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有事と平時

只今は有事なのか平時なのかと問われれば、ちょっと微妙…じゃないですかね?そもそも有事と平時って180度違うものなのか?全然違うけど同じ??

今朝は、4時前には完璧に目が覚めた。というのも、老母に2時過ぎに起こされ、テレビをつけたら、2時半から4時前までドキュメンタリー NHKスペシャル選「戦慄の記録 インパール」の再放送をやっていたからだ。これを見たら、戦慄で目が覚めない人はいないだろう。

↓以下のリンクに文字起こしがされている。

まずは、この激戦に生き延びただだけある強靱な方達だけあって、実際に現地に赴いた人が数年前までご存命で、100歳近いのに頭もしっかりして当時を回想されていたのには恐れ入った。関係者の最後の生の声を記録に収めたことは本当に意義深い。

しかし、この時の時代背景は、当時の考え方は、全く特殊で今の私たちとは全く関係ないものなのだろうか?

ドキュメンタリーに出てくる作戦の経緯を固有名詞を取って並べてみると

上層部は
-作戦は、極めて曖昧な意思決定をもとに進められた。
冷静な分析より組織内の人間関係が優先され、作戦は発令されたのだ。
-任務遂行が軍の絶対原理だったからである。
-作戦の続行に固執し、現場の声を聞かない、判断を後伸ばしにする。責任を取らない。
-味方5000人を殺せば陣地を取れる。自分たちの計画した戦が成功した。

部下から見ると
-上層部は悔しいけれど兵隊に対する考えはそんなもんです。だから、その内実を知っちゃったら辛いです。
-指導者層の理念に疑いを抱く、望みなく戦を戦う。世にこれほどの惨事があるか。


あら、ちょっと言葉を差し替えれば、戦後生まれであっても、なんかどこかで聞いたことある話じゃない?

ツイッターで読んだんだっけ?居酒屋で聞こえた愚痴だっけ?ワイドショーのコメントだったのかもしれない。規模やケースは違っても、あちこちに結構あるあるなのだ。

幸せなことに、今は戦時ではないから何かこのような状況に出くわしても、絶対服従の必要はなく、戦線離脱は自由。
組織に属しても属さなくてもよいし、住むところだって選べる。
何が正しいか自分の頭で考えて判断することが出来る。

不幸にも、どう考えてもおかしいという環境に身が追い込まれてしまったら、それはその人にとって異常な状況で、その場合、離脱はちゃんと選択肢にあるべきであるという、当たり前のことを改めて強く感じた。

なんでまた、こんな話を書くことになったのか?
今朝、偶然、2時に起きて、テレビのドキュメンタリーで…。

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