「DORAMA」2019秋冬号=西村 あじゅインタビュー=

「DORAMA」2019年9月前半

『絵の上手い人が居るらしいよ』って噂になっていた

 主に色鉛筆とアクリル絵の具を使った独自の手法で作家活動を続けている西村 あじゅさん。アートが生活の一部となるまでに、どんなドラマがあったのかを探った。
 
 取材をした9月初旬はまだ太陽が照り付ける暑い日だった。
「肌が弱いので」と黒い折畳み傘を差した彼女と共に、神戸市内にあるギャラリー島田まで歩いた。「ギャラリーに入る機会はあまりなく、緊張してしまう」という彼女を連れて、そこへ向かったのには二つの意図があった。
一つは画廊に慣れ親しんでほしいという気持ち。もう一つはアーティストである彼女の感想を聞いてみたかった。
その日はギャラリー所有の多種多様な作家作品が展示されていた。
 「やっぱりいいですね。こうやって色んな作品が飾られているのを見ると、自由だなって、それでいいんだって安心します」
抽象画を眺めながら「こういうのも描いてみたい」と新しい技法を発見したり、十分に堪能できた様子だった。
 「色鉛筆でこの絵を描けたら面白くなる気がします」
アーティストにとって画廊とは描き方の研究と、日々の鍛錬を確かめる場所なのかもしれない。
その後『神戸にしむら珈琲』店へ場所を移して様々に語って貰った。
 「西村がにしむら珈琲に来てるって、なんだかおかしいですね(笑)」
 
ー学生時代はどう過ごされていましたか?
 「漫画家を目指していて、絵を描くことはそこそこ上手いと言われる子供だった。でも、ストーリーと合わせることが全然できなくて、効果的なコワリをするだとか、そういう面で上手く頭を使えなかった。下描きの段階ではキャラクターが活き活きとしているけど、ペン入れをすると表情が死ぬという致命的な欠陥があって…、漫画家になるための技術が自分の中で育たなかった」

ーそれが小学生ぐらいの時ですか?
「そうですね。TVアニメを色々観るようになった頃で、中学ぐらいまでは漫画家になりたいと思ってて、でも漫画家になれる人間なんて一握りも居ないんじゃないかって」

ー周りはどんな反応でしたか?
 「友達は『あんたは絵が上手いから』って凄く言ってくれてました。でも期待に応えられるほどの力量がなかった。高校生になったら美術部
に入るかどうかっていう分岐点があって、絵なんか描いてても何者にもなれないじゃないかと、絵と関係のない器械体操部に入りました。日々前方宙返りをできるように頑張ったり」

ー体力がだいぶ付きますね。
 「体力とか…、あと体操は柔軟性が凄く大事なんで、毎日体が柔らかくなるように開脚したりとか、精神力を養う…んだけど、180度開脚とか足を開いてる間ヒマで(笑)することがない。しんどいし、苦しい、でも足は閉じてくる。で、漫画を読もう!と、また漫画を手にとったりして」

ー開脚しながらの読書って凄いですね(笑)
「読んでる時間が一番幸せだなあと思って、『火の鳥』(手塚治虫作品)が凄い好きで。もうちょっと慣れてくると足の間でイラストを描けるようになってくる(笑)それで絵がまた上達してくるっていう、おかしいことに」

ー部活のためにやっているのに、絵が向上してきてしまうという事態になった。

 「美術部ではなかったけど、選択科目で美術の授業があって、毎週絵に触れてました。その時々で課題が出て、先生から『素晴らしいね』って言っ
てもらえたり『もっと上手くなるから、そういう道に行ってもいいんじゃないか』と言われたりして、また気持ちが揺らぎはじめて…。(膝から下を故障して)体操を休まなきゃいけない時期が来て、その時に友達が誘ってくれて、美術部に遊びに行ったりしてました」

ー絵を描く人と仲良くしていたんですか?
 「ちょっと学校で有名だったりして、『絵の上手い人が居るらしいよ』って(一部で)噂になっていたみたいで…学校が絵を張り出したり、よくしてくれてたんです。それで名前が先に知れ渡っていて、どれが西村なの?ってなってた」

ー学園アイドルじゃないですか!それで広がって、繋がりができていったと。
 「いや、そんないいもんじゃないですけど(汗)それで美術部の人の母親が、何か写真で私の絵を観てくれたらしくて、実物を手にしたいって、買いたいって言って下さって、初めて絵が売れたっていう経験をしました。でも、その時は申し訳ないっていう気持ちがあって。美術部でもないのに絵で認められてはいけないって、私みたいなもんが絵でお金はとれないと思って、別の形で…食い意地が張っていたので食べ物でお願いしたら、ケーキを沢山買って家にやってきてくれて(笑)」
 
周囲から認められてはいたものの、自己の実力に対して抱いた疑問と葛藤。大学在学中に受験戦争をテーマに書いた小説を応募したところ、出版社から声をかけられる。担当編集のもと小説を書き続けたが……

 「丁度そのときは就職氷河期だったので、就職ができるような資格が取れるところへ行きました。人生の選択肢として大学へ行っておかなくちゃとか…なにか、その時に先が見えてしまった。就職先も男性のほうが優遇されていて、

(この先は有料記事となります。活動を応援頂ける方は購入をお願い致します。頂いた資金は全てフリーペーパー発行や広報など、ギャラリーの運営費に充て、アーティストさんのために使用させて頂きます。)

ここから先は

2,969字 / 4画像

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?