命を、消費していることに幻滅してしまったのだと思う。

指を動かしている今もどこか疲れが取れない。学生時代から比較の上で踊らされ続けていることが慢性的な疲れの原因かもしれない。皆々疲れを見せず楽しそうに生きていて強いと思う。相対評価に迎合できない私はいつでも最後尾を走ってきたし、今も最後尾を堂々と走っている。
思考を巡らせるだけでまた疲れてきたので、サウナにでもGOしよう。また夏が終わった。


年々彼らの曲がフィットするようになってきた。
曲の持つ意味は正直あまり理解していないが、大勢の人間が集まってがむしゃらに声を出している姿、その不完全さに只々背中を押される。

GEZAN with Million Wish Collective/JUST LOVE




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