外国文化、下から見るか?上から見るか?

先日、現代ビジネスの方に「アメリカの大学生はよく勉強する」は本当か? 、という記事を寄稿しました。大学生の平均的な勉強時間を日米で比較すると大差がないというデータに、自分が学んできた・教えてきた一流ではない米国の大学では学生は熱心に勉強していたから、このデータはおかしいというコメントが散見されました。なぜ「一流」ではない大学での体験談と、平均を表すデータにずれが生じるのか、少し解説してみようと思います。このズレを理解するカギは、米国の大学を下から見ているか、上から見ているか、にあります。


1. 米国の大学ピラミッド

「米国の大学は分野によって強い大学が違うので、日本のように全ての大学を一律にランキングすることは難しい」という話を耳にしますが、これは正しくもあり、間違ってもいます。

お隣のミシガン大学ならまだしも、私のいるミシガン州立大学は日本では超マイナーな大学だと思いますが、ここの教員養成は20数年以上全米トップにランクされているという事実は、確かに米国の大学は分野によって強い大学が違うという良い例だと思います。

しかし、米国の大学は分野によって強い大学が違うからと言って、大学をピラミッド構造にランキングすることが全くできないわけではありません。大学をピラミッド構造に捉えた一例が、The Carnegie Classification of Institutions of Higher Educationです。

さすがに日本のように一つ一つの大学を偏差値でランク分けしたわけではありませんが、このカーネギー分類は米国の大学をリサーチ大学(Doctoral University)・修士号大学・学士号大学・短大・特殊大学等に分類し、リサーチ大学をさらにR1・R2・R3とランク付けしています。修士号大学と学士号大学の中にはLiberal Arts Collegeと呼ばれる、高い質の教育を提供している所もあるので厳密な一般化は難しいですが、このLiberal Arts Collegeを除けば、かなり大雑把にはR1→R2→R3→修士号大学→学士号大学という順に高等教育機関としての質が落ちていく傾向があります(後述しますが、For-Profit UniversityというLiberal Arts Collegeとは逆のタイプの例外もあります)。


2. 米国大学、下から見るか?上から見るか?

前述の「アメリカの大学生はよく勉強する」は本当か?の記事に、とある日本の大学の先生が、「自分は米国と米国の決してエリート校とは言えない大学で授業を受け持っていたが、出席率も宿題提出率も9割を超えていた。「アメリカの学生はよく勉強する」は概ね正しいように思える。」とコメントしていたのがとても印象的でした。

興味深かったので、その先生がどこの大学で教鞭を執られていたのか調べてみたら、米国南部の某州の某State Universityでした。これも補足すると、大雑把な傾向ですが、University of 州名→州名State University→方角・州名Universityという順に高等教育機関としての質が落ちていきます。ミシガン州を例にすると、University of Michiganが旗艦校、Michigan State Universityが二番手、Western/Eastern/Central Michigan Universityがその下に来ます。つまり、その先生が教鞭を執られていたのは、その州の州立二番手校だということが推測されます。

そして、その某州立大学がカーネギー分類でどこに位置づけられているか調べてみたらR1大学でした。確かにエリート校とは言えないかもしれませんが、米国の大雑把で緩やかな大学ピラミッド構造に照らし合わせれば頂点に君臨する大学だと言えます。ここに正に、米国大学、下から見るか?上から見るか?が存在しています。

R1大学は全部で131校存在しており、日本人の目から見ると、その中でエリート校だと感じられるのは、せいぜいその半分から1/3程度かも知れません(WikipediaにR1・R2・R3大学のリストがあるので、目を通して見ると面白いかもしれません)。しかし、米国には4400を超える高等教育機関が存在しており、そこからコミュニティカレッジ(日本だと短大がこれに近いものの、かなり位置付けは違います)を除いても、約3000の学士号を出している大学が存在しています。つまり、4年制大学に絞ってもR1大学は全米でもトップ5%に位置づけられるエリート高等教育機関であるという事実があります。

コミュニティカレッジに留学する日本人も数多くいますが、一般的に日本人の大学の先生や官僚、MBA取得者などの「エリート」とされる人達が見てきた米国大学というのは、R1又はトップレベルのLiberal Arts Collegeに限定されます。これにR2を加えても良いですが、それでもこれらの機関は全米の高等教育機関のトップ10%強にすぎません。

日本には大学が750ちょっとあり、そのうち国公立大学が約170なので、トップ10%程度に該当する大学と言うと、上位国公立大学と私立トップ校を足したぐらいになるはずです。これを考えれば、いかに日本人が語る米国の大学生が、米国の大学システムを上から見たものに過ぎないか、よく分かるはずです(学生数だけで見るとR1は全学生の18%を収容しているので、ここまでの議論に比べればより平均に近くなりますが、それでも平均からはかなり遠い存在です。そして、日米を比較すれば、大学院への進学率の差や就活で成績が考慮されること、入学前にエリート教育という名の洗脳が行われていることを考慮すれば、このトップ層に限って比較すれば、米国の大学生の方が猛勉強をしていても全然自然なことでしょう)。上から見れば日本では無名な某State Universityでも、R1に属しているのであれば、下から米国の大学システムを見た時には確実に一流の高等教育機関です。

ちなみに、米国の大学を下から見ると、前述のFor-profit universityというヤバい大学群の存在が際立ちます。このFor-profit universitiesは、全米の学生の10%強を収容しています。そして、現代ビジネスの記事中で米国の教育ローン破産問題にも言及しましたが、For-profit universityに通った学生の破産数は、全米の教育ローン破産者の約半数にもなります。わずか10%の学生によって教育ローン破産問題の半数が起こっていると考えると、この大学群が如何にヤバい存在か理解できます。高等教育の経済学でも、オバマ前大統領が無償化をしようと宣言したコミュニティカレッジと並んで、For-profit universityは現在ホットトピックになっています。

ナイーブな日米比較をして米国から学ぼうとするのは止めるべきだ、と私が主張する理由はこのFor-profit universityに象徴されます。日本のエリートが体験する米国富裕層が通っているエリート大学の教育で使われている莫大なリソースのほんの数%でも、エリート日本人の目に触れない80%以上の米国高等教育機関に回していれば、かなりの程度教育ローン破産問題を緩和できるはずですが、決してそうはなりません。そして、これは高等教育に限った事ではなく、基礎教育段階においてもエリートの教育に使われている莫大なリソースの数%でも貧困層の教育に回されていれば、オピオイドの問題だとか、人種間格差の問題だとかは、かなりの程度緩和できていたはずです。このように日本人が見た米国教育の上澄みは、その下に死屍累々なシステムが存在しているわけで、これをそのまま取り入れれば格差の拡大・固定化につながるリスクがあります。ナイーブな日米比較ではなく、米国の上澄みをちゃんと文脈の中で理解して、日本が学ぶべき点を抽出すべきだと考えています。きっと、教育経済学と国際比較教育学の組み合わせはこれを助けるものだとも思っています。

ただ、私の主張もあくまでも信念レベルの話なので、もっと格差が大きく富裕層が富める社会を目指すのであれば、まあ確かにナイーブな日米比較に基づいて米国を見習っていけば良いはずです。。。


3. 途上国、下から見るか?上から見るか?

この米国トップレベルの高等教育機関での体験から、下の方の80%程度には目もくれず、米国の大学・大学生はこうだと語る日本のエリートを見ていて、既視感があるなと思いました。

……

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そう、国連職員です。

国連職員が、アフリカはこうだとか、この国はこうだと話しているのはよく目にしますが、国連職員が赴任した国で借りる家の一か月の家賃って、中進国でもその国の平均年収を超えるんですよね。低所得国に赴任しようものなら、援助コミュニティの人達との飲み会で一晩で支払う金額は、その国の平均年収を超えるんですよね。件の日本のエリートは、外交官コミュニティの中からアフリカはこうだとか語って、現地の人々の生活をよく知る協力隊やピースコーの人達にバカじゃないのと陰口を叩かれる国連職員そのものですよね、まあ入院前の私のことなのですが。

国連職員も日本のエリートも、どちらも大学院まで教育を受けているのに、上から見た体験談で物を語ってしまう様を見ると、大学院教育とは…、と思うと同時に、自分が外国で体験したものがその国の全体の中でどのような所に位置づけられ、それを自国の物とフェアに比較して政策的示唆を導き出すのがいかに難しい事なのか実感させられます。

国連職員について言えば、頻繁に視察に出かけて、その国を分かったように振舞いがちですが、やはりまずはデータを見て全体の傾向と分散を理解した上で、その視察の場所がどういう所なのか理解をしておきたい所ですし、自分はどこまでいっても外国人で、決して体験だけからその国の事は理解しきれないというのは肝に銘じておきたい所です。

この話、どこかでしたなと思ったら、「現地視察」って実際のところどうなの?(前編)、という記事を2年前に書いていました。。。

少し協力隊についても言及しようと思います。ローカルの人達と生活を共にした体験は、将来国際協力を仕事にした時に、コミュニケーションスキルとして確実に生きてくるので、もっと協力隊出身の国連職員が増えると良いなと思っています。しかし、協力隊の人達の国連機関批判は、9割がた当たってはいるものの、途上国を下から見ているが故に上から見ないと見えない部分が欠けていて、常に当たっているわけではありません。だからこそ国際機関批判をするような気骨のある協力隊員には、ぜひJOCV枠を利用したUNVも経験して、下からも上からも途上国を見ることが出来る立派な国際協力師になって欲しいなと感じています。

これに似た話をすると、教育政策ではエスノグラフィー的な研究もされていますが、近年特に政策の上流と下流の両方で参与観察をしてきた研究が注目を集めています。私のいる大学は、教育研究もアフリカ研究も強いので、エスノグラフィーを使って教育政策を分析した発表をたまに聞く機会があるのですが、国連や援助機関での経験が無いのは分かるけどなんぼなんでもふかし過ぎじゃない?という発表が多いので、上流と下流の双方を見た教育政策エスノグラフィーの研究が増えないと、途上国でより良い教育政策が実現されていかないと感じます。何かの間違いでまた国連に戻ることがあったら、途上国の教育でエスノグラフィーをしている博士課程の学生を、かばん持ちインターンとして積極的に採用して、途上国の教育政策を下からも上からも見た研究が増えることに貢献したいなと思います。


4. まとめー打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?

特にまとめるようなこともないです苦笑。ただ、母親の還暦祝いのために6月に久しぶりに帰国するのですが、まだ打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?を見ていないので、見た方が良さそうかこそっと教えてもらえると嬉しいです。あと、実家にいる時は近所の漫画喫茶に行ってモーニングを注文する習慣があるのでこの漫画が今面白いとか、母親の還暦祝いに沖縄に連れていくので沖縄ではこれを食せとか、情報提供がありましたらありがたい限りです。

今年の夏は日本への一時帰国を除けばずっとネパールで調査をしているので、米国の独立記念日の打ち上げ花火を下から見ることも、横から見ることも出来ませんが、まあその分ネパールの子供達により良い教育政策が届けられる研究になるように下から・上から目線のバランスの取れた調査を頑張ってくるとしましょう。

サルタック・シクシャは、ネパールの不利な環境にある子供達にエビデンスに基づいた良質な教育を届けるために活動していて、現在は学校閉鎖中の子供達の学びを止めないよう支援を行っています。100円のサポートで1冊の本を子供達に届ける事ができます。どうぞよろしくお願いします。