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安心毛布をつくりたい − トオイダイスケ ロングインタビュー 【後編】

けもの『めたもるシティ』(TABOO/ヴィレッジレコーズ)佐藤文香 編著『天の川銀河発電所 Born after 1968 現代俳句ガイドブック』(左右社)でトオイダイスケを知った方にお届けする、「トオイダイスケ入門」。
旧知の友人によるロングインタビュー後編。

前編はこちら


−−自分で歌いたい志向が強まっているという話だけど、実際近年、トオイくんのボーカルを聴く機会が増えたよね。
俳句結社『澤』の「創刊の趣意」にトオイくんが曲をつけたものや、SST(※俳人 榮猿丸、関悦史、鴇田智哉のユニット)のライブイベントでの弾き語りとか。
『天の川銀河発電所』には、書籍では珍しく「本のテーマソング」があって、同書の編者で俳人の佐藤文香さんが作詞、トオイくんが作編曲と全演奏、打ち込みをして、歌も歌っています。

「けもの」の曲で、男性ボーカル部分がある曲がいくつか出来てきたのね。レコーディングでは菊地(成孔)さんとデュエットしているけど。特に「第六感コンピューター」ができて以降顕著なんだけど、ライブで僕が……どうして歌うことになったんだっけな。とにかく僕がライブで歌わざるを得ない状況が出てきて。
そしたら、青羊さんからも、それを見たお客さんからも褒められることが多くって、「あ、歌ってみてもいいんだな」ってわりとはっきり思ったんだよね。声の固有さがあれば、なんでもできるというか。声の固有さの元に歌えたら一番楽しいというか、自信を持っていられるなと思った。

それと、トラックメイキングめいたことは前からやっていて、高校から大学1年くらいにかけて、J-WAVEのプロデューサー番組とかの流れで、クラブ音楽に自分から興味を持っていった時期だよね。そういう段階ではじめて、こういう音楽ってどうやって作るんだろうって興味がわいて。エレクトロニカみたいな曲を作ったりしたこともある。
あと、トミー・ゲレロとか好きだったりもしたんだよ。トミー・ゲレロは一人多重録音でしょ。

−−今までも、歌モノの曲を自作して、自分で歌うことが無かったわけではないよね。岡崎恵美ちゃんとやっていたユニット「まばら」とか。

聴いてきた音楽の中で、シンガーソングライター的な人に魅力を感じる部分があったのは、ずっとそうでさ。曽我部恵一さん、関美彦さん、木下美紗都さん。細野(晴臣)さんだって、ベーシストだけれど、演奏家というよりはシンガーソングライター的なタイプだと思うし。
歌手というより、「歌を歌うことで音楽を作る」人。極端にいえばカーティス・メイフィールドやダニー・ハザウェイだってそうだよね。ぼくはそういうものが結局ずっと一番好きなのかもしれない。

歌モノを作ることの志向は、はっぴいえんどに出会ったあたりからあって、大学に入ると周りにそういうことをやってる人がいっぱいいて。
大学3年くらいのときに、1曲だけ、日本語のオリジナルの歌モノを作って、バンド編成で、ギターボーカルでやった。そのときは、まだ自信が持てなかったな。
それで、そこを深く掘ることはせず、ジャズを人前でやるようになって、で、そこから5年くらい経って「あしのなかゆび」(※岡崎恵美(vo)、宮下広輔(pedal steel g)、案外(g)によるバンド。トオイは、サポートベーシストとして、レコーディング、ライブに参加)に参加するでしょ。

「あしのなかゆび」の3人や(一緒にサポートで参加していた「YoleYole」の)竜次くんは、日本語歌モノを作ったり歌ったりするということを、みんな自分でやる人だったじゃない。周りにもシンガーソングライタータイプの人がいっぱいいた。それで刺激されて、またやってみたいという気持ちになったんだよね。(岡崎)恵美ちゃんが独特な詞を書くタイプだったのもあって。
「まばら」を始めたのは、ソングライティングをしたいという気持ちと、自分も歌を歌いたいという気持ちと、ユニットをしたいという気持ちと、ぜんぶあったんだけど、動機の半分以上は「日本語歌モノを作りたい」という欲求だった。だから、自分が歌うということを大前提に考えてたわけじゃなかったんだけど。

−−「日本語歌モノを作る」というのは、つまり詞を書く、言葉を扱うということでもあるよね。

大学のときに作った歌モノは、「歌モノという形態がやりたい」という気持ちであって、歌詞で何かを表現するという意識はほぼなかった。歌モノだから歌詞がなくてはいけない、という、「降りかかった作業」だった。

「まばら」のときに作った曲にしても、歌詞だけ書いたり、詞が先にあってそれにメロディをつけるとか、大学のときと比べれば意識した部分はあるけど、言葉で自分の世界観だったり、何かを表現しようとまでは思ってないというか、それを言語表現として自分のしたい感じで完結させようという気はなかった。
でもそこは難しい話で、俳句や詩は、形式があるにせよ、言葉だけじゃん。歌詞はメロディを伴うので、歌詞で全部を達成しようという気になりづらいのも確か。だし、そんな余裕は「まばら」の時点では無かった。
言語表現をするんだって気持ちがはっきり起きてきたのは、俳句をはじめて以降で、だから、歌詞のそれをこれから試すんだって気持ちは大きいな。

−−(けもの『めたもるシティ』収録の)「Someone That Loves You」では訳詞もしているけど。

訳というか、柴田元幸さんに訳してもらった元の詩を、「これはどういうことなんだろうね」って話したことを元に書いたものだから、純然たる訳ではないんだけど……。
あれは、とにかく日本語でカバーしようということは打ち合わせて決めてて、僕が書くと決まっていたわけじゃないんだけど、僕もとにかく叩き台でもいいから書いてみようと思ったんだよね。

原曲の歌詞を聴いたり口ずさんだしてこねくり回してったときに、「きみの言葉全部 ただ待っているんだ」っていう、出だしの言葉をまず思いついたんだよ。メロディに乗っけて、口に出して歌てみたときに、それが音として、元の英語詞で歌われてる感じとそんなに違わない感触で聴けるんじゃないかと思った。音的に、べたべたの躍動感が薄い日本語カバーにしたくなかったから、それでいけるかもと思って、そこからつらつら書いてった感じだよね。

音数がある程度決まってる中で言葉をつけていく作業だから、楽しくやった。それが歌われたときに、音の高低を伴って言葉が発されて、完璧に日本語のイントネーションと対応してるわけじゃなくても、聴いただけで意味がわかるようにという諸々の条件を考えつつ、その、三角関係みたいな雰囲気の詩を作るというのは、俳句をやっていることで、苦しまずにできたっていうのはある気がするね。

−−当たり前だけど、俳句をはじめたことが、確実に音楽に影響していると。

俳句っていうのは、「短くて比較的覚えやすくて、人が口ずさめる」というところは、歌モノの曲と共通してると言っていい気がするんだよ。口ずさまれる一句を作るっていうトライと、口ずさまれるような歌モノの曲を作るっていうことは、僕の中でなんとなく重なるところはある。

あと、俳句って、歴史の中で、新しい感じの俳句を作ろうというトライがずっとなされてきていて。知り合った俳句を作る人の中にも、斬新なスタイルのものを作る人が多くいて、「新しいスタイルを作ることに具体的に挑戦する」という姿勢を、俳句の世界で具体的に見せられた気がするんだよね。
もちろん音楽だって、身近なところにそういう人がいないわけではないけど、ライブの音楽って、「楽しい」とか「気持ちいい」とかみたいに、「今までに無い」以外の価値もいっぱい味わえるじゃない。

−−たしかに俳句の人は、音楽より、新規性をはっきり重視する感じがあるよね。もちろんいわゆる伝統俳句の世界は別だけど、『天の川銀河発電所』に登場したり、僕らの目によく触れるような人たちに関しては。

俳句や文芸って、基本的にはパフォーマンスっていうより、紙に書かれて印刷されて残るものだから、過去に書かれたものが「これはもう書かれてますよ」って可視化されるから、似たようなものを書いても面白がられない、意義が薄いと(音楽と比べて)より思われる気がしてる。
俳句をやって、「新しいものをやらねばな」というトライを、より意識させられるようになったところはあるね。

「週刊俳句」462号 10句作品「死なない」(2016)

−−俳句をはじめた経緯は『ku+』のインタビューにもあったし、僕が関与しているから僕はもちろん知っているんだけど、あらためて聞くと。

俳句っていうものに興味が多少なりとも発生した最初は、小学4年生とか5年生で、学習漫画が学校の図書室にあるじゃない。その中で、『まんがで学習『奥の細道』を歩く』というやつと、それと同じシリーズの近現代まで含めた俳句を漫画で紹介してるの(『まんがで学習 おぼえておきたい俳句100』)があったのね。歴史漫画とか好きだったから、その流れで手をだしたの。『奥の細道〜』は、俳句というより旅行記的な興味だったんだけど。
そこに「ピストルがプールの硬き面にひびき(山口誓子)」、「ラグビーのジャケツちぎれて闘へる(同)」、「水枕ガバリと寒い海がある(西東三鬼)」とかが載ってて、へぇ、と思ったのが最初だね。
それはそれっきりで、そのあと大学1年のときに、俳句の実作の授業があったわけ。そのときに、先生の選に何度か入って、楽しかったんだけど、それもそれっきりだったんだよ。
短詩系への興味でいえば、小3のとき担任の先生が僕らに百人一首をやらせて、10枚で対抗戦みたいなのを毎日やってて、平安時代の貴族の世界だったり歌ということに興味をもって、歌を覚えたりして。短詩系への興味はひょっとしたら一番最初がそこ。

−−学生の頃、現代短歌を読んでたよね。

そう。『短歌ヴァーサス』という雑誌を見つけて、それがもう最終号だったんだけど、そのときに現代短歌をはじめて知った。いや、どっちが先だったかな。佐藤りえさんの『フラジャイル』という歌集があって、そっちが先だったかな。たぶん『短歌ヴァーサス』が先だと思う。
それで、百人一首から、短歌というものへの認識がそこで変わって、でも短歌を作ろうとは思わなく、読んでただけだった。枡野浩一さんの「かんたん短歌」のサイトも見たり、穂村弘さんを読んだりしてて。
その頃と前後して(本稿のインタビュアーの酒井)匠くんと出会う。2004年くらいかな。かなり早い段階で、匠くんが長嶋有さんとか池田澄子さんの話をしてたんだよ。

−−そうだっけか。

それで、『イルクーツク2』(※柴崎友香、長嶋有、名久井直子、福永信、法貴信也による同人誌)が出て。僕は柴崎(友香)さんの小説をその前から好きで読んでたから、それが出るのを聞いて一緒に買いにいってさ。「オールマイティのよろめき」をちゃんと読んで、へえ、と思って。
で、『イルクーツク2』には池田澄子さんの句が、新作が載ってたじゃない。それが面白くて、そのときに匠くんとその話をしたり、神野紗希さんや高柳克弘さんの名前も匠くんが言ってた。

そこから先は震災後の話になって、匠くんが「それはなんでしょう」(※長嶋有さんの小説『ねたあとに』に登場する言葉遊び。「余震が続く中の気休めに」と、長嶋さんがTwitter上でこれを始め、読者たちが参加した)で遊ぶようになり、そこから派生して「なんでしょう句会」がはじまった。横で見てると匠くんが楽しそうなのが羨ましいのもあり、で、長嶋さんと会う機会が僕も少しできて、長嶋さんがよかったら参加してねって言ってくれたのもあって、「タッグマッチ句会」に参加したのがはじめだね。

−−句会デビューが、二人一組での作句(笑)

そうそう。「なんでしょう句会」が、演劇的に点数に拘泥し、得点上位者を讃えるという習慣があったから、どうせやるなら王(※「なんでしょう句会」では、自作句の合計得点1位を「正選王」と呼び、「王」は次回句会の兼題を出題する権利を得る)になりたいと思ったんだよ。王になるには勉強しないとなと思って、深入りしてくわけですよ。

−−俳句以外に、それまでに何か「言葉の創作」はしていた? 例えば、いわゆる中二病的な詩や小説とか。

小学3年か4年くらいに、まず漫画を描いてた。落書きに等しいものなんだけど、ストーリーもあるようなないような。それが、なんでだったか、小説っていう体にしたことがある。

父親が時代小説とか片岡義男とかを読む人で、子供だから、大人が「字の書いてある本」を読んでる姿をいいなと思うわけよ。で、『太閤記』か何かにトライしてみたわけ。歴史好きだったから。それは10数ページで挫折したんだけど。
そこから、その頃「SDガンダム」に興味を持って。SDガンダムと、ドラクエ。従兄からもらってやったから、リアルタイムのドラクエIVじゃなくてIIIだったんだけど。つまり、ロボットもの、SFもの、ファンタジーの源泉みたいな、そのへんが好きになって。
それで、本屋でガンダムの小説が並んでるのを見つけたんだ。角川スニーカー文庫から出てた富野由悠季のノベライズ版があって、それを読んでみて、面白いと思った。それで、小説を書いてみるということに、興味を持ったんじゃないかな。
あとはほぼ近い時期にTRPGのリプレイ本、『ルナ・ヴァルガー』や『ロードス島戦記』とかを読んで、書きたい世界を書いてみるみたいなことに興味を持ったんだよね。
テレビでも『テッカマンブレード』とか『ライジンオー』とか、SF色のあるやつが好きで。『無責任艦長タイラー』とか。
荒唐無稽なSF、ロボットアニメみたいな、そういうののパロディみたいなのを自分で書いてみたりした。

−−「世界を構築する」みたいなことが、今とつながって……無いよね(笑)

無い無い(笑) SFやファンタジックなものが好きというのはあるかもしれないけど。
大学に入ってから、小説を読むということを前よりもするようになって、保坂和志さんにハマったりして、そのへんを読むと、保坂さんはほら、「小説を書く」ということを書いてるじゃない。小説を書くということへの興味は、ちょっと再燃したりしたの。

音楽の話と重なるけど、小説って、一人で書けるものだと思うじゃない。人と作るものとは違う楽しみというか。それで、小説を書いてみたことはあるんだよ。完成しなかったり、小説になっていないものだったりしたけど。
学生のときで、つまり歌モノを作ってみたのと同じ頃だけど、小説で世界を作るということと、歌詞を書くことは、ぜんぜんリンクはして無かった。

−−音楽を聴くときは、歌詞も聴いているよね。文学・文芸的な関心と歌詞は、全く別だった?

うーん、「誰々のこの小説が好き」みたいな意識で、歌詞への愛着とかはあんまり無かったね。いや、無いとは言わないけど、こんな詞を書きたいなみたいな気持ちにまではなってなかったということかな。

今、俳句というのと別側面で、青羊さんだったり岡崎恵美ちゃんだったり、身近なところや聴くもので、歌詞を見て刺激を受けるというか、「こういう風なものを作れるんだ!」っていう気持ちになることはもちろんたびたびあるし、あとは、それこそ高田渡さんや友部正人さんとか、最近は小田朋美さんが三角みづ紀さんの詩に曲をつけて歌ってるのとか、そういうのに対する憧れというか、面白いなという気持ちはすごくあるね。

−−なるほど。俳句に話を戻すと、俳句に触れて、「新しい、まだ無いものを作る」という意識が芽生えた、あるいは強くなったと。

うん。そうなんだけど、それは難しいし、自分の資質が、俳句と音楽ですごく違うものをできるかというと、そうでないというのもわかったし……別の表現形態だけど、それぞれでの自分の資質や実力不足がより見えるようになったところはある。

例えば『天の川銀河発電所』の顔ぶれで言えば、田島健一さんとか、好きで読むし、間接的に影響を受けている可能性はあるんだけど、そういうことを自分がやろうとは思っていないというか、出来ないと思う。
田島さんを前衛と呼ぶかはともかくとして、いわゆる「前衛」への憧れは、実はすごくあるんだよ。けど、それを自分がやってかっこよく出来るか、気持ちいいと思えるかっていう部分で、やっぱりそこに振り切れないってのがある。
音楽でも、前衛と呼べるようなもので好きなものがたくさんあるし、大学の頃はやろうとしたこともあるんだけど、そっちに振り切れなかったね。
高柳重信も摂津幸彦も、それを前衛と呼ぶかは置いておいて、大好きだけど、自分がやるものではないという気持ちはある。

−−派手なというか、目に見えてわかりやすい新しさとは、違う新しさを模索してる、と。

これはよく言われることの言い直しに過ぎないんだけど、「新しい」というのは、自分が、自分の体で、今をしっかり味わって、今なり少し先の時間や人に向けて、身投げして物を言う、ということなんだと思うんだよね。「新しい」ということが実現するとしたら。
且つ、それが自分固有の「声」で、自分の声であることに真っ直ぐであれば、たぶん出来る、ということだと思うのね。思うし、思いたいんだけど、現実にはそれがなかなか出来ない。
僕自身が、今起きてることだったり、今、目に入ったり耳に入ることに、レスポンスをしたいとか、そのレスポンスを聞いてほしいという気持ちが、まっすぐにまだ出来てないんだよね。

……あ、いや、ちょっと待って!

−−ん?

というよりも、僕が俳句で書いたり音楽でやってることってさ、ある意味で素朴なものだったり、ある種の質感だったり、安心感とか不安感とか、単純な感情以前の感情みたいな感じだったり、みたいなことだと思うんだよ。毛布に触ってて安心とか。
つまり、意見でも、世界認識と言えるほどの認識でもない、安心と、安心の感受だけみたいなことに近い気がするんだよね。
今の時代を反映した何かを作るみたいな義務感より、「安心毛布欲求」が優っているというか、それは抜けないんだよね。

−−「ライナスの毛布」ね。

そう、いまだに安心毛布ってのがある35歳なんだけどさ。

ちょっと話がズレるけど、ベッドルームで聴くような音楽を作りたいとか、自分もそういうのを聴きたいという気持ちがあって。
触ってて安心する毛布みたいな音楽なり、俳句なりを作りたいというか、そういう部分があるんだな。実際にはベッドルームじゃないところで聴いたり読んでもいいんだけど、手触りとして。
それってさ、世に何かを言いたいとか、そういうベクトルじゃないよね。メッセージでもないし。今の世の中や、他の人、世界で起きてることへのレスポンスというよりは、ベッドルームに今日もたどり着いてほっとしたということを、フェティッシュ的にやっているだけという感じがあるのかも。

−−そうか。一貫して「安心毛布」を作っている、作りたい、と。

書いたり作ってると結果的にそうじゃないものになったりもするんだけど、土台には、安心毛布のようなものを作りたい、書きたいというのがある。で、わりと自然に作ったり書いたものだと、そっちの要素が強く出る。
聴いたり読んだ人にそう感じてほしいというよりは、自分の作るマインドがそこにありたいというだけかもしれないね。でも、作ったものを聴き返して、自分にとってそういうものになったら嬉しいし。

レイ・ハラカミさんを最近またわりと聴いてるんだけど、ハラカミさんの音楽とかさ。
あるいは田中裕明という人も、最初からほぼ最後まで、自分のトーンとか自分の構えでしかなかった、みたいなさ。超然としてるよね。
田中裕明については関(悦史)さんが「天使性」って言ってるけど、僕はあの文章にかなり感化されているところがあって。「ベッドルームに天使」ってのは親和性が高いからね。
田中裕明はね、実際、布団に入って全集を読むことが多いから、僕にとって安心毛布として機能していると言えるかもしれない。

−−そうなんだ。トオイくんはよく、何か作品の質感を表現するときに、「不穏」という言葉を肯定的に使うよね。それで言えば、田中裕明については、僕は「不穏さ」みたいなことの方を感じるけれども。

うん、田中裕明はもちろん不穏でもある。ベタ且ついい加減なことを言うけど、「死と眠りは近い」ってことなんじゃないかな。天使だし。不穏と安心毛布は近いのかもしれない。

しかし、今話してるうちに気づいて自分で驚いたけど、僕、田中裕明が安心毛布なんだな。それは重いなー。あー怖い怖い(笑)

−−ははは。では最後に、今後の展望を教えてください。

歌モノの録音作品を作る。今最もやろうとしてることはそれです、とにかく。

−−おおー! “自分の歌”を歌い、音楽でも言語表現にトライする、そして安心毛布を作る、と。

そう。その安心毛布が、今まで見たことない柄だったり素材だったりしたら、より良いんだけど。多層的な毛布にしたいよね。
俳句も、多層的な意味っていうか、多層的な感触のものを作れるといいなという気持ちはずっとある。昔の俳句とか、もっと遡ってそれこそ和歌だと掛詞があって、ひとつの単語が二つや三つの意味を示唆してたり、言葉どうしがにじみあってたり重なりあってたり、いろんなことが思えるように作ってあったりするじゃない。なんかね、そういう句への憧れもあるし、あとは、トーンとリズムが独特な句は作りたいよね。

あと、ベッドルーム・ミュージックなり安心毛布というのが、これから世の中がどう変わっていっても、人が生きていくために、ずっと変わらず必要なものであり続けるだろうという、確信もあるんだよ。
だから、安心毛布を作っていけば、自分も安心できるし、安心毛布が欲しいという人の欲求は無くならないから、これなら一生続けていけるんじゃないかという希望を持ってるんだよね。

−−今日はありがとうございました。

トオイダイスケ公式ウェブサイト http://daisuketoi.com/

<Event information>
GUCA企画「冬銀河DINNER SHOW 2017」
主催:guca/午前十三時社
日時:12月3日(日) 18:30開演(18:00開場)
場所:新宿ミノトール2
入場料:3500円(1drink+1food込み)
出演:小田朋美(歌・ピアノ) /細馬宏通(俳句朗読・歌・ギター)/福田若之(俳句朗読)/トオイダイスケ(ピアノ・ベース)/上田信治・黒岩徳将(オープニングアクト)/村井康司(アフタートーク司会)

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