見出し画像

「グラレコ」にingを取り戻すには?

振り返ってみると、これが今年の自分の活動の「テーマ」だったかもしれません。
そんな、きっかけは清水淳子(@4mimimizu)さんのこのツイートでした。それまでなんとなく自分が抱えていたモヤモヤの輪郭が見えてきた気がしていて、ハッとしました。

SNS上で拡散されるグラレコ画像についても、グラフィッカーの中でモヤモヤしていた頃だったと思います。

ビジュアリゼーションマウンテンクエスト #VMQ2019

そんなモヤがかかったビジュアリゼーションという、まだまだ未開の山をみんなで探検してみよう!というワークショップを開催しました。

ワークショップを開催するにあたり、そのワークをつくるワークショプをおこないました。そこでは、ファシリテーターやグラフィッカーなどビジュアリゼーションに関わる人たちの心の中にある「問い」を持ち寄って、山脈の一角の「山」を立ててもらい、その山を散策してもらうプログラムを組んでもらいました。

実際に、ワークショップ当日は、そんなワークを参加者にいくつか体験してもらい、さらに参加者の中に沸き起こった「問い」を山の中で見つけた収穫物として、大きな「問いの山脈」をつくりました。それぞれの立場からビジュアリゼーションに対する思いや疑問、チャレンジや問いが現れてきて、それをみんなでまた持ち帰って行きます。

「グラフィックレコーディングは、どこまでingでいられるのか?」

この日、私が持ち帰った「問い」です。(まだまだ、答えの出ない問いです。)

SNS上での話もそうなのですが、プロジェクトの仕事で毎回ミーティングを可視化してアーカイブ的に扱ってもらっていたのですが「その場が終わったら、凍結されてないだろうか?」「毎回やってるけど、次につながっているのだろうか?」など、常に気にしていました。

そんな中、出版社からのお仕事が何件か続きました。
グラフィックレコードと文章の組み合わせで構成される誌面から、見る人にはどんなことが伝わるのだろうか?もしかしたら、良いヒントがあるかもしれない!という興味があり「ぜひぜひ!」とお受けしました。

●美術出版社編集の台東区文化芸術広報誌「台頭鳥瞰」

編集さんとライターの大山顕さんとの対談をグラフィックレコーディングし、大山さんの記事と共に掲載しています。そのときに「文章はリニアにひとつながりだけど、グラフィックレコーディングは広がりや深まりが見えてきて、記事書くときに役立ちそう!」というコメントをいただきました。グラフィッカーの視点(グラレコ)、その場で語っていた本人の視点(記事)、の両面から捉えることができます。
wed版がこちらから見られます👀

●「クリムト展」対談企画:千足伸行×山口周「21世紀にリロードされるクリムト」

同じく美術出版社さんからのお仕事で、「クリムト展 ウィーンと日本1900」の開催に合わせて企画された「現代クリムト講座」の対談イベントでグラフィックレコーディングをしました。コンセプトマガジンに対談記事と共に記載されます。
当日はスクリーンで対談者の背景に大きくグラフィックを映写しながらの対談で、その時の写真が最初に入っていて、読む人もどんな会でどういう雰囲気だったのか?がよくわかります。

・その場の雰囲気・臨場感を再生する→写真/映像
・対談内で話された内容を再生する→文章
・発話の関係性や対談の空気感を再生する→グラレコ

それぞれの情報が重なりあって、その場で起こっていたことが浮かび上がってくる感覚があります。グラフィックレコーダーの視点から見た景色を記録したものとは違う立場から見たものが一緒にあるとingで残りやすいのかも?という仮説を立ててみました。(それでも、やっぱりその場にいたからこそ、思い起こせるのでは…?という疑問は拭えませんでした。その場にいなかった人はどう感じるのだろう?)

VISUAL で”DOING”するとは?

少し、話は飛んでこんなお仕事をいただきました。VISUAL DOINGという洋書の翻訳本を出版するので、対訳を当てるグラフィック内の言語を日本語で構成し直してもらえますか?というお話でした。この本の前作に当たるVISUAL THINKINGをよく仕事でも活用していたので、二つ返事でお受けしました。

依頼内容としては上記のような事だったのですが、その出版の折に「本を題材にしつつ、ワークショップをやってみよう!」と、栄前田勝太郎さんからお声がけいただきました。

本の中で語られている「ME→WE→US」の概念から解釈をして、2人の中でこんなふうに仮説を立ててみました。

<仮説>
DOINGとは、単純にビジュアライズの行為を「行うこと」を指すのではなく
ビジュアライズによって、人々を巻き込みながら推進していくこと(なのでは?)

その場のビジュアライズだけでなく、DOINGによって、それがその後どんな変化をしていくのか?そんな人を巻き込んでいくビジュアライズのことを考えていくワークショップにしよう!ということで、そこでこんなメタファーで捉えてみることにしました。


▼参加者とファシリテーターやグラフィッカーのMEとYOUの領域

WDA研究会.001

ワークショップなどその場(海)で起こっていること(魚たち)をメタ的に捉えながら、ときに対話から生まれたものを抜き出して観察したり、参加者の中で立ち上がっていたものを収穫して残したり、ワークショップ終了後に、そんな生ものを冷凍保存しておく。(グラフィックレコーディング→グラレコ)


参加者と第三者(その場にいなかった関係者)とのWEの領域

WDA研究会.002

冷凍保存されたグラレコを、参加者の語りによって「解凍」して伝える。再びグラフィックレコーディングとして、活き返る。受け手は語り手の中から自分の意味づけや解釈を見い出していく。→もっと語りを支援できるビジュアライズの手法がある?


その場にいなかった関係者が、自分事として関わっていくようになるUSの領域

WDA研究会.004

見い出した意味や解釈を、自分の体に取り込んでいく(主体性を持って巻き込まれてもらう)ためには「調理」という工程を経ていかないと難しいかもしれない。→ここに新たなビジュアライズの領域が広がっているかも?

そんな「グラフィックレコーディングのその後…」というところに目を向けてビジュアライズを探る研究会を昨日やりました。(リフレクションがてら書いていきます)研究会の前は、

・もっと語りを支援できるビジュアライズの手法がある?
・ここに新たなビジュアライズの領域が広がっているかも?

ということが考えられるかなと思っていたのですが「そもそもグラフィッカー(あるスキルをもって可視化をするプロ)が描くものだけが『グラフィックレコーディング』なのかな?参加者が模造紙に描き込んだものは、なんて呼べば良い?」や「ワークとビジュアライズの関係がもっと溶け合っていいのでは?」「グラレコから伝わる熱量と、人の語りから出てくる熱量には違いがあるかも?」「人それぞれ熱量や伝導率に違いはあるけど、そんな一人一人の熱を受け止めてくれる『おしくらまんじゅう』みたいな場があれば良いなぁ」などなど、深いところまで対話が及んでいて、無意識のうちにビジュアライズ=グラフィックレコーディングの文脈に囚われていた自分に気付かされた研究会でした。

グラフィッカーの目線だけじゃない情報が入っていると良いのかも?というような話もあり、出版物に文章とグラレコの両方を載せて発信することにも近かったのかなと、こちらもその後をウォッチしていきたいです。


今回の研究会では、noteタイトルのような「ingを取り戻す」ための具体的な施策が話されたわけではないですが、この研究会の活動自身を通して「ingを取り戻す」ことにチャレンジしていきたい!という思いになりました。来年も引き続き研究していきたいテーマです。

↓ちなみに、概ね同じ内容で12/13にもワークショップやります。まだ参加枠が残っていると思いますので、ぜひぜひ!


このnoteは、グラフィックレコーディング Advent Calendar 2019の第1弾のほうに参加しています!(第2弾もあるくらい、たくさんの方が書いているので、この先アップされる投稿もお楽しみに!🙌)







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?