朝にパンといった人は誰なんだ

体が重い。足がよくしびれる。げっぷが出る。顔がむくんでいる。シルエットが男性的になる。

食べ過ぎた。連日食べ過ぎている。それも、きちんと意志をもって食べ過ぎている。

朝早く起きて、家族みんなが寝静まってる中でお湯を沸かし、本を読みながら白湯を飲む。スープをレンジでチンして静かに食べる。本の世界に浸る。絹ごし豆腐の真ん中に穴をあけて、オリーブオイルとポン酢をたらし入れる。食べる。本の世界は広がり続ける。親が起きだしてくる7:30まではあと1時間。食パンを焼く。バターとジャムをそっと出す。トースターの音が鳴り響く。父の目覚ましが鳴る。息を詰める。大丈夫、いつも通りの二度寝に入る。お茶を淹れる。パンを味わう。パンの幸せは儚い。

パンは罪な食べ物だ。植物からできている。香ばしい香りがする。サクサクとした食感。冷める前に食べねばとはやる気持ちと、この幸せのひと時をもう少し味わいたいという葛藤。

パンはずるいのだ。あったら食べてしまう。焼いたら冷める前に食べたい。食べた後は、もっと食べたくなる。一日中食べていたい。私の頭は、心は、そして何より血糖値がパンの記憶を引きずり続ける。

朝にパンなんて誰が言い始めたんだ。まったくもって残酷なことだ。一時の幸せと引き換えに、一日中「何か食べない?口さびしくない?」と甘くささやく悪魔にまとわり続けられる。言われるがままに手当たり次第のスナック菓子を食べる。干し芋、プルーン、ガーナの赤チョコ、クッキー、またクッキー。食べて、食べて、今日はそういう日だ、そういう日だってあっていいじゃないかと開き直る。

私は自分に甘い。自分がかわいい。自分とパンによってかなえられる幸せの間に割って入れるほど強くはない。

それにしても体が重い。頭がぼやける。いらいらと心がささくれる。


でもなあ、本当に朝の静けさの中で食べるパンはおいしいんだよなあ、どうしたものかなあ。


今週ののほな:

こころの中でoh well(まあいいや)というたび、(George) Orwellに変換されて困っています。別にディストピアんなことを考えているわけじゃないんだけど、、、


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