アフリカから学ぶべき日本の教育無償化のダメな議論

海の向こうの日本では高等教育無償化のために憲法を改正するか否かで議論が盛り上がっていますが、議論が稚拙すぎる感じがします。ここアフリカでは1990年代以降教育の無償化が進み様々な知見が得られているので、教育経済学の議論と共にそれを紹介してみようと思います。

高等教育無償化・賛成派の議論の問題点

① 無償化後のビジョンが欠如している

アフリカで90年代以降教育の無償化が進み何が起こったかというと、就学率の急上昇です。例えば、ここマラウイは最貧国で国民一人当たりの平均所得は1日100円にも満たない状況ですが、初等教育の純就学率は95%程度あり、不就学児童の大半は障害を抱える児童か孤児かという状況で、貧しいから学校に行けないという状況はほぼほぼ解消されたと言えるでしょう。

しかし、教育の無償化による教育へのアクセスの爆発は、教育の質の低下を招きました。就学率が上昇するということは、ただ単に授業料分の資金を政府が投入するだけでは不十分で、新たに学校に来るようになった子供たちのための学校建築や教員採用などの追加的な資金を投入する必要があります。しかしこれがなされなかったため、教員一人当たり生徒数は80人近くにのぼり、1/3の子供たちは青空教室で勉強しているという状況です(冒頭の写真はまさにそれで、教室が足りないので学校の側壁に黒板を付けて、そこで授業をしています。教室の中も電気が無いため、雨期になると勉強が出来なくなります)。このため、留年率も30%近くあり、教育の内部効率性も悪くなっています(留年制度は効率的で効果的か?)。教育の質が低下すると何が問題かというと、教育を施す意味がなくなることです。スタンフォードのハヌシェク教授が最近研究しているテーマですが、ただ単に就学率が向上してより長い年数の教育を受けるようになってもそれ自体は経済成長や所得の向上を担保せず、教育機会を通じてどれだけ学んだかこそが重要だということです。

しかし、日本の教育無償化に関する議論でこの点を見据えているものは殆どありません。授業料分の公費負担だけでなく、無償化による就学率の向上に対する予算が手当てされる気配はありません。特に追加的な予算を措置せずこれまで日本が高等教育へのアクセスを拡大させてきたやり方を踏襲するのであれば、それはより一層教育の収益率を低下させるだけだということはこちらの記事で説明しました→(高等教育の量的拡大はどのように行われるべきか?)

② 貧困層から富裕層への逆所得移転の可能性を無視している

アフリカで初等教育の無償化は一気に進み、現在中等教育を考える段階に来ている国が増えています。しかし、多くの国は中等教育無償化の前に、中等教育の義務化を導入すべく動いています。これは、教育段階が上がるほど放棄所得(学校に行かずに働いて入れば得られたであろう所得)が大きくなるため、初等教育無償化と異なり中等教育無償化は、放棄所得の負担に耐えられない層-貧困層にインパクトを及ぼさないと考えられるからです。

この結果、貧困層は働き税金を納める一方で、富裕層はその税金で学び、将来より高額な収入を得るという歪な状況が出来上がります。この歪な状況を避けるためには、まず中等教育の義務化を先に実施して貧困層も中等教育へ行かなければならない状況を作り出し、貧困層への奨学金を提供することで放棄所得分を補い、それから初めて無償化へと踏み切ることが出来ます。

③ 教育の無償化は少子化対策としては効果が薄い

二人目を持つことを躊躇させるような教育費負担の重さから少子化が進んでいるのだから、高等教育無償化は少子化対策として有効だ、という議論も見られます。しかし、国立社会保障・人口問題研究所による出生動向基本調査によると、夫婦が最終的に平均して何人の子供を持つかという完結出生児数が1970年頃から2000年頃まで2.2で安定的に推移し、2015年現在で1.94という値を記録しているのに対し、一人の女性が一生に産む子供の平均人数である合計特殊出生率は1975年に2を割り込んでから2005年まで下落を続け、近年少し持ち直して2015年には1.45となっています。さらに、女性の結婚年齢が20代後半と30代前半で結婚した女性の完結出生児数に0.4程度の差がみられるように、結婚年齢が遅くなるほど完結出生児数が少なくなる傾向が見られます。これらのことを考えると、確かにここ10年程2人目を持つことを躊躇する夫婦が増加しているのかもしれませんが、全体としてみると未婚化と晩婚化の影響の方が大きそうであることが分かります。

このことから、高等教育無償化に乗り出してもそれほど少子化対策になるとは考えづらいですし、年収300万未満の男性の1/3以上が未婚であることを考えると、無償化に使う予算をこの層の支援に回した方が少子化対策としては効果が見込まれるでしょう。むしろ、アフリカで女子教育の拡充が人口爆発の特効薬であると言われていることを考えると、教育の充実が少子化対策になるというのは少し難しいのかもしれません。

高等教育無償化・反対派の議論の問題点

① 教育の外部性に関する認識が不十分

「教育を受けると所得が上昇する、だから教育は私的利益なので税金を投入する必要はない」、というのは誤りです。なぜなら教育には個人だけに帰することが出来ない外部性があり、政府による介入が無いとこの分だけ最適な教育投資水準から過少投資になるからです。

この外部性にはどのようなものがあって、どの程度なのかというのは、コロンビア大学の国際比較教育学&教育経済学者のヘンリー・レビン先生が編者の1人として加わっている「The price we pay-economic and social consequence of inadequate education」に詳しいのですが、その外部性を掻い摘むと以下のようになります:

A. 健康への影響

HIV/AIDSがアフリカで猛威を振るった時に、教育はHIV/AIDSを抑えられるのか?、という議論が出ました。結果は実は混在していて、一つには教育により所得が向上した分だけ買春のようなリスキーな行動が取れたという面があり、もう一つには教育により所得が向上した分だけリスキーな売春に手を出さなくても良くなったという面と、教育により公衆衛生に関する知識が増したことで感染リスクの高い行動を避けられるようになったという面があったためです。

ただ、後者に着目すると教育が健康に良い影響を与えることが分かります。特にアフリカのいくつかの地域では、例えばエボラ出血熱の感染拡大経路からも見て取れるように、教育水準が高まることで感染症のリスクが低下することが考えられます。

しかし、自分が教育を受けるかどうか判断するときに、自分が教育を受けることで地域の感染症リスクが減少し経済活動に好影響が出る、などと考える人はまずいないでしょう。この外部性の分だけ、個人に教育投資を完全にゆだねると過少投資になってしまいます。

B. 犯罪への影響

アメリカで貧困層を対象にした良質な就学前教育の収益率が高いという結果が出ていますが、この収益率を大きく引き上げている要因が犯罪への関与だというぐらいには、この点は無視することが出来ません。

一般的に、経済犯などを除いて、教育水準が高くなるほど逮捕率が下がります。治安が悪いと経済に悪影響が出ることは、南アフリカのヨハネスブルグを訪れれば一目瞭然です。なぜ教育水準が高くなるほど罪を犯さなくなるのかというと、収入が上昇すれば犯罪を犯して逮捕された場合に失う所得が大きくなるという点が挙げられます。

しかし、自分が教育を受けるかどうか判断するときに、自分が将来犯罪に手を染めなくなって、周りの治安が良くなり、経済活動が活発になる、などと考える人はまずいないのではないでしょうか?この外部性の分だけ、個人に教育投資を完全にゆだねると過少投資になってしまいます。

C. 次世代への影響

なぜアフリカで女子教育がこれほど力を入れられるのかというと、人口爆発対策もさることながら、母親の教育水準が上がると、その子供の教育水準と健康状況、すなわち人的資本蓄積が向上するからです。

しかし、一般的に女性が教育を受けるかどうか考える際に、将来の自分の子供への影響などは考えないでしょうから、この外部性の分だけ、個人に教育投資を完全にゆだねると過少投資になってしまいます。

D. 周りへの波及効果

アフリカの村落開発では、伝統的祈祷師や村長などがキーパーソンとなり、これらの人物の教育水準が高いと支援が上手くいきやすくなります。これは村長が教育で得た知識をもとに村人たちの指導に携わるためで、このように個人の教育水準の高まりによる好影響は、その個人だけにとどまることなく周りに対しても波及効果(スピルオーバー)が見込まれます。

しかし、一般的に個人が教育を受けるかどうか考える際に周りへの波及効果を考慮することはないでしょうから、この外部性の分だけ、個人に教育投資を完全にゆだねると過少投資になってしまいます。

E. 民主主義への影響

一般的に教育水準の高い人物ほど投票率が高いなど、教育開発を適切に実施できれば(労働市場の状況を無視して教育拡大を行うと、教育の高い失業者があふれ社会を不安定化させるのは、アラブの春の一部の地域でも見られましたが)、教育は民主主義を安定的なものにさせると考えられています。

民主主義がどれぐらい経済発展に好影響を及ぼすのかは勉強不足で知らないのですが、民主主義を望ましいものだと仮定すると、一般的に教育を受けるかどうか考える際に民主主義の安定化などを考慮することはないため、この外部性の分だけ、個人に教育投資を完全にゆだねると過少投資になってしまいます。

② 貧困層の進学行動を理解できていない

貧困層は、例え教育を受けることで将来収入増が見込めると分かっていても、教育を受け/受けさせることが出来ないケースがあります。一昔前のアフリカの不就学児の大半がこれに当てはまったはずですが、教育を受けるための資金の借入制約に直面していると、たとえお金を借りてでも教育を受けた方が得だと分かっていても、お金を借りることができません。このため、政府が介入してこの制約を取り除く必要があります(日本の学生支援機構がこれに当てはまる)。

さらに、貧困層と富裕層を比べると時間選好率に差があって、貧しいほど将来の価値をより大きく割り引いてしまう(例えば、富裕層なら今の100万円と一年後の110万円を同じと見積もるのに、貧困層だとそれが120万円になってしまう)傾向があると言われています。大学教育を受けた効果が顕著に出始めるのは入学から5年以上先の話ですから、仮に借入制約を乗り越えられたとしても、大学教育の価値を割り引きすぎて進学しないという選択を取る可能性もあります。

あと、やや貧困層の話からは外れますが、リスク回避性が高い人も大学進学をしない選択を取る可能性があります。確かに大学教育の私的収益率は+であることが多いのですが、学部や大学のレベルによっても分散があるだけでなく、同じ大学の同じ学部で学んだ人たちの間にも収益率に関して大きな分散があるため、大学進学が必ずしも金銭的に得だとは限りません。このため、リスク回避性が高い人は、過剰に大学に進学しないという行動をとる可能性があります。

③ 教育の社会的収益率を所与のものとして考えてしまっている

教育の社会的収益率は、公教育支出に対して、どの程度税収増加や公支出削減が見込まれるかという値を示しています。一般的に教育段階が上がるほど、教育の社会的収益率は減少すると考えられています。アフリカの多くの国でも義務教育が無償なのは、もちろん基礎教育が人権であるという点も大きいのですが、義務教育とされている教育段階は社会的収益率が高いので、無償化をしてでも全国民にその教育段階を修了して欲しいという考えもあります。

そして、教育の社会的収益率は外部性の所で言及した要因によっても上昇します。

A. 健康: 個人の教育水準が高まり健康状況も改善した場合、よりインテンシブに働くことが出来るので税収も増加しますし、公的医療費の削減にもつながります。

B. 犯罪: 治安が改善し経済が活発化することで税収が増加します。一方で、刑務所の数が減らせるので、その運用コストの分だけ政府支出を削減できます。

C. 次世代: 次世代の人的資本蓄積が向上するということは、その分だけ将来の税収増加につながります。

D. スピルオーバー: 周りの生産性が向上するということは、その分だけ税収も向上します。

さらに気になるのが、財務省が高等教育の社会的収益率を所与であるかのように捉え、個人利益だと言ってしまっている点です。社会的収益率には税収が含まれるので、高等教育を受けて収入が高くなっている人をターゲットに税率を上げる累進的な税制を取れば、高等教育の個人利益分を削って社会利益分を増加させることが出来ます。なので、財務省が高等教育は個人利益だと言うのは、それは財務省がそのような税制を敷いている結果であるので、高等教育に公支出を入れるべきではないという議論はやや的が外れている印象を受けます。

とは言え、外部性も社会的収益率も大きさがどの程度なのか測定しきれていないのが現状なので、外部性があるからとか社会的収益が大きいからとかといった理由だけで無償化すべきだ、という議論も早すぎると思います。

日本が高等教育無償化に乗り出すのは今なのか?

結論を先に述べると、高等教育無償化に乗り出すのは今ではないし、貧困層へのローンではない奨学金の充実が先だと私は思います。

① 日本の高等教育就学率は低い

日本の高等教育就学率はOECD諸国の中で低い方に位置していて、平均教育年数についてはもはやOECD諸国の中でも最下位グループに位置しています。裏を返すと、無償化によってブーストのかかりうる幅が他の先進国よりも大きくなっています。この状態で無償化に踏み切ると、質の低下を防ぐために必要な予算の措置が大きくなるので、もう少し就学率が上がるまで奨学金の拡充で様子を見た方が無難な感じがします。

② 教育無償化後のビジョンが欠如している‐教育政策編

教育の無償化は何かを成し遂げるための手段であって、目的そのものになるようなものではありません。しかし、今の議論に教育無償化後のビジョンがあるようには感じられません。特に日本の高等教育の拡大は、本来なら収益率の高いSTEM系を中心になされるべきだったものが、私立文系が中心となって進んでしまった歴史があるため、この路線に乗っかったまま教育の無償化が行われると、無償化により進学できるようになった層にとって受ける価値のある教育がそれほど施されないことになってしまいます。さらに、日本は高等教育におけるジェンダー平等が先進国の中で最悪な国の一つとなっています。この辺りを考慮した中期の教育計画をもって教育無償化に踏み切らないことには、無償化が持つ効果を活かすことが難しくなります。

③ 教育無償化後のビジョンが欠如している‐税制編

教育の社会的収益率は税制によって変化させられるのですが、どうもそこまで考えられている感じがしません。例えば、高等教育を無償化している国の多くは、高負担高福祉型の福祉国家であることが多いですが、日本のように負担率が高くない国で高等教育の無償化に踏み切っても、それを政府が回収しきれない可能性が出てきます。

さらに、義務化をせずに教育を無償化すると、それでも大学に進学しない貧困層が納めた税金で富裕層が大学進学するという所得の逆移転が発生するので、これを大学卒業後に回収するために累進課税を強化するなどのセットも必要ですが、この点についても議論されている感じがしません。

④ 大学が私収入を減らして公収入を増やす是非について

文部科学省の高等教育政策の問題点は様々な所で指摘されていますが、教育の無償化を実施するということは、私からの授業料収入が政府からの補填に切り替わるということになります。恐らく、政府からの受け取る金額が増えるということは、政府からのコントロールの度合いが増すことになるでしょう。このため、文部科学省に教育政策の専門家が増えない限りは、高等教育無償化に踏み切るのはやや危険な判断ではないかなと感じます。

アフリカでは教育の無償化は政治家の大好きな政策の一つになります。これは人口ピラミッドと合計特殊出生率的に、有権者に占める学齢児童を抱える親の割合が大変高いため、票集めにもってこいの政策になるからです。この点、日本は人口ピラミッド的にも合計特殊出生率的にも、政治家が教育の無償化に飛びつくと言うのはやや違和感があります。

かつて教育基本法の改正が憲法改正への第一歩と言われたように、憲法改正による高等教育無償化はこれに続く憲法改正の先駆けとして考えられているんだろうなということが透けてみえます。ただ、教育の無償化はそれを実施するための様々な準備やステップを踏んでから実施すべきもので、この辺りをおろそかにして憲法を変えたいから拙速に高等教育無償化に踏み切ると言うのは、90年代以降のアフリカ諸国が無償化で失敗した道を歩むようなものです。

アフリカから学べ、と言われるとなぜ先進国の日本がアフリカなんかから学ぶ必要があるんだと心理的抵抗を持つ人も多いかもしれませんが、日本を取り戻すための高等教育政策を実施したいのであれば、日本はアフリカの経験から学ぶべきものがあるのではないでしょうか?

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