2013/11/22 ATOMS FOR PEACE -DAY1-

普通の人も〝有名〟が過ぎると、ほとんど神格化されて、その人の周りに一種の宗教性のようなものが発生する。僕には想像もつかないけど、「音楽に救われたことのある人」に取り、その音楽を生み出した人は神様みたいなもんなんだろう。

とは言ったものの、今夜観た音楽家はそういうタイプの神様とは違う種類の神様みたいな人達だった。

ATOMS FOR PEACEというバンドよりも「トム・ヨークとレッチリのフリー目当てにやってきました」という人が多い気がしたが、まあ、無理もない。世界中のフェスでヘッドライナーを担うようなバンドのメンバーが、そこそこ大きいとは言え、ライブハウス規模の箱で観られるのだから。

かく言う僕もそのひとりなわけで、〝死ぬまでに一度はその後尊顔を拝んでいきたい人〟のひとりであるThom Yorke見たさに馳せ参じた。恥ずかしながら少し前まで、なんとなく彼をドイツ人だと勝手に思い込んでいて、最近になって漸く、彼がイギリス人であることを知った。Radioheadにハマって暫く経つというのに、この鈍さはどういうわけだろうか。

Beatles、Eric Clapton、U2、Oasis――所謂、王道的なところを通ってこなかった僕が、初めてハマったイギリスのミュージシャンがRadioheadだった(多分)。だから、ちょうどATOMS FOR PEACEと来日公演のスケジュールが丸かぶりしているPaul McCartneyには目もくれず、彼らのギグを心待ちにしていた次第である。

それで今日、初めてRadioheadのフロントマンであるThom Yorke――とRed Hot Chili PeppersのBa.Flea――を目の当たりにし、EDM隆盛の昨今、電子音や打ち込みで楽曲を構成するミュージシャンが入り乱れる中で、あえてそういう音とグルーヴをフィジカルに作り出すというのが、彼らの魅力であり強みなのだと再認させられ、歌から動き、各人の演奏、セットまで心から高揚した。

単純な話、音数が増えればその分、身体の動きは多くなる。そして、それは敏捷性と正確性の両立が求められる形で演奏力に直結する。彼らは技術の高さもさることながら、音の選択が素晴らしかった――と言ってもこれは個人の嗜好の問題だけど。欲しいところに欲しい音がぴったりはまるイメージ。

特にThomとNigelが使っていたGibson Customの鳴りが非常に好みの音で、もし自分がギターを買うならあれがいいと思ったほど(調べたら高額だった)。終始、どこか民族的な気配漂う曲調にThomのダンス動きも相まって、ある種の宗教性が醸し出され、一曲目の終わりから異常な歓声が沸き起こった。新木場であんなに長い歓声を初めて聞いた。

特に撮影禁止を謳っていなかったので、演奏中は、信者が信仰の対象に手を掲げるが如く、多くの人がステージにカメラを向けていたが、圧倒的なパフォーマンスを前に、それもなんだか馬鹿馬鹿しく思えてきて、僕は「写真やムービーを撮ってる暇があったら肉眼で観とけ」という内なる声の囁きに従い、ひたすらにステージの〝神様〟達を注視した――僕自身に彼らへの強い信仰があるわけではないけど。

歌詞の重要性を取り払ったような、半ばサウンドを構成する一楽器としてのThomの歌声は、Radioheadよりも肉感的な、所謂バンドサウンドとは一線を画した音楽の醸成に一役買っていて、歌モノではない音楽性を強調しているように見えた。

総じて、神格化された人々と秘術的なグルーヴとで、以前考えた「音楽とは一種の宗教である」という概念が具現化されたような、広義の宗教であるところの音楽を実感。「ライヴ」や「演奏」というより「音楽」を観た、と言いたくなるような。明日の公演も心底楽しみ。

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