見出し画像

お寺コワーキングの先にある、観光の終焉と巡礼の始まり。

同じものに違った角度から光を当てる「方便力」

先日、宣伝会議というメディアでインタビューを取り上げていただきました。

インタビューの際に「お寺の変革者ですね」と言われたんですが、私はそんなつもりはありません。私はお寺の強みは「継続性」であり「関係性」だと思いますので、とにかく積み重ねることが大事です。何か全く新しいことに取り組むとか、物量戦で勝負するとかは、あまりお寺には向いてません。先人たちの厳しい歴史的検証に耐え抜いて今まで受け継がれてきた大切なものを、できるだけ形を変えずに続けていくことが、そのままお寺の強みになります。

これだけ変化の早く激しい時代です。どんどん変わっていく景色、何が当たり前なのかわからなくなる中で、「変わらず続いている当たり前の日々の暮らしや習慣」を保つことができたら、それが何よりの財産です。全てのお寺にとって、ここは踏ん張りどきです。あと五年もすれば、世の中の目は「変わらず続いている当たり前の日々の暮らしや習慣」に向いてくるだろうと、私は思っています。

では、ただ今までのことを繰り返すだけで、まったく新しいものが要らないかといえば、そうではありません。大切なのは、今まで通りのことを継続しながらも、それに新たな角度から光を当てること。時代時代に、世の中が物事を評価する軸は変わっていきます。そのトレンドを押さえて、新たな光を当てることで、今までやってきたことをまったく変えずとも、新しい価値として提示することができます。

例えば、テンプルモーニング。やっていることは、みんなで朝にお寺に集まって、お経を読んで、掃除をして、お茶を飲んでおしゃべりする、それだけです。まったくといっていいほど、お寺の営みとして新しいことはしていません。しかし、ちょっと違った角度から光を当てれば、そのまま新鮮な気持ちで興味を持ってもらえるのです。そのような光の当て方の創造性こそ、現代の僧侶に発揮してほしい「方便力」です。

画像1

ダライ・ラマ法王の方便力

「方便力」といえば、ダライ・ラマ14世法王猊下はやはり群を抜いています。
つい最近、少し話題になった発言を紹介します。

「ドラッグやアルコールやお金から幸せは得られません。究極の幸せや喜びは、思考によってのみ得られるのです。そして、宗教への信仰心から得られるものでもないのです。信仰するのではなく、考えなければなりません。我々人間の頭脳を使い、科学的に考えなければなりません。神様や仏様に祈る必要はないのです」

ダライ・ラマ法王によるpost-religion宣言とも見えるこの発言は、仏教界、宗教界でも物議を醸しているようですが、私は違和感は感じませんでした。ダライ・ラマ法王らしいユーモア溢れる「方便力」の発露であり、そういう最高度に宗教の中にいる方からこういう語り方をされると、私も含めてpost-religiousな人の心を掴んで離しませんね。

でも、冷静に考えると、ダライ・ラマ法王はじめチベットの僧侶たちが、神仏に祈りを捧げていないはずはありません。それどころか、誰よりも熱心に祈っている。そこでまた、post-religiousな人々は、あっ、と何かに気づくわけですよね。そういう心理的なプロセス理解をひっくるめて、今回の発言はダライ・ラマ法王猊下一流の「方便力」なのだなと私なりに受け止めました。

如実智見を大切にする仏道に照らしてみると、私たちは無意識ながらことごとく「色眼鏡」をかけて世界を見ているのだと言われます。その色眼鏡を通してみると、「変わらず続いている当たり前の日々の暮らしや習慣」の価値が見えなくなってしまいがちです。そんな中で、現代人のいまどきの色眼鏡から見たときに映えるような角度から、それらに光を当て直して魅力的に見せるのが「方便力」の発揮のしどころです。

あえて極端なことをいえば、お坊さんは、何一つ新しいことを始める必要はありません! できることなら今まで通りやることを変えず、そのままの形を続けていけばいいんです。でも、その分、ライティングには思いきり創造性を働かせてみる。今までとやっていることは何も変わっていないのに、あたかも何か新しいことが始まったかのように、表現を工夫してみる。意味を再定義してみる。そういう練習が必要だと思います。

画像2

Co-Working、Co-Living、Co-Experience

ところで先日、「トランステック」について書きましたが、後日談として、山下悠一さんより心強いメッセージをいただきました。

「お寺はまさにトランスフォーマティブエクスペリエンスセンターとして再定義すれば、食、住、教育、地域活動、インバウンドと、日々の生活を通じた、学びの場に生まれ変わり、ビジネスとしても成功すると思っています」

私も全くその通りだなと思います。まさに「方便力」を発揮して、お寺の存在意義を再定義すれば、なんだかんだ今までずっと続けてきたことをそのまま継続しながら、お寺を新しい場に生まれ変わらせることも可能でしょう。山下さんの発言からも感じられるように、世の中のトレンドも、かなり追い風になってきています。

ここで、山下さんの記事のリンクを改めて引用します。
「今世紀最大のイノヴェイションは、月旅行でも空飛ぶ車でもない。古代からの夢、幸せの民主化を実現するトランステックだ。」

この中に「ポスト資本主義システム構築のドライバーは、Co-Working、Co-Living、そしてCo-Experienceへ」という小見出しがあります。

普通のお寺がいきなりCo-Living、宿坊などを始めるのはハードルが高いですが、とりあえずCo-Workingを始めるのは、空き部屋さえあればできますので、そう難しくはないでしょう。実際、私も神谷町光明寺にて、テンプルモーニングと合わせて、そのままテンプルコワーキングを何度かやってみました。簡単ですが、かなり可能性のある取り組みだと思います。

お寺コワーキングの未来形

そんなことを考えているところに、つい1ヶ月ほど前に、全く知らない外国人から私宛に英語で一通のメールが来ました。要約すると、こんな内容です。

私はスペインのバルセロナで次世代のコワーキングスペースを運営している。それは、オフィス機能を提供するだけではなく、ベジタリアンの食生活や、ヨガや瞑想の実践、wisdomに基づく思考や価値観の変容など、そこに関わる人がトランスフォームするようなコワーキングスペースなんだ。そして、そのスペースをauthenticなものにするためには、僧侶の存在が必要だ。具体的にjob-descriptionとしては、”monk-manager”と名付け、来訪者の人生をトランスフォームする支援をする人となってもらいたい。そのようなアイディアを実現するために、力を貸してほしい

面白そうだったので、メールで少しやりとりして、オンラインミーティングをし、思い切ってバルセロナまで出張してきました。(せっかく行ったので、書店で掃除プレゼンテーションとサイン会もしてきました。冒頭の写真です)

いずれまたその報告はどこかで書こうと思いますが、「同じ空間を共有するだけで生産性はもとよりwell-bengを高めてくれる存在」としての僧侶のプレゼンスをビジネスの文脈で求めているというのは、かなり新しい波を感じました。

画像3

翻って日本ではまだコワーキングスペースといえば、「(経済力のない)フリーランスの人がオフィスをシェアする場所」くらいなイメージで捉えられていますよね。でも、大きな流れとしては、間違いなくこの外国人からの不思議なメールにあるような方向性に進んでいくのだろうなと。

それを実感できる事例を、zen2.0で親しくなった三木さんのFBシェアから知りましたので、引用します。(不思議ですが、何か一つのテーマを知る時って、いろんなチャンネルから一気にシンクロ的にやってくるんですよね)

「Assemblage NY発、スピリチュアルでトランスフォーマティブなコワーキングスペース」

まぁ、とにかく今っぽいコンセプトです。都市に暮らす人の多くが、何か生き方やあり方を根本的に変えたいと感じていることが、こちらにも伝わってきます。今や、お金やステータスが欲しいのではなくて、お金やステータスというこの世のカラクリに惑わされない自分が欲しいということなのでしょう。3月にマンハッタンに行った時は、フィットネスのペロトンを見学してきましたが、また機会があればこちらを訪ねてみたいです。

これらのトレンドから読み取れることは、つまるところ「古から続く人類の知恵が詰まった”当たり前の日々の暮らし”をベースに、上手に現代のテクノロジーも活用しながら、地球に優しく生きていこう」といった話であり、ベースは「古から続く人類の知恵が詰まった””当たり前の日々の暮らし”」であるので、お寺贔屓の目線でいえば、「これからは仏教がOS(基盤)になる」みたいな話と言えなくもありません。でも、繰り返しますが、光の当て方なんです。昔からの御本尊はそのままでも、ライティングによって表情が変わるのと同じです。

画像4

観光の終焉、巡礼の始まり

お寺のCo-experienceを考える上で、私が最近注目した記事はこちらです。

【Inside/Outside】観光の終焉を宣言したコペンハーゲンの歩き方 #3 一時的市民として体験するコペンハーゲン

「観光の終焉」というのは、その通りですね。
記事によれば、デンマークのコペンハーゲン市が発表した観光に関する新しい戦略のポイントは以下のようなものだとか。

・観光客として扱われたい観光客は激減した
・観光客は一時的な市民として接するべき、コミュニティに貢献できるはずであり、それがきっと魅力になる
・コペンハーゲン市民の生活こそが観光資源
・リトルマーメイドはなにも気持ち的なつながりを生まないが、市民は生んでいる
・マスメディアでキャッチコピーを届けることより、市民ひとりひとりからストーリーが伝わっていくことが大切
・ひとりひとりの体験が伝わっていくことがコペンハーゲンのブランディングの成功指標となる

そもそも「観光」という言葉は「国の威光を観察する」が語源ですが、今、日本という国の威光を観察しにくる人はいないでしょう。

確かにまだまだそれなりに、大型バスで団体が土産物屋に乗り付けて買い物、みたいな従来型の「観光」スタイルがなくなったわけではありませんが、日本人でそういうスタイルの「観光」を楽しむ高齢者世代は20年後にはいなくなるだろうし、主にアジアから来る団体旅行客もどんどん感覚が変わっていくはず。20年後に今と同じように消費型の「観光」を楽しむ人たちが存在するという前提でモノを考えることはできません。

今、インバウンド(訪日外国人旅行)の増加を神社仏閣がチャンスと言われますが、それも捉え方次第です。今、神社仏閣の「観光」を担う人たちが、未来を見据えて開発に携わっているのかどうか。ただ宿坊を作れば良いという話ではないし、もちろんアミューズメント的な要素を増やすことが正解でもないはずで。最近、仏教界を見渡してみると、けっこう大規模な開発がなされているところがあるので、長い目で見た時に、心配が残ります。作ったばかりの今は良くても、20年後、世の中のトレンドがすっかり変わった時、負の遺産になってしまわないかと。

例えば、京都大原・三千院のエリアを大規模開発してホテルや商業施設、ロープウェイなどを建てる計画があるというけれど(詐欺事件になって頓挫中・・・)、そのまま頓挫した方が良い可能性もある気がします。森ビルが開発に関わる永平寺の行く末も、注目。

■京都・大原三千院をめぐる詐欺事件が勃発! その深層と再開発の行方
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57902

■六本木ヒルズで培ったノウハウを活かし、森ビルが「禅の里」のまちづくりをサポート
https://www.homes.co.jp/cont/press/buy/buy_00446/

■【藤田観光】曹洞宗大本山永平寺が整備する宿泊施設の運営者に決定
https://www.fujita-kanko.co.jp/sub/news/2017/05/15/9991/#

「観光の終焉」の先にあるコペンハーゲン市の戦略を、日本仏教のCo-experience戦略に置き換えてみると、こんな感じでしょうか。

・観光客として扱われたい観光客は激減した
・観光客は一時的な巡礼者として接するべき、コミュニティに貢献できるはずであり、それがきっと魅力になる
・僧侶の生活こそが観光資源
・国宝や重文はなにも気持ち的なつながりを生まないが、僧侶は生んでいる
・マスメディアでキャッチコピーを届けることより、僧侶ひとりひとりからストーリーが伝わっていくことが大切
・ひとりひとりの体験が伝わっていくことが日本仏教のブランディングの成功指標となる

この視点から考えた時、私は神田英昭さんの取り組みには、未来があると思いました。

■鎌倉のゲストハウスが宿坊に? 僧侶との1泊2日で仏教に触れる体験

宿坊を作るんじゃなくて、「古民家に僧侶を連れてくれば宿坊になるじゃないか」という発想の転換。お寺に僧侶がいるんじゃなくて、僧侶のいるところがお寺である、というのは良いですね。神田さんという存在がつながりを生み、ストーリーを伝えています。

Post-Religious Pilgrimage

「観光の終焉」の先には、何があるのか。

個人的には、“Spiritual but not religious”な人たちが増えるPost-religionの流れにおいて、「観光の終焉」後に求められるのは、”Post-Religious Pilgrimage”(ポスト宗教的聖地巡礼)ではないかと睨んでいます。先日、テンプルモーニングの仲間を中心に、日蓮宗の総本山である身延山久遠寺へ一泊二日で「掃除巡礼」に行きましたが、あれはまさに「掃除と旅」を通じて、市民生活ならぬ信者生活を疑似体験させてもらうような、特別な体験でした。

画像5

掃除にしても、旅にしても、人によって受け止め方や感じ方が異なることが許される広がりのあるCo-experienceの形態であり、その掛け算はとても優れた越境的な体験を提供してくれます。テンプルモー二ングにも、実は毎回、小さな「旅」感を感じていました。参加者にとってはお寺という異世界への「旅」感があるでしょうし、実はお坊さんにとっても、慣れ親しんだいつものお寺が少し違ったものとして感じられるような不思議な「旅」感をもたらしてくれます。

Temple Morningからの、Temple Co-working、Temple Co-living、Temple Co-experineceと来て、Post-Religious Pilgrimageへ。それらのアクションが、Well-beingという全体を貫く概念と、どう関わっていくのか。引き続き考えていきたいと思います。

続きをみるには

残り 0字

このnoteマガジンは、僧侶 松本紹圭が開くお寺のような場所。私たちはいかにしてよりよき祖先になれるか。ここ方丈庵をベースキャンプに、ひじ…

"Spiritual but not religious"な感覚の人が増えています。Post-religion時代、人と社会と宗教のこれからを一緒に考えてみませんか? 活動へのご賛同、応援、ご参加いただけると、とても嬉しいです!