#保育園落ちたの私だ、について思うこと

最近日本で話題の#保育園落ちたの私だ、について思うことを書いてみようと思います。基本的な考え方は以前シノドスさんに寄稿した「幼児教育無償化で十分か?―就学前教育の重要性と日本の課題」と殆ど変わりがないのですが。

思うこと①保育園の拡充と女性の労働参加

Crowding-Out Effect of Publicly Provided Childcare: Why Maternal Employment Did Not Increase」というペーパーが日本の保育所の利用可能性と女性の労働参加について分析をしていて、結果をかいつまんで書くと保育所が拡大しても女性の労働参加はあまり進まない、なぜなら祖父母によるインフォーマルなケアが、フォーマルな保育園に置き換わるだけだからだ、という物です。

この保育所の利用可能性が増しても女性の労働参加は促進されないというのは、私がシノドスの記事で紹介した他の先進国での研究結果とも一致しているので、日本で保育所を拡充しても、それが女性の労働参加を促進するかと言われると多分あまり効果が無いんだろうなと思います。与党が三世代同居を勧めたがるのも、こういった背景を踏まえているのかもしれません。

(注1:就学前教育の就学率が低い・女性の労働参加率が低い途上国では、就学前教育の拡充が女性の労働参加を促すのではないかと思います。実際私も国際機関の業務ではこの点を相手国政府に訴えることが多いです。注2:とは言え、東京の住宅事情や高い核家族世帯の割合を考えると、別の現象が現れるかもしれませんが)

思うこと②保育園の拡充とシングルマザーの貧困

日本のシングルマザーの貧困率の高さはOECD諸国の中でもトップクラスです。この問題に対処するためには共同親権と養育費の問題を解決するのが重要ですが、それだけで解決できるほど容易な問題ではありません。

詳しくはこちらの「母子世帯の多くがなぜ貧困なのか?」に目を通してもらうと分かるのですが、日本のシングルマザーは教育水準が低いものの、就労率はOECD諸国でもトップクラスで、つまりワーキングプアー状態にある母親が多いのが特徴です。

ここで話を少し保育所の拡充と女性の労働参加に戻します。フランスでは保育所の拡充が1人親・低学歴の労働参加に効果的で、日本でも保育所の拡充はインフォーマルケアに置き換わるという話でした。これらの話を併せて考えると、シングルマザーに焦点を当てた保育所の拡充は、労働参加していないorインフォーマルなケアを頼りにできず非正規雇用にある母親(荻上チキさんの「彼女たちの買春(ワリキリ)」や鈴木大介さんの「最貧困女子」なんかを読むと、こういったケースは多そうですし、離婚率の上昇基調を考えるとより増えていくのかもしれません)のより良い雇用への就労を促し、シングルマザーの貧困を緩和する可能性があるんじゃないかなと思います。

③保育園の拡充と子供の学力

これもシノドスさんに寄稿した記事を見てもらうのが良いのですが、貧困層と富裕層の子供の学力差は、小学校に入学した時点で既に顕著であり、教育機会を通じてそれが縮小することはない、と考えられています。なぜ小学校入学時点で既に学力差がついてしまっているかというと、貧困層の親と富裕層の親に語彙力の差があってこれが子供の脳の発達にインパクトしてしまっているというのと、親自身のケア力とケアの購入力に差があってこれが非認知能力の差に影響を及ぼす、という少なくとも二つの経路があると考えられています。

貧困層の子供に良質な就学前教育の機会を提供することは、貧困層の子供の学力を向上させて、大人になってからの労働生産性を向上させて収入・雇用機会を向上させる、未来の貧困対策と言っても過言ではありません。

良質な就学前教育が未来の貧困対策になるなら、家計が自発的にお金を出すだろうから別に政府が補助金を出さなくても良いんじゃないか?、と思う人もいるかもしれません。しかしこれは誤りで、教育には外部性がある分だけ、家計に教育投資を任せると最適な水準よりも教育投資額が下回ってしまうからです。

具体例を用いて説明すると、政府が何もしなければ将来生活保護の対象になっていたであろう子供が、良質な就学前教育によって逆に所得税を納められるぐらいの大人になった場合、政府は生活保護のために支払わなければならなかったお金をセーブできるどころか、その人から税金を受け取ることができます。しかし、こんなことは子供にも親にも関係ない話なので、この分だけ政府が介入しないと教育に対して過少投資になってしまいます。まあ、教育水準の低い親は教育の価値を認識できない傾向があって、それによっても子供の教育に対して過少投資になりやすいのですし、流動性制約に直面していて教育投資どころではないのが実情でしょうが。

④保育園の拡充と少子化

日本はなぜ少子化なのか?日本の合計特殊出生率は約1.4と、人口を維持するのに必要な2.1を大きく割り込み、既に人口減少社会へと突入しています。しかし一方で、完結出生児数(カップル一組当たりが産む子供の数)は約1.9と、日本の少子化は非婚化が主要因となっているのが現状です。特に年収300万以下の男性の未婚率が高く、この層へのアプローチ無くして少子化の解決なし、といった感じです。

とは言え、完結出生児数も人口維持ラインを下回っており、対策が必要です。保育園の需要に対して供給が少ないのだから、教科書的に価格を上げるか、自由化を通じて価格を上げるかの二つが模範解答になりそうに見えます。確かに超過需要に対して低価格を維持したままというのは、共産主義圏のパンと同じ話かもしれません。

公共政策大学院ぐらいでこのように回答したら合格かもしれませんが、教育政策・教育経済学の院でこの回答なら不合格間違いなしです。それはなぜか?それはパンが消費行動なのに対して、教育にももちろん消費的な側面があるのですが、それだけではなく外部性を伴う投資的側面が存在するからです。

先ほどの話と構図は全く同じなのですが、子供を産む・育てることによって得られる便益には外部性・社会的収益があります。税収の増加や年金などの社会システムの持続可能性を高めるというのが分かりやすい具体例だと思います。大きすぎる話をすると、日本は南沙諸島の開発を進める中国、ウクライナに侵攻したロシア、という「やる」側の国と領土問題を抱えているので、1000兆円の借金を抱えた状態ですし、人口減少による国力の低下の阻止はもっと大きな外部性を持っているのかもしれません。

いずれにせよ、こういった外部性を考慮して子供を産む選択はしないので、家計に教育投資を任せると、その分だけ過少な子供の人数を選択してしまいます。なので、正解は過剰需要を解消するためにも価格を上げる必要があるが、外部性のある分だけ補助金を出す必要はあるし、特に近年若年層の年収が下がっているので流動性制約に直面している家庭への支援も必要である、となるはずです。


といった4つの論点がぱっと思い浮かんだのですが、いずれにせよ♯保育園に落ちたの私だ、の運動には賛成で、就学前への政府支出を女性の労働参加だけの問題としてとらえるのではなく(女性の労働参加の問題については、シノドスさんの「日本の女子教育の課題ははっきりしている」で論じています)、少子化と経済成長・女性の貧困対策・未来の貧困対策として位置づけ、就学前教育の拡充を教育政策や経済政策として考えるべきだと私は思います。実際に世界銀行やユニセフで仕事をしているときにはそういった事を相手国政府に説いていました。

自分の仕事の話が出たので軽く近況報告ですが、ユニセフ・マラウイ事務所に教育スペシャリスト(統計・データ)として赴任することになりました。結果はだいぶ早く分かっていたのですが、自民党のオープンエントリーに挑戦していて、選挙を見据えて一旦国際機関を離職しましたが、政治家になれるのであればそのまま国際機関を離れる予定だったので、返事を保留していました。書類審査を通過し、面接に呼ばれてここに書いたような就学前教育の充実と、女子教育の充実を熱弁したのですが、落ちてしまったのでユニセフに戻ることにしました。落ちたのはもちろん自分の資質のなさによるところが大きいのでしょうが、この問題に真剣に取り組める人材である私を落とすだけの人材がいたのか、そしてこの問題に取り組まないだけの余裕がこの国にまだ残っているのかな?、と少し不安にもなります。♯選挙落ちたのわたしだ、とボケてしめようと思ったのですが、選挙にすら出られていないですね(苦笑)。まだ31歳と若いので、順調にいったらユニセフ・マラウイ(2年間)→ミシガン州立大の博士課程(5年間)が終わる7年後に、また政治家の道を志そうと思います。

P.S.私が理事を務め、ネパールの子供たちに良質な教育を届けるべく活動しているサルタックですが、3月末にクラウドファンディングに挑戦します。より早期により不利な子供たちに介入することで豊かなネパール社会の実現を目指す我々に、どうぞご支援よろしくお願いします。FBはこちら→リンク

サルタック・シクシャは、ネパールの不利な環境にある子供達にエビデンスに基づいた良質な教育を届けるために活動していて、現在は学校閉鎖中の子供達の学びを止めないよう支援を行っています。100円のサポートで1冊の本を子供達に届ける事ができます。どうぞよろしくお願いします。