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後悔したくない。ただそれだけ。

将来、自分が、身近な人が、最愛の人が、事故や病気によって輸血が必要になったとき。

もし、血液が足りずに助からなかったら。

いまはまだ想像だけど、起こりうる事態。


今日は献血をしてきた。1年前に初めて献血をして、今日で3回目。

もっと早い年齢から献血はできるけど、太い針や、貧血が怖くてずっと足踏みしていた。

1年前、学校も仕事も遊びも、なーんも予定がなくなった。そっか…。そんな風になるのは幼稚園入園以来なのか。

んで。あぁ、今なら体調崩してもいくらでも休めるわ。と思って、献血に行ってみた。

基準を全部クリアして、初回から400mLの全血献血ができた。

痛みも貧血も大丈夫だったから、そこから半年に1回のペースで400mLの全血献血をしている。

成分献血は…まだ怖い…。1回出ていった血液の一部がまた体に入ってくるのが…。体への負担は成分献血の方が少ないらしいんだけどね。針もまだ怖いし…。

注射も採血も、少しは緊張するけど別に嫌なわけじゃない。

でもいまだに刺される瞬間を見ることはできない。頑張って目を背けて気を逸らし呼吸を整えてる。

ありがたいことに、看護師さんたちみんな刺すの上手だし、自分の血管もいい感じらしく、やり直しをされることはない。

今日なんて「あ。いい血管いっぱいあるじゃないですか」って言ってもらえた。(嬉しい)

とはいえ、怖いものは怖いので、無理はしない。

わたしの体の条件だと、全血献血は年2回まで。

ってことで、1年前、半年前、今日の3回400mLの全血献血をした。


でも、半年空けている間に成分献血もできるらしい。

正直、ついさっきまで知らなかった…というか勘違いしてた。全血を上限までやったら、成分はできないんだとばかり…。

とはいえまだこんなに針を刺される勇気はない笑 

8週間後にはノリノリで献血ルーム行ってるかもだけど。

献血マニアでもスプラッタ好きでもないけど、「これから良いことをするぞ」っていう高揚感はあるのよね。

でも、良いことだから、献血をしているわけでもない。

いいことをしたら、いい気持ちになれる。

って短い言葉でなんていうか分からないけど、それが目的じゃない。背中を押してくれるのはたしかだけど。

わたしの根幹の動機は、自分が、大切な人が輸血を必要としたときに後悔しないため。

自分が輸血を受けた場合、その後は献血ができなくなる。

女性の体をもつ以上、妊娠や出産の可能性がある。何事もなければそれでいいけど、輸血を受けるリスクも充分にある。

つまり、献血できる年齢の上限に達するまでに、2度と献血をできなくなる可能性がある。

いやだ。率直にいやだ。

自分は輸血をしてもらったのに、それまで献血に行ってなくて後悔するなんて。

自分の子どもが、家族が、出血多量で生死をさまよっているとき、それまで献血してこなかったことを後悔するなんて。

近い将来、万能な人工血液が大量生産できるようになるかもしれない。でも今はまだ献血でしか人の命を救えない。

幸い、いまは健康な体をもっていて、献血ができる。

まあ、この体をくれた母は「女性はねぇ、ただでさえ毎月血液を失ってるんだから、健康のためにあんまり献血しない方がいいと思うんだけど…」とかなんとか言ってたけど。

私たち兄弟の誰かが死にかけてても同じこと言えんのかぁぁ!って叫びは心の中にしまっておいて。

献血はあくまで自分の意思で行うものだからね。わたしが献血するのも自由。

ちなみに父は献血マニア。けんけつちゃんグッズや献血をたくさんした人がもらえるグッズがそこかしこにある。

わたしも今日お土産をたくさんもらった。それを見るたびに、ほんとに切実に必要とされているんだな、とも感じる。

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