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「雲と水のような人の話」

私の小さな頃、
実家の近くに、雲水のお坊さんがよく托鉢にきていた。
雲水さんというのは、
禅宗の若い修行中のお坊さんのことだ。
修行の一環として、京都市内をお経を唱えながら練り歩く。
あたかも行雲流水のように一ヵ所にとどまらずに修行していく
その在り方をいった言葉らしい。
「おー」という声は太くて、
列になって歩かれる姿は美しい、ということが
私の小さな時の記憶。

遠くから、いい声で「お~~~」と聞こえてくるので、
「おーのお坊さん」という愛称で呼んでいた。
たぶん京都ではよくある、小さな頃の思い出の一つだろう。

「おーのお坊さん」の声が聞こえてきたら、
あわてて小銭をもって母と外にでて、
よくもわからないまま小銭を渡す。
手を合わせる。
お坊さんも手をあわせてくださる。
そして、特に言葉を交わすこともなく家に戻る。

こんな風習があるんだぜ、ということを
何となく誇らしげに感じていた。


私の実家には、母が10代から、たまに来てくれる
雲水さんがいた。

彼は、私が今まで会ったお坊さんの中で一番、雲と水に近い人だった。

私が少し成長して、物事の分別がつくようになると、
お寺にもお寺なりの出世コースがあって、
雲や水のような静かな気持ちで修行しているお坊さん達にも、
実は、政治的なことや、駆け引き、大人の事情が在る事を知った。

彼は、そういった出世街道のまっしぐらにいたが、
そんなしがらみに嫌気がさしたのか、
もう少しで頂点にたどり着きそうなところで、キャリアを捨て、
一人で、本当に「雲と水」になる修行をはじめた。

ぼろぼろのワンボックスカー一台を持ち、
寒くなると日本列島を南下し、温かくなると、北上する。

海に潜り、銛(もり)で魚をしとめて食べる。
食べきれない魚を、たまに送ってくれる。
大量の荒々しい魚が、送られてきたりもした。

どうやってたべようか。
みんなでしばし、考える時もあった。

そして、そんな生活をしつつ、たまに、チベットにいく。
修行をしにいってたのだろう。
知り合いの誰かが亡くなったら、
ふらりとどこからともなく現れて、経をよむ。

そして、日本列島の移動の途中で、たまに我が家に寄ってくれた。

思春期、その静かで頭の良さそうな笑顔の中に
なんだか人間味を感じず、見透かされているような気がした。
居心地が悪く、距離を置いた時代もあった。
だけど、大人になり、
彼とゆっくりと話す様になると、面白い事を発見した。


仙人の様に「出来た人間」だと思っていた彼は、
実に人間味のある人だということ。
若い女性の話をして笑顔になったり、
「自分が日本中のヨガブームのハシリだ」というような
実につまらない自慢話をしたり (多分違うとおもうがよく家でヘッドスタンドをしていた)
アワビのとりかたを一生懸命教えてくれたりした。

これは、こちらが飽きるほど同じ話を何度もくりかえしてたので
今でも覚えている。
どうやら、アワビには、背中にも目があり、その目と目があうと、
岩にへばりつく。
その目を目をあわさないように、というような話だった。

今考えると、なんとも情緒的で人間味のある人だった。
人間を何週も回って、そう在るのかもしれないが
思春期を過ぎた頃、なんだか急に魅力的にうつったのを覚えている。
叔母の葬儀のとき、久しぶりにあって、少し話した。
沈黙も優しかった。

くやしいから、伝えてはいないけれど・・・

最近感じたのは、仏門にはいったり、精神の修行をしたりする人は時に人よりも人間くさいことがある。
無邪気にアソブことはその人たちの生身で在ることのバランスを取っているのかもしれない。

私は「雲と水」ということを、勘違いしていたのかもしれない。


そして、母はそんな人に、とても憧れていた。


それも、もう昔の話。

彼はというと、
今どこで、何をしているのかわからない。
多分、もう70歳もとうに超えて、どこかで生きているのか、もう亡くなったか。

きっと、この記事を読むこともないのだろうけれど。
春が来たら、また北上する途中で京都に寄ってくれるだろう。
今はもっと北上している頃かもしれない。

いつか、是非一緒に杯を傾けたいものだなあとおもい、たまにふと思い出す。生きていてくれたらいいなと思う。だからこっそりここへ書いておく。

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