マガジンのカバー画像

日本今昔物語

11
日本の歴史に残るいろいろなお話を語ります。ビジネスや人生に役立つ教訓・普遍の真理も織り交ぜながら。
運営しているクリエイター

記事一覧

津田梅子が夢をあきらめず学校をつくった話

いまはむかし、日本の女子教育を確立した津田梅子という女性がいた。旧幕臣であり、洋学者・農…

スサノオノミコトがクシイナダヒメと結婚した話

いまはむかし、高天原を追放されたスサノオノミコトが出雲の国に天降り、肥の河のほとりをさま…

スサノオノミコトが天照大御神を困らせた話

いまはむかし、スサノオノミコトという荒ぶる神がいた。喜怒哀楽の激しい神で、泣き叫ぶだけで…

西郷隆盛が初対面の橋本左内に心酔した話

いまはむかし、西郷隆盛と橋本左内というふたりの若者がいた。西郷は薩摩藩、橋本は越前藩と、…

木戸孝允が伊藤博文に不信感を募らせた話

いまはむかし、日本の近代において江戸幕府の倒壊とともに明治維新が成し遂げられた。その中心…

武田信玄の名言「人は城」は、反面教師の父がいたから生まれたという話

いまはむかし、甲斐信濃(現在の山梨県・長野県)を治めた武田信玄という戦国武将がいた。信玄…

織田信長が安土山で盛大な相撲大会を催した話

いまはむかし、織田信長が安土山で相撲大会を開いたことがあった。参加力士は近江・京都から千五百人ほど集まり、これまでにない盛大な規模で行われた。配下の武将たちも、我こそはという力士を集め、互いに戦わせた。相撲大会は辰の刻(午前八時前後)から酉の刻(午後六時前後)まで行われ、朝から晩まで白熱の模様を呈した。 5人抜きや3人抜きなど、派手に活躍して存在をおおいに印象付ける力士も少なくなかった。この大会を機に信長の目に留まり、側に召し抱えられたものは十四名に上った。同時に、金銀飾り

近藤勇がサムライとして潔く散った話

いまはむかし、近藤勇という剣術の達人がいた。幕末に活躍した新選組の局長だった人である。 …

北条政子が熱弁をふるって鎌倉御家人衆をまとめあげる話

いまはむかし、東国伊豆に北条政子という武家の娘がいた。伊豆一帯を治めた北条時政の長女であ…

豊臣秀吉が明智光秀を討ち天王山を制する話

いまはむかし、木下藤吉郎という百姓生まれの男がいた。身分の低い家柄だったが、若くして尾張…

織田信長が明智光秀に攻められ自刃した話

いまはむかし、天下布武をかかげる織田信長が、家臣の明智光秀に討たれる急変が起こった。信長…