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新刊無料公開vol.2「不本意な再会」 #地元がヤバい本

※この記事では、11/15に刊行された『地元がヤバい…と思ったら読む 凡人のための地域再生入門』(ダイヤモンド社)の発売記念として、本文を一部無料公開します。

久々に実家を訪れ、いきなり家業を畳むことが決まってから2週間。気づけば仕事が忙しいのにかまけて、ほとんど手を付けることもなく時間だけが経ってしまった。税理士との打ち合わせを控えて何となく重い気持ちを抱えながら実家に帰ると、母から声がかかる。「なんか本が届いてたから、机の上に置いといたわよ」
そう、何から手を付けていいかわからなかったから、2週間前、ひとまず「廃業」と名前のついた本を実家に配送されるように頼んでおいたのだった。このまちから本屋がなくなって久しいが、今はアマゾンで注文すれば、翌日か翌々日には本が届く。地方は見た目とは裏腹に、確実に便利になっている。だからこそ、まちで小さな会社が大手と勝負するのは難しい。潰れる前に店をやめられるのであれば、やめたほうが身のため※4だよな、とあらためて思う。

潰れる前に店をやめられるのであれば、やめたほうが身のため※4…日本では廃業はよくないこと、と思われがちだが、儲かりもしない家業を闇雲に継ぐよりは潔く畳んでしまうことも一案だ。日本では年間約3万件近くの企業が休廃業・解散している(帝国データバンク調べ)。倒産件数は8000 件程度だから、世の中では潰れる前に事業を畳む意思決定をする経営者が実は少なくない。今は事業を売却するなどの中小企業M&Aも増加傾向にある

昔の自分の部屋に入る。もう何年ぶりだろう。かつて使っていた机もそのままだ。ここでラジオを聞きながら受験勉強してたんだよな。感慨にふけりながら、机の上に乗った本をぱらぱらと眺めてみる。さびついた椅子が、キイキイと音を立てた。
いくつかの本を読んでみてまずわかったのは、商売はそう簡単にやめられるわけではないらしい、ということだった。気持ちが落ち込んでいくのを隠せない。
商売は始めるのにも金がいるが、やめるときにも金がいる。商売を始めるときに知人や銀行から金を貸してもらうことはできるが、商売をやめるときに金を貸してくれるお人好しはいない。儲けた手元の金で、仕入れや運転資金などのために借りていた金など一切合切を関係者に支払い、借入金を返済してこそ、人さまに迷惑をかけずに商売はやめられるのだそうだ。「きれいさっぱり商売やめられる人って、お金持ちなんだな」
もし、借りていた資金を清算できなければ、結局は家や車など持てる資産を売却して現金化するしかないという。幸いにして父は野心的に事業を広げていなかった分、多額の負債は残っ ていなかったが、それでも運転資金などそれなりの額を借り入れていた。
本をそっと閉じてため息をつく。窓の外にみえる裏庭の柿の木は、昔と変わらぬ姿だった。

 
「ご飯よー」 お決まりの呼びかけも、今となっては懐かしい。急な階段を降りて、右手奥の台所脇の食卓に座る。あんまり落ち込んだ感じを見せるのはよくないよなと思ったが、母はこういうときは勘がいい。
「なに、浮かない顔してどうしたの」「えっと......。本を読んだんだけど、事業やめるのにもたくさんお金がいるみたい。うちにそ んなにあるのかなって不安になって」「まぁお金はそんなにないけど、この店もあるし、裏の小さなアパートもあるじゃない? 売ればどうにかなるんじゃないかしら」
こんな寂れた商店街の土地を買ってくれる人はいるのかなぁ、と不安になりつつも、「一回、税理士の先生と話さないとわからないよね」と話を終わらせた。あんまり後ろ向きな話ばかりしていてもしかたない。
うちは自宅と店舗がひとつになった、典型的な昔のつくりだった。手前が店で、奥が家。老後のことも考えて父が建てたアパートがすぐ裏手にあり、多少空き室もあるが、そこからのあがりはありがたい副収入だった。建てたときのローンの返済はほとんど終わっていて、母が生活する上での年金の足しとしては十分だ。ただ、現在の借り主が住み続けてくれるとは限らないし、建物も古くなる。地方ではどんどん資産価値なんてなくなっていく時代だからこそ、売り払うことも必要なのかもしれない。
冷蔵庫からとったビールを開けながら、ほうれん草のおひたしに手を伸ばしたら、今朝となりの山根さんからもらったのだと母が言う。僕はあまり重みを持たせず、聞いてみた。「母さんって、ここにずっと住むつもりなの」「うーん、もう私一人じゃ大きいし、別にここに住み続けたい※5とかはないわ」

ここに住み続けたい※5… 事業を清算したあともそこに住み続ける人は少なくない。年を重ねてからの引っ越しは家への愛着、金銭的な理由などからハードルが高い。その結果、店だった場所に暮らす住人と商店街に残った店の間に騒音問題が生じることも。また、最近、活性化に成功した地域で「貸してもらえる空き店舗が少ない」という問題が起きているが、これも、1階が空いていても2階に住んでいたりするケースがあるためだ。

じゃあ、実家とアパートをすべて売るという選択肢もあるわけか。「あ、いけない、忘れてた! そういえば、今夜、商店街の若手の集まりがあるんですって。 若手といってもみんな40代以上だけど。淳が久々にうちに帰ってくるって話をこないだメガネ屋の佐藤さんにしたら、ぜひ顔出させてよって言われちゃってね。もう 始まってるから、ちょっとだけ行ってあげてよ」
「は? ふざけんなよ、なんでそんなこと勝手に決めんだよ」
......なんて勇ましいセリフを言う勇気は、残念ながら僕にはない。「え......僕がそういうの苦手だって知ってるでしょ」「ほら、小さい頃いろいろと一緒に遊んでもらったんだから、顔くらい出してきなさいよ。もう若い人も減っちゃって青年部も去年解散したんだから」
高校時代は商店街のイベントの手伝いをよくさせられたな、なんて思い出しながら、2軒となりにある商店街の古ぼけた会館にサンダルで向 かう。その会館はかつてそれなりに活気があった時代に建てられただけに、今のシャッター商店街からすれば相当に立派な建物だった。とはいえ、その1階もいまや 空き店舗となっている。階段を上がると、開いている会議室のドアの先からやりとりが聞こえてきた。「そろそろ今年の年末大売り出しの予算をどう使うか、決めていただければと思います」
シャツにスラックスをはいて、首からカードケースをぶらさげた真面目そうな男が、若手とは名ばかりの40〜50代のおじさんたちに説明している。役所が商店街に「年末大売り出しをしませんか」と予算の説明にきているようだった。「あーもうそんな季節か。今年はいくらの補助金ついたんだっけ?」 「毎年同様200万ですね。みなさまの負担のないように、事務局長と協議して決めさせていただきました」
手もみするかのように役所の人物が丁寧に説明をしている。その話を聞いて、一番の年配者が指示を出す。「じゃあ山本、チラシとかのぼり旗とか毎年のやつ、適当にうまいことやっといてよ」「まぁ〜たおれか。はいはい、わかったよ」
山本さんは地元の印刷屋さんだ。イベントとなると、いろいろと印刷物が必要になるから、 昔から彼がいつも全部とりまとめていた。そう、いまだに僕が高校生だった頃から役割分担が変わっていないようだ。役所が用意している予算は200万。ただ、あくまで「補助」のためのお金だから、全体予算の半分は商店街の組合で用意しなくてはならない。しかし、ただでさえ余裕のないこの商店街はできるだけ予算を削減したい。そこでまず、200万の内容を400万に膨らました見積もりをつくり、役所から200万を補助してもらう。見積もり、請求書上では400万としながらも、実態は200万だけしか使わない。いったん支払った400万から200万はあとで 取引業者から別名目で戻させる。こうすれば、自分たちの負担分は実質ゼロだ。彼らが言う「うまいことやっといて」というのはそういうことだった。 役所もつけた予算は執行したいから、薄々わかっていてもそういった問題には口を出さない。これもまた僕が高校時代に関わったときにはすでにあった、昭和の時代から続く商店街の「表に出せないお金問題※6」だった。

表に出せないお金問題※6… ほかにも、昭和の時代には利益が出たときに税金 をできるだけ少なくするため、架空の取引をもとに利益を少なくみせて、裏帳簿でお金を溜め込んでいたりした。が、今となっては世の中にそのお金が出れば、当然出所が怪しまれることから結局使えず隠し資産となっていたりする。また、駐車場事業や販促事業など規模の大きい予算を抱える商店街では、それぞれの事業の担当理事職が利権化し、業者から個別接待などを受けていることも。


この日の会議はその話で終わりのようだった。会議室横にあるテレビがつけられ、野球中継を眺めながら話題は地元のゴシップと悪口に移っていった。なんだもう終わりか、とこっそり引き返して階段を降りかけたところ、いきなり呼び止められた。
「あれ、瀬戸じゃん! 本当に来たか。でももう会議は終わったぜ。 どうせ時間でも間違えたんだろ?」

ドキッとして振り返ると、先ほどの「ザ・役所スタイルの男」が細いフレームのメガネをかけ、ニヤけながらこちらを見ていた。いきなり失礼なことを言われさすがに腹が立ったが、誰だかまったくわからない。「おい、忘れたのかよ。おれだよ、おれ、森本。も、り、も、と!」 「え......あぁ、森本か!役所で働いていたんだね。全然知らなかったよ」
森本のことは、昔から嫌いだ。もともと調子のいいやつで、根暗な僕のことをネタにしてクラスで笑いをとるいやなやつだった。訝しげに、あらためて胸にぶら下げているカードケース をみると、「経済局産業振興部商業振興課係長」と書かれていた。な、ながい。「そうなんだよ、おれ今商店街担当でさ。ま、簡単に言えば役所予算でついた補助金の営業だ。お前久々だけど相変わらずだな〜。東京に行って垢抜けたかと思ったけど、人間変わらないもんだ」
久々に会ってよくそんなスラスラ嫌味が言えるもんだ。ムッとしたが、なぜかそれを察しとられたくないという思いが勝り、笑いながら返事をした。 「いやあ、うちの実家、商売をやめることにしてさ。その手続きで定期的に帰ってきてるだけだよ」 「あー、そりゃそうだよなー、もう役所か銀行くらいしかまともに働けるとこ残ってねーもんな、このまちは。商売なんて継いだら終わりだよ」はっは、と森本は大きく笑った。商店街の事務所でよくそんなことを言えるなと思ったが、肝心の商店街のおっさん連中は、テレビの野球中継を観ながら缶ビールを飲んでバッティングが冴えないだなんだと騒いでいてまったく聞いていない。二人で暗くて狭い階段を降り、外に出た。
「まぁ、また戻ってくるとき連絡してくれよ。たまには飲みにでも行こうぜ。高校のときのやつらも何人か戻ってきているからさ」
「そ、そうなんだ。うん、予定があったらまた」
誰がお前なんかと。どうせいじられるだけだろう。何も変わってないなんてことはない。適当な社交辞令を言える程度には、僕も東京で成長したのだ。

翌週、再び実家に戻った。中腰での作業が続き縮こまった体を伸ばすと、まだ高いところにあった太陽が僕の顔に強く照りつけた。店の奥の裏庭には、今となっては倉庫になっている小さな離れがある。そこに、整理もされずに数十年置き去りになったままの昔の店舗什器や皿などが山ほどあった。今週末で整理してしまおうと考えいざ中に入ると、店の歴史を感じさせる細かなメモなどが残っていた。誰かに譲れないものかと思い、いったん捨てるのはやめることにした。ひとまずホコリを払って整理しなおすと、もう午後3時を回っている。
店のほうから麦茶を持ってきてくれた母が、夕飯がいるかどうかを聞いてきた。「あ、そうだ。言い忘れてたけど、今夜、飯いらないや。こないだ商店街の事務所で偶然会った森本からしつこく飯に誘われててさ。もう他のクラスメートも集めちゃったって言うし」
今日遅刻したら何を言われるかわからない。約束の5時の15分前には到着できるよう、指定された居酒屋に出かけた。
「おーおー、きたきた。おせーよ」早めに来たつもりが、居酒屋では森本と3人の男が奥の小上がりにすでに陣取っていた。地元の国立大学に進学して今は地銀に勤める後藤、実家が商売を廃業して今は商工会に勤める山田、地元の私大を出て地元にある老舗不動産屋に勤める沢田というメンツだ。出身高校の、かつてあった見えない固定的なヒエラルキーが蘇る。僕にとっては、あまり心地のよい空気ではなかった。「じゃあ、酔っ払う前に、次回のイベントの話だけ決めちゃおう。沢田にステージとかの準備まわり頼んでたけど、できてる?」
と、何やら森本が急に紙を配り始めた。「え、何かやるの? 今日」話がまったく見えないので思わず口をはさむ。
「あれ、話してなかったっけ? ちょうど2か月後にイベントがあんだよ。役所が予算出して、地元の商工会とかを巻き込む活性化イベント。ただ、商店街にしても商工会にしてもあの状況だから、組織として使うのはいいけど、実務は役所がやれって話でさ。そのくせよりによって開催日が連休の初日だから、役所のクソ上司どもは土日に出たくないとか言いやがる。結局おれがほとんどやることになったから、頼れる高校の友たちにお願いして手伝ってもらうってわけ」
沢田が巨体を揺らし、お通しに出てきた茹でたての枝豆を口一杯にいれながら、「なーにが、『友』だよ」とツッコんでいる。そうだ、何が友だ。お前は仕事かもしれないけど、こちとら関係ないじゃないか。森本は人の顔色などまったく無視してそのまま続けた。 「で、飲む前に、かるーくそれの打ち合わせだよ、打ち合わせ。お前も連休ならまたこっち戻ってこれるだろ? よろしくな」
「え、あ......うん」 勢いに押された僕は、うっかり話を聞くことになってしまった。いつもそうだ、僕はなんだかんだで人にバシッと言われると、瞬発力がないので断れないまま話が進んでいってしまう。 そして、あのとき断ればよかったといつも後悔する。

話を聞けば、今回のイベントは昨年あった市長選挙のときに市長が勝手に約束してしまった 「地域活性化の起爆剤」になるものらしい。昨年となりまちで、B級グルメイベントが開催されて10万人ほどの人が来たということに対抗心を抱いているそうだ。 森本の企画は地元の飲食店を巻き込んで新しく「ご当地B級グルメ」をつくり、そのお披露目をするというだけのなんの工夫もないものだった。予算を割いて、地元のテレビ局なども協力して、当日地元の情報番組が取材にきて大々的にPRするところまでは決まっているそうだ。しかも予算の1000万は全額国の交付金が使えるということで、地元負担はゼロ。東京で働く身からすれば、地方でこんなお金の使い方をしているから税金が安くならな いのだと腹が立つ気もする。
市長の肝いりプロジェクト※7だから役所内はみな、この件だけは表立って文句を言わない。以前市長に楯ついて給食センターに飛ばされた職員もいたからな。1日のイベントで1000万だ。せっかくだからどーんと大きなことやってやろうぜ」

市長の肝いりプロジェクト※7…地方活性化事業の怖いところは、テレビで成功事例を見たお偉いさんの「なぜあれをうちではやっていないのか」という思いつきの一言で予算が確保されたりすることだ。民間と違い売り上げがな いため稼がなくても飛ばされはしないが、下手に反論すれば人事的に飛ばされる。とくに長期政権のトップがいるところは、中間管理職も含めて硬直的になり、過去にノーを言って損をした人も多いため、ほとんどの人は何も反論しなくなる。

柄にもなく熱っぽく語る森本の話に、ほかのやつらも乗っかり、 打ち合わせという名の飲み会は大いに盛り上がっていく。結局、僕はステージ企画のアイデア出しと当日の設営を手伝うことになってしまった。
家路についたのは午前3時。途中で抜けたかったが、完全にタイミングを逸してしまった。 自宅に帰ると、忍び足で台所にたどりつく。いい年して、まだコソコソ隠れて帰っている自分がなかなか情けない。コップに注いだ水を一気に飲むと、都会と違って水道の水が冷たかった。

翌日、掃除機の音で目が覚めた。「今日は何時頃帰るの?」
母がのんびりと話しかける。もう時計の針はお昼頃を指していた。しまった!今日は東京に戻らなくてはならないというのに......。僕は、大慌てで準備をした。 「また再来週戻るから!じゃ」
急いで実家を飛び出して、駅まで走る。


予定していた新幹線に乗るためには、最寄り駅からでる1時間に2本の鈍行に乗り遅れたら致命傷だ。自分がまだ住んでいた頃はもっと本数があったが、しかたがない。完全な車社会※8になってみな車で移動しているのに、鉄道なんて高校生が朝と夕方に使うくらいがせいぜいだ。

完全な車社会※8…バイパスが通り、高速道路も整備され、全国に60を超える空港ができた今、地方の移動手段は基本的に自動車だ。決まった時間に駅までいかなくてはならない鉄道は相対的に不便になった。JR 北海道の経営不振は、道内移動は基本自動車であることから考えれば自然なことでもある。もはや駅前はまちの中心でも、まちの顔でもなくなったのだ。

本数がこれ以上減らないように沿線の市長や町長は運動しているそうだが、そんな運動をしている本人たちがもう10年以上は使っていないというのだから、説得力なんてあったもんじゃない。
実家の整理さえおぼつかないのに、めんどくさいことに巻き込まれてしまった。こんなイベントを開催しないのが、一番の地域活性化じゃないのか。電車に乗り込んだ僕は、遠くなっていく寂れた風景を見ながら心の中でつぶやいた。

(次回へ続く)

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