拭く話
文章や詩について考えるとき、よく思い出すことがある。
小学生の頃、サザエさんオープニングの節に乗せて、こう歌うのが流行った。
公衆便所に行ったら 紙がない
財布を開けたら 1万円が1枚
拭いたらもったいない 拭かなきゃしょうがない
ルルルルルル 今日もいい天気
近い世代の人は聴いたことがあるかもしれないし、あるいは局地的な流行だったのかもしれない。
ここには、文章、特に詩に類する文章の、良い例と悪い例が、見事にまとめられている。
3行目「拭いたらもったいない 拭かなきゃしょうがない」が、とても、とても、要らない。
こんなモノローグがなくても、1〜2行目の状況だけで、その葛藤は十分に伝わる。
わざわざ葛藤を明記してあげるのは、無粋、幼稚、完全な蛇足だ。
一方、素晴らしいのは4行目の、憂鬱な状況で天気の良さを思う(言う)意外性。(俳句では「取り合わせ」とか「二物衝突」とか言ったりする。)
これがあるから、この文章は「詩」になり得る。
例えば、過酷な状況を笑い飛ばすと取っても、つらくて逆に笑えてくると取っても、1万円札で尻を拭く豪奢さがむしろ爽快な気分を生んだと取っても、まあ、良い。
でも、そんな解釈をしないでも、「そのまま二つのことを味わう」ことだって可能だ。(実際、困った状況と、「ああ、いい天気だな」という感慨は、両立し得る。)
ここだけ元の詩のままなのも良い。
小学生当時からこういうことを感覚的に思っていた(もちろんこんな風に言語化はできなかったけれど)し、どうやら世の中には、年齢を問わず、この感覚が共有できる人とできない人がいるらしい、と感じていた。
今も、その人と仲良くなれそうかどうかを推測する「踏み絵」のひとつとして、これが通じそうか見極めているところがあるかもしれない。
「考えてもみなかったけど、言われてみたらなるほど!すごいわかる!」と思ったあなた、俳句やってみません……?
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