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開かれたお寺から、閉じたお寺へ。築地本願寺の先にある「檀家2.0」とは?

写真はブータンにある「タクツァン僧院」。標高約3000mの断崖絶壁に「閉ざされた」このお寺へは麓から歩いて往復6時間かかりますが、一昨年私が参拝したときにも世界中からたくさんの参拝客が訪れていました。先月書いた『築地本願寺に響く「檀家制度終了」の鐘』というnote記事にかなり反響をいただいたので、このnoteでは、そこから先にある「檀家2.0」や「閉じたお寺」のことを考えてみます。

「檀家」から「檀家2.0」へ

先月のnoteで築地本願寺が「檀家制」から「クラブ会員制」に移行しつつあるという話をしました。

趣旨をまとめると、こうです。

築地本願寺にも門徒があるし、また、浄土真宗本願寺派の全国からの門徒の参拝もありますから、もちろんそれをないがしろにしようというわけではない。
ただ、従来の「檀家(門徒)」という括りではリーチできない人たち、それを嫌う人たちに対して、「檀家制度(門徒制)」とは全く別の会員制を、並行して(パラレルで)展開し、「檀家制度(門徒制)」と「築地本願寺倶楽部」は、おそらく将来も交わることはない。
「これでいい」と満足している顧客に対しては、あえて変化を起こさずそっとしておいて、一方「これでは満足できない」という顧客に対しては、全く別の新しいプランを用意してアプローチするという、よくある課金ビジネスのやり方に近い。

しかし、同じことが普通のお寺でできるかといえば、難しいですよね。「檀家制」と「クラブ会員制」の二つの会員制を並行して走らせるといっても、それは築地本願寺のような大きいお寺だからやれるのであって、一般的な家族経営の檀家寺では難しいのではないか。特に、檀家と住職の距離が近い田舎のお寺の場合、目に見える距離で取り扱いが異なる二つの会員制度を入れてしまうと、例えば檀家側が「彼らは負担が少ないのに、扱いが同じだなんて、ずるい」と怒りだすでしょう。ちょうど今、中国と香港が大変な状況になっていますが、「一国二制度」はどうしても緊張が高まる宿命にあります。

こんな時、私が考えるのは「スライド作戦」です。パワーポイントのことではなくて、「ズラす」意味のスライドのことを言っています。

それは、すでにあるものをそのままに、意味やあり方を少しずつずらして(スライドさせて)いく作戦です。そうすることで、廃止や転換といった大きな波紋を呼ぶアクションを起こすことなく、静かに次の世界へ移行していくことができます。「檀家」が徐々に「檀家2.0」へ移行していく、というイメージです。

檀家に関しては、幸か不幸か、多くのお寺で「檀家規約」などがきちんと整備されていません。つまり、会員規約がなく、明確な定義もないのです。もし存在したとしても、はるか昔に作られたままで、文言も古く、今となっては全く使えない状態(つまり規約が実態に即していない状態)になっていたりすることも多いと思います。「檀家とは何か」が明確に定義されないまま、なんとなくの感覚で、それが暗黙のうちに成り立っている不思議な世界が、仏教界です。明確に定義されていないのに、なぜか義務や責任が発生する(しかもメリットが見えない)会員なんて、誰もなりたくないですよね。そういう気持ち悪さもあって、「檀家」というのが毛嫌いされている部分があると思います。

そこで、「檀家の再定義」に取り組んでみてはどうでしょう。

組織のガバナンスやコンプライアンス、説明責任の重要性が強調される昨今において、「改めて、檀家についての会員規約を整備したい」という提案は、総代会などでも比較的すんなり受け入れてもらえると思います。なぜなら、檀家の規約整備は、確実にこれからのお寺が解決しなければならない課題だからです。そのプロセスの中で、「檀家」という名称をそのまま残しつつ、「檀家」の定義を刷新した上で、実質的に「檀家制度」と「クラブ会員制度」を両立させるような、見かけ上は「一国一制度」を保ったままの「一国二制度」を導入するのはどうでしょうか。

私だったら、例えば、現状の「檀家」は「菩提寺とイエ」の関係性において「家」という漢字が当てられていますが、その概念を打ち壊していくのは面白いかなと思います。

「イエ制度が崩壊し、人と人とのつながりが失われている。もはや家族すら人のつながりの基盤として機能しなくなった今、xx寺は、檀家を、イエに執われずに再定義し、xx寺の仲間、いわば”xx寺ファミリー”と捉え、仏さまを中心として個々人が自由に集う開かれた疑似家族的なコミュニティを作っていきます」というような表現で、「檀家」そのものを「クラブ会員」的な意味に拡張していくやり方です。それによって実質的に「檀家2.0」への移行を実現します。

そうなると、檀家という言葉の使い方が、「この家族はうちの寺の檀家」から「檀家はみなうちの寺の家族」という風に変わるでしょうか。

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