見出し画像

夢を叶えた私と、諦めた私。

スマホのアラームが、少しずつ大きくなる。

眠気が覚めきらぬまま、私はアラームを止める。

「おはよう。茜。」

『おはよ。友香。』

朝は必ず、この挨拶から始まる。

『うーん、かわいい』
そう言って、茜は頭を撫でてくれる。
これも、朝のルーティンの一つだ。

嫌な気分こそしないが、茜のナデナデタイムは結構長い。

『ねぇ、友香って、撫でられる時の顔がトムにそっくりだよね』

トム。私の実家にいる、
垂れ耳がチャームポイントの、愛猫だ。

「えー、それって褒めてる?」

『褒めてるよぉ、かわいいじゃん』
『トムも、友香も。』

そういうことを、茜の真っすぐな瞳で言われてしまうと
思わず照れてしまう。

「ちょっと…恥ずかしいよぉ…」

『えー、だって友香がかわいいからぁ』

そう言って、私のほっぺたを両手で軽く摘むと
親指の腹で撫でてくる。

『んー!すべすべ。』

流石にしゃべりづらいので、
表情を軽く歪ませると

『あ、友香が怒ったぁ』

といたずらっ子のような声で茜が言う。

まぁ、本気で怒っているわけではないので
茜の指先を軽く見ると、そっと手を離してくれた。

すると、茜の中の何かが弾けたのか

『友香ー!』

思いっきり抱きついて、私の首筋の匂いを嗅ぎ出した。

『んん~!』

茜は嬉しそうにしているが、

私は、何となく耐えきれなくなって、
ダブルベッドから起き上がろうとする。

でも、壁側にいて、抱きつかれている私は、
自然と茜に阻まれる形になる。

『えぇぇ…もう終わりぃ…?』

茜が言う。

そんなかわいい声で甘えられると
私もついつい動じてしまいそうになるけど、

今日は平日。
お互いに仕事がある。

グッと気持ちをこらえて

「ねぇ、茜?そろそろ起きよう?時間なくなるよ」

『わかった。』

声に芯の入った茜。
これは、モードが切り替わった合図だ。

ゆっくりした様子のさっきとは一変して、
テキパキとルーティンをこなす茜。

人一倍こだわりが強いからか、ルーティンの数も多い。

私も準備が少ない訳ではないけど、
どうしても時間のかかる茜に代わって
朝ご飯など、一通りの家事は私の仕事だ。

冷蔵庫から、朝食に必要な物一式を取り出して
野菜を水洗いしたら、適当なサイズにカットしていく。

まな板からボウルに移したら、まな板を軽く洗って
さっき取り出しておいた中から、
ベーコンを数枚取って、一口大に切る。

油を引いたフライパンにベーコンを並べたら、
電子レンジの上にある食パンを取り出して
トースターに入れ、スイッチを入れる。

ベーコンが焦げないように、フライパンを見つめていると
ルーティンを済ませた茜がやってきた。

『友香、残り代わるよ。』

「うん、お願い。」

右手でハイタッチをして、私が準備に入る。

一緒に暮らしはじめてからしばらく経った頃、
少しでも朝の効率を良くしようと、茜が提案してくれた。

『ね?こういうことは手早く済ませて、
少しでも2人でいられる時間を増やしたいじゃん?』

そう言ってくれた茜の提案に、私が乗らない理由はなかった。

今ではこれも、私たちの立派なルーティンの一つだ。


私が一通りの準備を終えると、
茜が朝ご飯の支度を終えて待ってくれていた。

「ごめんね!待たせちゃったね」

『ううん、今終わったとこ。』

テーブルには私たちの作った料理が並べられている。
トースト、焼きベーコンにスクランブルエッグ、
小盛りのサラダが一つ。

テーブルに相対して、朝食をとる。
ふたりで一緒に作った料理は、相変わらず美味しい。

朝食を食べて支度を済ませる。

同じ時間に家を出て、一緒に歩く。
しばらくすると、分かれ道に出る。

私は左、茜は右だ。

「いってらっしゃい、あかねん。」

『ゆっかーこそ、いってらっしゃい』

茜とは逆方向へ歩いていく。

私は、駅へ向かっていく。

ーーーーーーーーーーーーーーー


友香とは逆方向へ歩いていく。

私は、学校へと向かっていく。

体育教師という夢を叶えた私は、
ソフトテニス部のコーチとして
朝練にも立ち合う程、全力だった。

今日も朝練の様子を見に行くために、
友香のタイミングに合わせて出勤した。

学校に入ったら、ジャージに着替え
テニスコートへ向かう。

『おはよー』

"おはようございます!"

『じゃあ、朝練始めるよ』

ランニングなどの体力作りから
試合を想定した実践練習まで。

時間が限られている分、密度の濃い練習をする。
大会に向けて一生懸命に取り組む子もいれば
そうではない子もいる。

モチベーションの濃淡を見つつ、その子に合った指導を心がける。

気がつけば、8時前だ。
『はーい!じゃあ朝練終わり!各々片付けてね』

"ありがとうございました!"

私も職員室に戻って、授業の準備に取り掛かる。

夢を叶えた私の、1日が始まっていく。

ーーーーーーーーーーーーーーー

駅へ向かうと、都心方向へ向かう電車は
いつものように満員で。

足の踏み場もないくらいで
何とか手すりに掴まって、身体を固定する。

最寄り駅に電車が着く。
その度に、エスカレーターには
モノクロの濃淡がついた人の波が溢れる。

親の敷いたレールの上に乗っかって歩くだけの人生。
でも、抗ったこともあった。
自分の進路について、どうしても小さい時から
やりたいと思っていた仕事に就きたかった。

でも、周りからのプレッシャーが、それを許してくれなくて。
結局私は、指示通りの道を歩むしかなかった。

自分の肩書きってなんだろう?
自分の目指すものってなんだろう?

そんなことも思い出せず、
心の中に閉まったまま、私は会社への道を急ぐ。

大人にはなれたけど、夢は叶えられなかった。
ビルの谷間とガラスに反射して見える青空と雲は
昔みたいに、色んな形にはもう見えなくて。

私はただ無心で、入場ゲートをくぐった。

ーーーーーーーーーーーーーーー

授業を終えて、職員室に戻る。

コーヒーを飲んで一息ついていると
私を呼ぶ生徒の声がした。

最近、進路相談にのってほしいと言ってきた男子生徒だ。

本業は体育なので、こういうことは専門外な気がするが
自分を信頼してくれているのだと思って、
引き受けることにした。

進路相談室に入って、男子生徒と向かい合う。

"茜先生、いつも相談にのってくれてありがとう"

『ううん、私を信頼してくれて嬉しいよ』
『それで、今日は何を聞きたいの?』

"先生って、夢を叶えた?"

『うん。先生になるのが夢だったからね。』

"そっか。俺、夢ないんだよね。"
"高校を卒業したら、大学か就職じゃん?"

『うん。そうだね。』

"就職すれば社会人になって、
もしその時にやりたいことができても時間がない。
でも、大学に入ったら時間はできるけど、
やりたいことをするためのお金がない。"

"そもそも大学って、勉強するところだから、
何かしら学びたいと思っていくところじゃん"
"茜先生だって、先生になりたいから勉強したんでしょ?"

『うん。私の場合は教育学部に行ったよ。』

"でも、俺にはそれがない。"
"それなら就職、と思いたいけど、
親や周りの大人を見てると正直嫌になる。"

"思うことがあっても反抗できない。
従順になるほど悲しくなる。"

"夢も希望もない大人に限って、
見せかけの愛や努力の大切さ、
社会の良さを俺達、若者に語ろうとする。"

"そんなの、何の説得力もないのにね。"

"先生、夢も希望もない若い俺達は、何を目指せばいいの?"

私はその生徒に、返す言葉がなかった。
あまりにも的を射ていたから。

私は努力して、夢を叶えることができた。
でもその影には、夢を叶えられない人たちもいて。

その人たちは、必死に自分を抑え込むか、
諦めの境地につくか、最後の最後まで抗うか。

いずれにしても、苦しい結末を辿る。

その夢や希望を持つことすらできない人たちは、
先の見えない日々を何とか必死に生きている。
そういう人たちを何人も見てきた。

でも、目の前の生徒が同じ道を辿ってしまうのは
絶対に避けたい。
私は、何とか言葉を絞り出した。

『そっか、そうだよね。』

『じゃあ、目指すための時間を作ればいいんじゃないかな。』

『大学に行けば、少し時間を作れるよ。』

"そっか。先生は夢を見つけるための時間稼ぎに
大学に行けって言ってるわけだ"

"じゃあ、その時間で見つからなかったら
俺はどうすればいいの?"

私は目の前にいる、自分の未来に対して
真正面からぶつかる若者に掛ける言葉を失ってしまった。

私は夢を叶えたけれど、
あの子は一体、どう思ってるのだろう。

ーーーーーーーーーーーーーーー

社内に入って、自席に座る。
パソコンを立ち上げて、無心で向き合う。

"あの、菅井さん。申し訳ないんだけど、
今度社内説明会に出すプレゼン資料、
ちょっと手伝って欲しくて…"

先輩が申し訳そうに聞いてくる。

「もちろん!やります」

先輩からチャットで渡されたパワーポイントを見る。
資料はほとんど出来上がっていて、
私がやることといったら、たぶん誤字の確認や
見た目の修正くらいだと思う。

やっぱり、気を遣われてしまっているのか。
社長の娘だからというのは理解できるけど
こうも露骨に配慮されてしまうと
こちらも負い目を感じてしまう。

"菅井くん、ちょっと来てくれないか?"

部長が私を呼ぶ。

"人事部から相談があってね。
今度新卒向けの会社説明会をやるらしいんだが、
ウチの業務内容説明に君を推薦しようと思うんだ。"
"何か問題はあるかい?一応君の意見を聞いておきたくて"

「いえ、何もありません。承知しました。」

私は、部長から言われたことをそのまま受けた。
きっと、最初から私の意見など聞くつもりはないのだろう。
最近になって、ようやくわかってきた。
悲しいけれど、それが一人前の大人になるってことなのだと思う。

自席に戻ると、同僚が

"菅井、また部長に呼ばれたな。最近やたらと色んな所に呼ばれるな。"

「いやいや…たまたまだよ」

"そんなことないって。菅井だから、呼ばれてるんだよ。"
"菅井が羨ましいよ…"

他人から羨ましがられるほど、今の自分が良い環境だとは思っていない。
人間関係は、いくつになっても難しいと感じる。
誰とも揉めたくないので、絶妙なバランスを取ることに必死になっている。

そんな自分が滑稽に見えて仕方ない。

今のしがらみを脱ぎ捨てて、
自分の目指したい夢だけを見れば、
きっと、凄く楽になれるはずなのに

我慢をするのが大人だ、と飲み込んでいる。

私は夢を叶えられなかったけれど、
夢を叶えたあの人は、どう思ってるのだろう。

ーーーーーーーーーーーーーーー

友香より先に家に帰った私は、
干した洗濯物を片付けて、夕飯の準備に取り掛かる。

「ただいまー」

『おかえり!友香』

「茜ごめん、帰り遅くなっちゃった」

『大丈夫!ご飯一緒に作ろ』

「うん!着替えてくるね」

着替えた友香と一緒にキッチンに立ち、夕飯を作る。
友香が鶏肉に下味と衣をつけ、
私が油に入れて揚げる。

私が揚げている最中、友香は生野菜を手際よく切って盛り付ける。

役割を分担したおかげで、スムーズに料理が出来上がっていく。

私がご飯や味噌汁を盛り付けている間、
友香はそれぞれがお気に入りのお箸やドレッシングを置いていく。

テーブルには、いつものように美味しそうな食事が並んだ。

「唐揚げ美味しい!」

『うん!友香の味付け最高だよ』

「んーん、茜が料理上手いからだよ」

お互いを褒め合う。

食事を終えて、私は皿洗い、友香はお風呂掃除。

やることはきちんとやってから、
リラックスタイムに入る。

じゃんけんをして、私からお風呂に入った。
友香が入っている間に、私は支度をする。

「ふー。気持ち良かったぁ」

タオルで髪の水分を取りながら、友香がお風呂から出てきた。

私が吟味して買ったドライヤーを手に取る友香。

そうだ、良いこと思いついた。

『友香、乾かしてあげるよ』

「え、いいよぉ」

『いいからいいから』

ドライヤーのスイッチを入れる。
友香の艶やかに濡れた髪が、さらさらになっていく独特の感覚。

いつまでも撫でていたいくらい。
いつの間にか、乾かすことよりも
髪を撫でることが主体になっていた。

「ねぇ、私の髪触りたいだけでしょ〜」

あまりにも触っていたので友香に勘づかれた。

『あ、バレた?』

2人で笑い合う。
やっぱり、2人でいる時間が何よりの休息になる気がする。


寝る支度をして、ダブルベッドに戻る。

友香の隣に横になり、掛け布団を被せる。

上を見つめていた友香が、私の方向を向いて

「ねぇ。茜って夢を叶えたでしょ。今、楽しい?」

『そうだね。悩むことも多いけど楽しいよ。』
『どうした?何かあった?』

「うん、ちょっと仕事でね…」
『そっか。私も仕事で悩みごとができちゃった。』

友香は仕事であったことを話してくれた。
私も、生徒から言われたことを話した。

「うーん…お互い大変だったね」
『そうだね。夢って何なんだろうね。』

「でも、最近思ったんだよね。」
「夢って、叶っても、叶わなくてもいいんじゃないかなって。」
「夢や希望を持つ、そのことに意味があるんじゃかな。」
「持つことで、生きる意味が生まれるんじゃないかな。」

友香は時に、とても綺麗な言葉で良いことを言ってくれる。

『そうだね。夢を叶えたら、また新たな夢ができるし。』
『今度同じことを聞かれたら、それを答えてあげようと思う』

『友香、ありがとう。』

「ううん、茜もいつも私を助けてくれて、ありがとう。」

お互いに真っすぐ見つめ合って、感謝の言葉を交わす。


すると、友香が私の手を包み込むように掴んで

「茜の手、あったかい。」
「やっぱり、心があったかい人は体もあったかいんだね。」

『うん、でも友香のあったかさも、ちゃんと感じてるよ。』

友香の目が、少し左右に揺らぐと
私に抱きついて、胸元に顔をうずめる。

2人きりの時でもあまり見せることのない行動に
少し驚いたけれど、
それだけ募る気持ちがあったんだろうな、と思い

友香の背中を、ぽんぽんと軽く叩く。

「茜。」
「大好き。どうしょうもなく好き。」

『私も。友香のことが本当に大好き。』

お互いの本心から溢れ出す気持ちを、言葉にする。

「ねぇ、茜?」

『なに?』

「ずっと、一緒にいてくれるよね?」

『もちろん。ずっと一緒だよ。』

自然と笑顔が溢れ出す。

私たちは手を繋いで、
お互いの心を確かめ合い、まぶたを閉じた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?